第28話 ミッドナイトラン(5)
不可視のシーツで姿を隠した
「油断しているようですね」
「ダレきってますな」
通路の突き当りにある扉の前で、二人の衛兵が雑談をしているのが見えた。
「 あの扉の向こうが召喚の間ですか?」
「そうです。今朝、刑事さんと一緒に確認してきました」
召喚された日の記憶を
二人のやり取りをよそに、蔵之介がため息交じりにぼやく。
「今回ばかりは隠れてやり過ごす訳にも行かないよなあ」
「実力行使ですか……」
困ったような口調の三好に蔵之介が苦笑して答える。
「そうなりますね」
「先に言っておきますが、荒事は苦手です」
「あたしもです」
魔力による身体強化がされているので、二人とも衛兵と肉弾戦ができるだろうとは予想していた。
だが、格闘経験のない二人に手伝わせるリスクを考えると自然と選択肢から外れる。
「まあその辺りは私が担当します」
「首の後ろを叩いたり、お腹を殴ったりして気絶させるんですか?」
清音がテレビで見た刑事ドラマの知識を口にした。
「簡単な格闘くらいはできるけど、本業の衛兵二人を組み伏せる自信はないよ」
蔵之介がギフトパネルにある“よく使う魔法”のタブに並んだ紋章魔法の一つに目を止め、
「雷撃の魔法で眠ってもらうつもりだ」
不可視のシーツの下で口元を綻ばせる。
「頼りにしていますよ、刑事さん」
「頑張ってください」
三好と清音の言葉を背に歩き出して、一分余。
青白い閃光が走ったと思うと、二人の衛兵は短い叫び声を上げてその場に倒れ伏した。
床でうめき声を上げる衛兵の傍らに姿を現した蔵之介が、三好と清音を手招きする。
駆けつけた三好にストレージから取り出したシーツを渡した。
「私は召喚陣とバスを回収するので、三好さんは彼らの拘束をお願いします」
「じゃあ、あたしは扉を開けるのを手伝います……ね」
重そうな石の扉が消え、清音の表情も消えた。
蔵之介は絶句する清音に、
「収納魔法だよ」
鍵を開けることなく扉ごとストレージに収納したのだと種を明かす。
そして召喚の間へと足を踏み入れた。
「さてと、先ずは明かりだ」
蔵之介の言葉に応えるようにして、空中に出現した光球が召喚の間を照らす。
石畳に刻まれた召喚陣と蔵之介たちが乗ってきたバスが浮かび上がった。
蔵之介がバスに意識を集中する。
それを不思議そうに見ていた清音が突然声を上げた。
「うわ! 消えちゃった!」
「さっきの扉と一緒だよ」
驚く清音に微笑ましげな視線を向けた。
バスのあった空間から口元を綻ばせた蔵之介へと視線を巡らせる。
「ええー! バスを丸ごと収納できちゃうんですかー!」
いったいどれ程の量を収納できるのか、蔵之介も見当が付かない。
だがバスの数台なら何の問題もなく収納できることは、本能的に理解していた。
「収納魔法の評価が不当に低い気がしますな」
兵士たちを拘束し終えた三好が感嘆の声を上げた。
蔵之介が入口付近を振り向いていう。
「紋章魔法もそうですけど、この世界の人たちでは、ここまでのことはできないでしょう。間違いなく勇者補正のお陰ですよ」
「勇者補正ですか。確かに魔導書に書かれていた効果や、指導員から聞いていた威力とはかけ離れていますな」
三好は高校生三人組のギフトの習得速度や威力に驚愕する、指導員や騎士たちを思い出してうなずく。
そして、自身が発動させた土魔法と水魔法の威力を思い返していた。
「でも伊勢さんの場合は、組み合わせてオリジナルの使い方をしているのが凄いですよ」
清音が憧憬の眼差しを向けた。
「組み合わせの妙だね。幸運だったと思っているよ」
融合魔法、収納魔法、紋章魔法。
この三つの何れが欠けても、今回の脱出作戦は成り立たなかった。
「組み合わせですか。それも刑事さんだからこそ、組み合わせられたんでしょう。私では同じギフトを与えられても、刑事さんのようにオリジナルの使い方は、できなかったと思います」
「ですよねー。あたしにも無理だと思います」
「偶然ですよ。さあ、それよりもさっさと召喚陣を収納して、ここから脱出しましょう」
蔵之介が無理やり話題を切り替えると、清音がすぐに同調する。
「そうですね。モタモタしている場合じゃありませんよね」
「魔法を使うから、少し離れていて」
蔵之介がそう言うと、清音と三好が召喚陣から距離を取る。
後ずさりながら三好が聞く。
「この大きな召喚陣も扉やバスのように簡単に収納できるんですか?」
「風魔法で石畳に亀裂を入れ、紋章魔法で床に使われている石畳ごと剥がすつもりです」
空中に紋章が浮かび上がる。
突風が吹き、召喚陣を切り取るように石畳に正方形の亀裂が走った。
「わ! ……風?」
「早い!」
清音が突然発生した風に驚き、三好がその発動速度に目を見張る。
次の瞬間、召喚陣が刻まれた石畳がかき消えた。
召喚陣のあった場所は無残にも石畳が剥がされ、粗く削った岩肌と砂地が露わとなっていた。
「何ともあっけない……」
つぶやく三好と
「目的のモノは回収しました。次は脱出の本番です。二人は予定通り、爆破する防壁から十分に距離を取って隠れていてください」
「分かりました。刑事さんも無茶はしないでください」
「伊勢さん、無事に戻ってきてくださいね」
「大丈夫ですよ、ちょっとルファさんに挨拶をしてくるだけですから」
