第1話 勇者召喚

 伊勢蔵之介いせくらのすけがバス停の時刻表とスマートフォンに表示された時間とを見比べた。

 時間は午前十時をわずかに過ぎている。


「少し時間があるな」


 手にしたスマートフォンを操作して電話を掛ける。

 コール二回。


「何でしょうか?」


 スマートフォンの向こうで不機嫌そうな声が響いた。ただ一人の血縁者であり同居人でもある姪の相馬琴乃そうまことのだ。


 怒っている。

 蔵之介は琴乃の反応とは正反対にほがらかに返す。

 

「おはよう、琴乃さん。さわやかな朝だね」


「もう十時過ぎです。それに先程、初雪が降りだしました」


 外気よりも冷ややかな声が返ってくる。


「あと十分くらいで着くよ」


「あら、朝帰りですか? 蔵之介伯父様」


 普段は『伯父様』なんて呼ばない。『蔵之介さん』で、たまに『蔵之介伯父さん』だ。

 相当怒っているのが知れる。


「琴乃さん、私を悪い大人のように言わないで欲しいなあ。急に仕事が入って対応していたんだ、分かるだろう?」


「急に殺人事件が起きても連絡くらいできると思います」


 にべもない。


「あれ? 何で知っているんですか?」


「スマホにニュース速報が入ってきました」


 これ以上この話題を続けるのは得策でないと判断して話題を変えた。


「そんなことよりも、私が帰るまで外出しないでいて欲しいんだけど、できるかな?」


 手にした小さな箱を見てだらしない笑みを浮かべる。

 

 箱の中身は琴乃の大学合格祝いにと買った腕時計。

 蔵之介は誕生日、クリスマス、ひな祭り、卒業祝いに入学祝と何かに理由を付けて琴乃にプレゼントを贈っていた。


「チェーンロックを掛けて待ってますね」


「自分の家に侵入しようとして逮捕されそうだね」


 蔵之介が冗談めかして笑う。


「刑事が自宅に侵入しようとして逮捕ですか? 面白そうですね。通報する準備をしておきます」


「サプライズがあるんだから意地悪しないでよ。ほら、大学の合格祝いを買ったんだ。欲しがっていた何とかっていうブランドの腕時計」


 スマートフォンの向こうで大きなため息を吐く音がした。


「蔵之介さん、それを電話口で言ったらサプライズになりませんよ」


 諭すような口調だが、どこか弾んでいる。

『伯父様』から『蔵之介さん』に変わった。間違いなく機嫌が良くなっている。


「大人になったねえ、琴乃さんも」


「何ですか、急に」


「いや、二年前のクリスマスを思い出した。怒っていたのにプレゼント一つで機嫌を直して、大はしゃぎしていたなあ」


「な、何を、もう、そんな子どもじゃありません!」


 蔵之介は電話口の向こうで頬を染め、そっぽを向いている琴乃の姿を想像して苦笑する。


 彼には一つ年下の妹がいた。

 大学時代は友人からシスコンとからかわれる程、可愛がっていた妹だった。


 その妹の娘が琴乃だ。

 中学一年のときに両親を事故で亡くして以来、伯父である蔵之介が引き取って育てていた。


 多感な時期に両親を亡くしたことへの同情と愛情が相俟あいまって、どうしても甘やかしてしまう。

 周囲からは伯父バカとからかわれるがそれでいいと思っていた。


 彼女に言葉を返そうとする矢先、目的のバスがロータリーに入ってくるのが見えた。


「すまない。バスが来たんで一旦切るよ」


 通話をOFFにし、琴乃の大学合格祝いにと買った腕時計の入った箱をコートのポケットに入れた。

 そのタイミングで目の前にバスが止まる。


 バスに乗り込むと、最後尾の座席から遠慮のない大きな声が聞こえてきた。

 大声で会話していたのは男子高校生の三人組。


 ポータブルゲーム機を手にして『異世界』『転移』『魔法』『迷宮』といった単語を交えて会話をしている。

 大学受験の終わった琴乃が大喜びで始めたゲームが異世界転移モノだったことを思い出した。


 異世界転移か。最近は流行りなのだろうか?

