第14話 魔導書
書庫の片隅にある粗末な書棚を、落胆した顔で見上げる
「この書棚に紋章魔法の魔導書が収められています」
「これだけですか?」
紋章魔法の魔導書が見たい。
蔵之介の希望を叶えるために、ハンス・ゲーリングが案内したのがこの場所だ。
「はい、ここにあるのが全てです」
粗末な書棚に収められた魔導書の数は、三百冊あるかどうかという冊数だ。
ここまで来る途中に見た基本四属性の魔導書の数に比べ、その数は十分の一ほどである。収められている書棚のみすぼらしさと相俟って、紋章魔法の扱いの低さがうかがえた。
「鍵が掛かっている書棚には紋章魔法の魔導書はないんですか?」
「何冊かあったと記憶しています」
「それは許可が下りてからってことですね」
「はい、そうなります」
数が少ないということは、短時間ですべての魔導書を映像として取り込むことができる。
蔵之介は意識を切り替えて己にそう言い聞かせた。
さて、そうなると順番だな。
わずかな時間思案をして、ハンスに話しかける。
「昨夜、ルファ・メーリングさんから初級の紋章魔法の魔導書を頂きました」
「ルファ様から直接頂いたのですか?」
ハンスが驚きの表情を浮かべ、蔵之介に羨望の眼差しを向けた。
琴 乃 : 蔵之介さん? 蔵之介さーん。
蔵之介 : いま、監視のなかでメッセージアプリを操作しているから反応が遅れるかも。
琴 乃 : 分かりました。
「持ってきたのはメイドの女性ですけどね」
「それでも、ルファ様から魔導書を頂けるというのは光栄なことです」
魔導書をもらったことは感謝する。
だが、そのことを特段光栄に思えない蔵之介は、話を次のステップへと進める。
「初級の紋章魔法の魔導書があるということは、中級とか上級もあるんですよね? 或いはさらにその上も」
「紋章魔法は初級がほとんどです。この書棚の最下段から上段付近まで」
そう言って書棚を見上げ、上段の一点を指す。
「ちょうどあの白い背表紙の魔導書がある辺りまでが、初級の紋章魔法が描かれた魔導書が収められています」
圧倒的に初級が多い。
「中級と上級は随分と少ないんですね」
蔵之介 : 琴乃さん、本題に入っていいかな?
琴 乃 : えーとですね。さっきのお話ですが、昔のことで記憶があやふやでしたが時間を措いたら色々と思い出しました。
手元にはセリフを用意したメモ書きがありそうだな。
そんな風に思いながらも、蔵之介は別の話を切りだす。
蔵之介 : 実は買ってきて欲しいものがあるんだ。
琴 乃 : 買ってきて欲しいもの? 何でしょうか?
拍子抜けしたような琴乃の顔が容易に想像できる。
蔵之介は内心で苦笑しながら、LIONに入力する。
蔵之介 : プロジェクターが欲しいんだけど分かるかな?
琴 乃 : プロジェクターって映像を映すアレですか?
「そうですね、この書棚にある上級の紋章魔法が描かれた魔導書はあの三冊だけです」
そう言って最上段の片隅にある古びた魔導書を指さした。
「では、その上級の紋章魔法の魔導書を取って頂けますか?」
ハンスが蔵之介の顔を見たまま固まった。
「ハンスさん? どうしました?」
蔵之介の声にハンスが我に返る。
「し、失礼いたしました」
蔵之介に慌てて謝罪すると、気を取り直して話しだす。
「イセ様、いきなり上級というのは無理があります。やはり初級から順に進めて行かれるのがよいかと」
「ああ、別に憶えようなんて思っていません。まして、使ってみるとかありえないじゃないですか?」
蔵之介の予想外の言葉にハンスの顔が引きつる。
「では?」
「今日のところは気分転換を兼ねての見学ですよね? 興味本位で見てみたいだけです」
「はあ」
なんとも名状しがたい表情に変わった。
その表情のまま、ハンスがもう一人の指導員に言う。
「
そう言ってこの場を離れた。
さて、それじゃあ監視の目の少ない間に琴乃さんと連絡を取るか。
内心でそうつぶやくと、ハンスが書棚の向こう側に消えるのを見計らって、たった一人で残されたベルナーに言う。
「ベルナーさん、そこの魔導書を見せてもらえませんか?」
ベルナーが下段に収納された魔導書に手を伸ばした。
蔵之介 : そう、映像を映すアレ。
琴 乃 : ちょっと待ってください。
琴 乃 : これですか?