蔵之介はハンディカメラを手に笑顔を見せた。
◇
「邪魔だな」
一樹が無造作に左手を突き出して、氷魔法を発動させた。魔法で創りだされた氷が、燃え広がる炎を切り裂いて瞬く間に延びていく。
恐怖と混乱をもたらしていた炎が消失し、炎に包まれていた樹木が凍て付いた。
左右に残った炎が声を失った者たちを照らしだす。
この異世界の常識から外れた出来事に何が起きたのか理解できない者がほとんどだった。
茫然として凍て付いた樹木を見つめる騎士や衛兵たちに向かって一樹の
「ボサッとするな! 逃亡した三人を追うぞ!」
怒声と共に駆けだし、その後を
「いいねー、あのバカ面とあの反応。俺たちの期待通りだ」
「おいおい、大丈夫か? 一人くらいは付いてこいよ」
颯斗と龍牙は茫然と立ち尽くす騎士たちを見てあざ笑う。
「神聖騎士団なんて、ご立派な名前で偉そうにしているけど、そこらの衛兵と変わらないんじゃねえの」
「気の毒なことを言うなよ、所詮はろくなギフトもない現地人。温かい目で見てやろうぜ」
「ちっ。少し待つか」
「待つのかよ」
「まあ、置いて行く訳にもいかないか」
「それよりも、辺りに本物の逃げた跡がないか注意して移動しろよ」
「分かっているって」
「おっさんたちの驚く顔を見るのが今からたのしみだぜ」
一樹たちは森の奥へと駆けだした。
◇
蔵之介たちが罠を仕掛けた森の南側から、数キロメートル離れた地点まで捜索の手を広げていた。
一樹、颯斗、龍牙の三人の機嫌をうかがうように、数名の騎士たちが遠巻きにしていた。
苛立ちを
「探せ! 絶対に逃げた跡があるはずだ!」
颯斗と龍牙が随行した騎士たちへ当たり散らす。
「畜生ー! ふざけやがって!」
「俺たちにばかり探させるな! お前たちももっとよく探せ!」
蔵之介たちの逃走経路であることを示す、新たな痕跡がでないことに三人は苛立ちを覚えていた。
遠巻きにしていた騎士の一人が意を決したように進言する。
「もしかして、北の街道にあった証拠と同様、あの炎も罠だったのではないでしょうか?」
騎士の疑問に三人が顔を見合わせた。
「そう考えると辻褄が合うな……」
弱気になっていた龍牙が、罠にかかったのではないかと、不安げに二人の顔を見た。
自分たちが罠にかかった可能性を颯斗と一樹が否定する。
「もっと先にいるのかもしれない」
「ぐずぐずしていて追撃が遅れた可能性もある」
不安をぬぐい切れない龍牙が、力なく言う。
「でも、逃亡の痕跡は見つかっていないんだ。罠にかかっていないとしても、見当違いの方角を捜しているのかも……」
一瞬悔しそうな表情を見せた一樹が、騎士たちに向けて号令を下す。
「いまから捜索の手を広げる!」
「どの方向に広げましょうか?」
騎士の一人が反応すると、即座に言い返した。
「俺たちよりもお前たちの方が地理に詳しいんだ! どっちの方角を捜せばいいか進言くらいしたらどうなんだ!」
「一樹、騎士たちは当てにならねえ。俺たちだけで手分けして捜そう」
颯斗の提案に龍牙が賛同する。
「そ、そうだな。手分けをして捜そう。見つけたら上空に魔法を放って知らせるってので、どうだ?」
「OK! 先に行ってるぜ!」
颯斗が全身に魔力を巡らせて身体強化を図る。
刹那。
「う、うわー!」
下半身から嫌な音を立てながら、悲痛な叫び声を上げた。
続いて漂う異臭。
「颯斗、お前……」
龍牙が信じられないものを見るような目を向け、あきれた顔で一樹が怒鳴る。
「何をやっているんだよ、こんなときに!」
「し、知らねえよ。急に、うっ、と、止まらねえ!」
「締まらねえなあ」
「仕方がねえな。颯斗、お前はここに残れ! 俺と龍牙とで捜す」
一樹はそう言うと、周囲の騎士たちに続けて指示をだす。
「誰か颯斗の尻に水をぶっかけてくれ」
「行こうぜ、一樹」
龍牙と一樹が全身に魔力を巡らせた途端、いましがた颯斗が発したのと同じ不快な音がした。
音だけで察したように騎士たちが退く。
「ちょ、ちょっと待てよ、おい!」
「ふざけんなよ、畜生ー!」
一樹と龍牙の悲痛な声と不快な音が辺りに響いた。
音に続いて、甲冑の隙間から汚物があふれ出し、異臭が辺りに立ち込める。
羞恥と混乱が三人を支配する。
「み、水だ! 水を持ってこい!」
一樹の命令に騎士が答える。
「川が、この少し先に川があります」
「よ、よし! そこへ案内し、ろ。だ、ダメだー!」
一樹が身体強化を図ろうと、魔力を全身に流した途端、襲ってきたさらなる便意にくずおれた。
「そ、捜索だ! 捜索を続けろ!」
くずおれた状態でも、なお捜索を続行するよう一樹が叫んだ。
だが、捜索どころではなかった。
「こ、これって、コレラとか
涙を浮かべた龍牙が叫ぶ。
伝搬するように、一樹と颯斗を羞恥に続いて恐怖が襲う。
病気。
赤痢やコレラのような、致死率の高い病気にかかったのではないか、という恐怖。
自身のまき散らす汚物にまみれながら、羞恥と混乱、そして恐怖に襲われる勇者。
そんな勇者を遠巻きにする騎士たち。
勇者捜索隊のメンバーは悪臭の中で右往左往するだけだった。
――――――――――
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