 そんなことを思いながら車内に視線を巡らせる。


 すると、琴乃が通う高校の制服を着た女子高校生が目に留まった。

 琴乃の中学からの同級生で何度か家に遊びに来たことがある少女だ。小柄で忙しく動く様子からリスを連想したのを思いだしていた。


 西園寺清音さいおんじきよねさん、だったな。

 少女の名前を思いだした瞬間、彼女と目が合う。

 蔵之介が小さく会釈をすると笑顔を浮かべて小さく会釈を返してきた。


 乗客は蔵之介を入れて五人。


 蔵之介は男子高校生三人を避けるように運転席近くの椅子に腰かけた。するとそれを待っていたようにバスが動きだす。

 動きだしてすぐに窓の外へ視線を向けた。


 その瞬間、景色が消えた。


 目を覆うほどの光の奔流ほんりゅうが窓の外に広がり、不思議な浮遊感を覚える。


 続いて乗客たちを激しい衝突音と共に衝撃が襲った。


「キャーッ」


 西園寺清音の悲鳴が聞こえた。

 蔵之介自身も身体を庇うように咄嗟にだした左腕が前の座席に当たり、その衝撃と鈍い痛みに歯を食いしばる。


「クッ」


 続いて男子高校生三人の声が車内に響いた。


「ウワーッ!」


つうー」


「事故りやがったな、チクショウ!」


 蔵之介が斜め後方の席に座っていた西園寺清音に駆け寄る。


「怪我はありませんか?」


「大丈夫です。鞄がクッションになってくれました」

 

