第7話 実験

 自室へ戻った蔵之介がベッドに身体を投げだして、ギフトパネルを操作し始める。

 琴音との連絡を再開しようとしていたそのとき、一定の間隔でドアが四回ノックされた。

 

 続いて若い女性の声が響く。


「イセ様、紋章魔法の初級魔導書をお持ちいたしました」


 晩餐会の席でルファが約束した魔導書だ。

 瞬時にそう理解した蔵之介はベッドから跳ね起きて返事をする。


「どうぞ、入ってください」


 一拍措いて二十歳前後と思しきメイドが入ってきた。

 メイドは一冊の書物を抱きかかえている。

 

「イセ様、ルファ・メーリング様からこちらをお渡しするようにとのことです」


 深々とお辞儀をし、彼女が差し出したのは表紙に魔法陣のようなものが描かれた一冊の本だった。


「ありがとうございます。私が感謝していたとルファさんにお伝えください」


 そう言ってメイドから魔導書を受け取った。


 ◇


 蔵之介はベッドに腰かけると、さっそくメイドから受け取った書物に目を通し始める。


 読める。

 魔導書に書かれている文字が問題なく読めることに、理解できることに改めて胸を撫で下ろした。


「予想はしていたが普通に読める……」


 召喚されて以降、異世界人との会話に不自由することもなければ目にする文字も自然と読めていた。

 いま手にしている紋章魔法の書物も同様に読める。


 紋章魔法の書物には、左側に文字が書かれ右側に紋章が描かれていた。


「なるほど、ページを切り取って使う訳か」


 ページは見開きで対となっているのではなく裏表で対となっていた。

 表側に紋章が描かれ、裏側にその説明が書かれている。


 左開きのページを一枚、また一枚とめくっていく。

 蔵之介の目が大きく見開かれ、その瞳に驚きの色が浮かぶ。


 ページをめくる速度は次第に速くなり、蔵之介の瞳に浮かぶ感情は驚きから好奇へと変わっていった。

 静かな室内にページをめくる音だけが微かに響く。


「はははは、これは凄い……」


 ページをめくる手が止まった。


「何が描いてあるのか理解できる。描かれている紋章がどんな意味を持つのかが理解できる! 裏の説明書きなんてなくても、理解できる……本当かよ……」


 興奮した声が室内に響いた。 


 試してみたい。

 そんな子どもじみた好奇心が蔵之介の心の奥底に沸き上がる。


 蔵之介は傍らに置いてあったペーパーナイフに手を伸ばすと、ページの一枚を切り取った。

 切り取ったページを宙に舞わせる。


 ルファの言葉が脳裏に蘇る。

 

『後ほど初級の魔導書をお部屋に届けさせます。その魔導書はイセ様に差し上げますのでご自由にお使いください。なくなりましたら、新しい魔導書をご用意させて頂きます』


 呪文は必要なかった。単に描かれた紋章を発動させようと意識するだけで十分だった。

 

 宙を舞う紋章が描かれたページが消失し、代わって小さな光球が浮かび上がる。

 光魔法の一つ、光球の魔法だ。


「発動した!」


 蔵之介の心臓が大きく波打つ! 年甲斐もなく襲ってくる高揚感に自然と笑いがこぼれた。


「はははは、使えたよ! 本当に魔法が使えた!」


 気が付くと発動した光球でなく手元の魔導書を見ていた。


 また数ページめくると一枚のページを本から切り離した。

 同じように宙に舞わせる。


 次の瞬間、宙を舞うページが消えて小さな旋風つむじかぜが起こった。

 蔵之介が手にしていた紋章魔法の魔導書の数ページを旋風が乾いた音を立ててめくり上げる。


「確か、『基本四属性である、土・水・火・風。上位魔法である、光・空間・雷・氷。全ての魔法を使うことができる唯一のギフト。ただし、魔法を使うためには紋章を書いた紙、紋章紙が必要となります』だったな」


 ルファが書いた紋章魔法の説明書きを反芻はんすうした。


「なるほど、確かに普段使う分には便利だが、戦闘の最中さなかに次に使う魔法を大量の紙の束や魔導書のなかから選ぶのは難しそうだな」


 改めて実感して苦笑した。


「さて、第一実験だ」


 蔵之介は自分がこの世界で生き延びるのに、最も重要だと位置付けている二つの実験に取り掛かることにした。


 切り取った一枚のページを収納魔法でストレージに収納する。

 ギフトパネルにあるストレージのパネルに、たったいま格納したページがアイコンのように画像表示されているのを確認する。


 意識を集中して自身から数メートル先の空間に紙を出現させ、間髪を容れずに発動させた。

 空中に光球が出現してそのままそこに留まる。


 留まった光球に意識を向けて消失を念じると、空中で辺りを照らしていた光球は何事もなかったように消え失せた。


「よし! 第一実験は成功だ」


 この瞬間、この異世界で認識されている紋章魔法の魔術師と蔵之介は一線を画した。第一の実験の成功は蔵之介を魔術師としてより高次の存在へと押し上げた。

 蔵之介を高揚感と震えが襲う。


「武者震いか」


 小さな笑い声の後に独り言が漏れた。


「さて、第二の実験だ」


 蔵之介の顔に緊張がはしる。


 スマートフォンとギフトパネルの融合により生まれた機能の一つ、録画機能を停止し、一分ほど遡って再生させる。

 蔵之介の視点からの映像がギフトパネルのなかに再生される。


 最初に使った光球の紋章でストップさせ、それを写真に写し取る。

 写し取った写真をギフトパネルの片隅に配置した。


 大きく深呼吸すると空中の一点に意識を集中して収納魔法で空間を開き、そこに写真を出現させることをイメージする。


 蔵之介の目が大きく見開かれた。


 写真は出現しなかった。

 だが、虚空には幻のように映像が現れていた。息を呑んで紋章魔法を発動させる。


 幻のような映像が消失して光球が出現した。


 心臓が大きく跳ねた。

 

「成功した! これで紋章を記録しさえすればどんな魔法も使える!」


 紋章紙など必要としない、一度その目に記録させれば何度でも紋章魔法を発動できることを意味した。


 異世界から召喚された勇者だけが三つのギフトを所持することができる。融合魔法、収納魔法、紋章魔法のどれか一つが欠けても実現できなかった。 

 蔵之介はこの異世界に措いて自在に魔法を使いこなす可能性を秘めた、唯一の存在となった。


 それは同時に、この世界で生き延びる確率が大きく跳ね上がったことを物語る。


「生き延びさえすれば琴乃さんの待つ世界に帰れる可能性がある」


 蔵之介は己の幸運を神に感謝した。


「さて、そろそろ琴乃さんと連絡を取るか」


 蔵之介はギフトパネルに表示された電話のアイコンに意識を集中した。

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