 すぐに明瞭な返事が返ってきた。

 続いて最後尾付近に座っていた男子高校生三人組に視線を移す。


「何があったんだ?」


「事故ったんじゃないのか?」


「うわ、鼻血だ」


 男子高校生二人が床に投げだされ、うち一人は鼻血をだしていたが何れも大事だいじには至っていなかった。

 最後に運転席へと視線を巡らせる。


 茫然ぼうぜんと窓の外を見る老齢の運転手と割れたフロントガラス。その向こうにある石の柱が目に飛び込んできた。

 バスが石の柱に衝突したのだと理解したが、同時にバスの周囲を取り巻く違和感に気付く。


 つい先ほど、午前十時を回ったばかりだというのに薄暗く、他に車が走っている様子が感じられない。

 車外の様子に不安を覚えながらも運転手に声をかけた。


「運転手さん、怪我はありませんか?」


「分かりません、何で、何でこんなところに柱が……」


 蔵之介は運転手の左肩に手をかけて再び声をかける。


「怪我はありませんか?」


「だ、大丈夫です」


 振り向いた運転手の額から血が流れていた。


「運転手さん、血がでていますよ」


「本当に大丈夫です。窓ガラスの破片で切っただけです。頭は打っていません」


 運転手の言葉に安堵した蔵之介は意識をバスの外へと移す。


「何だ、これ……」


 窓の外に広がる異様な景色に言葉を失った。


 彼の目に飛び込んできたのは、どこか宗教画を思わせる巨大な壁画が描かれた石壁。続いて複雑なレリーフの刻まれた巨大な石柱。床は大理石が敷き詰められていた。

 そこには石造りの神殿を連想させる広大な空間が広がる。


「嘘だろ、国道を走っていたよな」


 思わず口にした蔵之介のセリフに運転手が答える。


「はい、国道を走っていたはずです。なのに、何でこんなところに居るんでしょうか?」


 だが、景色以上に蔵之介を困惑させたのはバスを取り囲む人たちだ。


 中世ヨーロッパ風の鉄製の甲冑や革製の鎧を着込み、槍や剣を手にした人たちがバスを取り囲んでいた。

 部屋の奥には一段高くなった場所があり、そこには神官を連想させる白を基調とした服に金糸や銀糸で刺繍ししゅうされた、手の込んだ服を着ている人たちの姿も見える。


「え? え? どこなの、ここ……」


 混乱した様子で清音が声を上げた。続いて、床に転がった男子校高校生の声が響く。


「しっかり運転しろよ! 慰謝料請求すんぞ!」


「チクショウ、鼻血が止まんねぇ」


 蔵之介はざっと見回し、神殿の出入口が一か所しかないこと、武装した兵士が五十人以上、神官姿の者が十五人いることを見て取る。

 さらに注意深く観察すると取り囲む人たちの目に恐怖の色が浮かんでいた。


「おい! 外を見ろよ! 何だか変なのがいるぞ! って、このバス、兵隊みたいなのに取り囲まれてる!」


 椅子に座っていた男子高校生が窓の外を指さし、その声に床に転がった二人も窓の外に視線を向ける。


「どうなってるんだよ。どこだよ、ここ!」


「なんだか、やべーぞ。あいつら、剣と槍を持ってるじゃねぇか!」


 男子高校生の大声が車内に響いた。

 武装した大勢の兵士を目の当たりにして恐怖心を抱いている。

 

 恐怖と緊張状態にある兵士を刺激してはダメだ。最悪パニックになる。あの数がパニックになって押し寄せたらひとたまりもない。

 蔵之介は瞬時にそう判断して皆に声をかけた。


「はい、皆さん注目してー。私は警視庁刑事部に所属する伊勢蔵之介です。平たく言うと刑事ね。これが身分証明書です」


 そう言って警視庁刑事部の身分を証明する手帳を掲げて見せ、緊張感のない口調で続ける。


「確認できましたか? 確認できたら私の指示に従ってください。まずは周囲の人たちを刺激しないようにお願いします」


 背後から男子高校生の声が聞こえる。


「やべ、本物の刑事かよ」


「へー、刑事なんて初めて見たけど、冴えねぇおっさんだな」


「それよりも外を見ろよ。中世ヨーロッパの兵士みたいな恰好しているヤツラ、槍をこっちに向けてるぞ」


 残る二人も窓へ視線を戻す。


「異世界転移? 冗談だろ? ゲームじゃないんだ、勘弁してくれよ」


「異世界転移? まさかね、撮影だよね?」


 今しがたまで異世界転移のゲームをプレーしていたとはいえ、影響され過ぎだ。

 そう思いながら蔵之介は男子高校生三人に注意をする。


「撮影現場にしろ異世界転移にしろ、この状況は大ごとだからね。取り敢えず状況がハッキリするまでは相手を刺激しないようにしようか。それと危険だから窓から離れて」


 刑事だと告げたのが効いたのか、小声で文句を言いながらも三人が大人しくなった。

 男子高校生三人から運転手へと視線を戻した蔵之介が話しかける。


「運転手さん、相談なんですけど、いいですか?」


 蔵之介の場違いな程に緊張感のない口調に一瞬キョトンとするが、すぐに反応した。


「はい、何でしょうか?」


「バスの運転手ということは、船で言えば船長。飛行なら機長。このバスの責任者として外で槍や剣の切っ先を向けている人たちとファーストコンタクトしますか?」


 何も言えずに蔵之介を見つめる運転手に向かってさらに言う。


「相手は剣や槍を持っています。本物だったら危ないですよね」


 兵士を一瞥し、すぐに運転手に視線を戻す。


「ここは刑事の私があなたに代わって接触しても構いませんが、どうしますか?」


「お、お願いします」


 運転手が即答すると蔵之介が間髪容れずに返す。


「では、『貸し』一つ、ということで引き受けましょう」


 してやったりと大人げない笑みを浮かべる。

 その瞬間、おびえを含んだ西園寺清音の声が響いた。


「伊勢さん、女の子がこちらに来ます」


 蔵之介が彼女の視線の先に目を向けると、神官服に身を包んだ美しい少女が長い銀髪を揺らして近づいてくるのが見えた。

 年の頃は十五、六歳ほど。

 先週、他の課が押収した北欧の美少女写真集に載っていたモデルの何人かが蔵之介の脳裏をよぎる。


「可愛いなあ、あのコ」


「北欧系の美少女だ、スゲー可愛い!」


「あっちには女騎士もいるぞ!」


 また男子高校生の声が上がった。


「君たち、静かに頼むよ」


 蔵之介はため息を吐くと、窓から外の様子をうかがっていた男子高校生をやんわりとたしなめる。

 再び西園寺清音に向き直った。


「ありがとうございます。西園寺さんも窓から離れて姿勢を低くしてください」


「は、はい!」


 清音が転がるようにして椅子の陰に飛び込んだ。

 頭を抱えてしゃがみ込んだ清音を見届けると、蔵之介はゆっくりとバスの出口へ向かって歩きだす。


 自分たちが置かれた理解不能な状況と異様な緊張感に包まれた武装集団を前に、蔵之介の心臓が早鐘を打つ。

 不安と緊張が歩みを鈍らせる。


 内心の恐怖を抑えてゆっくりと歩く。

 だが、刑事補正が掛かっている清音と運転手、男子高校生たちには蔵之介が悠然と歩いているように映っていた。

 

 出入口に到着した蔵之介が敵意のないことを示すように肩の高さに両手を上げ、ゆっくりとバスの外へと降りる。

 蔵之介が大理石の床に降り立つと神官服姿の少女がうやうやしく片膝を突き、こうべを垂れた。


「私は神聖教会の神官を務めます、ルファ・メーリングと申します。この度は我らが呼び掛けに応じてくださり、感謝申し上げます」


 言葉が通じることと敵意がなさそうなことに胸を撫で下ろす。


「これはご丁寧にありがとうございます。私は伊勢蔵之介と申します」


 こうべを垂れたままの少女に向けてお辞儀をする。

 ルファ・メーリングが顔を上げると二人の目が合った。少女の目を見て蔵之介がほほ笑む。


「詳しい説明を聞きたいのですが、その前に、ここがどこなのか教えて頂けませんか?」


「ここは勇者様方の住まう世界とは異なる世界です。皆様には『異世界』と申し上げた方が分かり易いでしょう」


 少女のその言葉に蔵之介は改めて周囲を観察する。

 武装した兵士たちは怯えてはいるが、それでも幾分か落ち着いている兵士も散見できた。ルファ・メーリングと名乗った少女と同じように神官服を着た人たちは兵士に比べて落ち着いて見える。


 ルファ・メーリングの言葉と周囲の様子から、自分たちが初めて呼びだされた『勇者』ではない可能性を念頭においた。


「貴女方が我々をここへ呼んだという理解で間違いありませんか?」


「はい、おっしゃる通りです」


 後ろめたさや罪悪感などみじんも感じられない笑顔が返ってきた。

 美しい少女の笑顔に、自分たちの道徳や都合を説いても無駄だと悟ったがそれでも一縷いちるの望を抱いて言う。


「実は大切な用事の途中だったのですが、少しだけでも元の世界に帰してもらうことはできませんか? もちろん、用事が済み次第ここへ戻ってきます」


「誠に申し訳ございません」


 少女の美しい顔に悲しみの色が広がった。


「我らも召喚のすべはあるのですが、勇者様方を元の世界にお戻しする術を存じておりません」


 琴乃の愛らしい笑顔が蔵之介の目に浮かぶ。

 まいったなあ。このまま私が帰れなかったら、琴乃さんは天涯孤独てんがいこどくじゃないか。


 心の中でそうつぶやくと、天を仰ぎたくなる衝動を抑えてルファ・メーリングの話に耳を傾けた。


――――――――


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