続いて琴乃からURLが送られてきた。
蔵之介はそのURLにギフトパネル内にあるブラウザを接続する。
一瞬で画面が変わり携帯型のプロジェクターが表示された。
蔵之介 : もう少し大きいのがいいな。できるだけ高性能なやつ。
琴 乃 : こんなのはどうでしょう。
次に表示されたURLにブラウザを接続する。
金額は張るが大型で高性能なプロジェクターが表示された。
蔵之介 : これでお願い。
琴 乃 : 分かりました。届いたら連絡しますね。
メッセージアプリに文字が軽快に表示される。
「イセ様、こちらの魔導書でよろしかったでしょうか?」
ベルナーが一冊の魔導書を差しだす。
「ありがとうございます。中を見る間、休んでいていいですよ」
「いいえ、ご一緒いたします」
ベルナーが静かにお辞儀をした。
蔵之介はベルナーの傍らで紋章魔法の魔導書を次々とめくっていった。
魔導書をめくりながらメッセージアプリの操作を並行して行う。
蔵之介 : 次に欲しいのが霧の発生装置なんだけど、知っているかな?
琴 乃 : 何ですか、その凄そうなのは?
蔵之介 : 凄くない、凄くない。普通に民生用として売っている装置だよ。
琴 乃 : へー、知りませんでした。
蔵之介 : そうだ、琴乃さん。後で私のキャッシュカードを送るよ。買い物はそれを使って。
琴 乃 : いいですよ、大丈夫です。
蔵之介 : 私が頼む買い物は私のお金で買いなさい。これからも色々と頼むつもりだから、そうして欲しいんだ。
琴 乃 : 分かりました。
「イセ様、上級の魔導書とのことでしたが、どちらのものでしょうか?」
梯子を担いだハンスが戻ってきた。
ハンスの質問に答えようとした矢先、
「私は娘さんと一緒に訓練場に戻りますが、刑事さんはどうしますか?」
「伊勢さんも一緒に戻って訓練を再開しましょうよ」
なんともマイペースな娘だ。
だが、蔵之介としてもいま書庫を離れるつもりはなかった。
「そうして頂けると助かります。指導員を分断しなくてすみますから」
梯子を担いだハンスが安堵したように言った。
蔵之介がこの場に残り、三好と清音が訓練場に戻ると、長時間に渡って引率の指導員が二分されるのだと分かった。
その事実に蔵之介はほくそ笑む。
「西園寺さん、申し訳ない。これから滅多に見られないような魔導書を、見せてもらうところなんだ。気が済むまで見たらそっちへ向かうよ」
蔵之介のセリフにハンスが無言でうなだれる。
「残念です。じゃあ、また後でー」
「それじゃ、私は娘さんと戻ります」
そう言って出口へ向かう二人に、先程から清音たちに張り付いていた二人の指導員が続いた。
蔵之介の口元が綻ぶ。
「ハンスさん、上級の魔導書、三冊すべてお願いします」
笑顔の蔵之介とは対照的にハンスが渋面を作って胃の辺りに手を当てた。
◇
蔵之介が最後となる中級の紋章魔法の魔導書に、目を通し終わったところでハンスが音を上げた。
「イセ様、そろそろ戻りませんか?」
ハンスの言葉に蔵之介はギフトパネル内のデジタル時計を見る。
時刻は十七時になろうとしていた。
「いまから訓練所に戻るんですか? 到着する前に訓練は終了していますよ。皆が帰るまでここで魔導書を見ていましょうよ」
笑顔を伴って返す。
中級までとはいっても、蔵之介にとっては十分以上の収穫があった。
ルファから渡された魔導書。
初級の紋章魔法を発動させた感動。それが薄れる程の興奮を蔵之介は覚えていた。
上級と中級の紋章魔法。
初級の紋章魔法と比べて、その価値に天と地ほどの差がある。少なくとも蔵之介にはそう感じられていた。
自然と口元が綻ぶ。
そのとき、激しい音を伴って書庫の扉が乱暴に開けられた。
続く慌てた声。
「た、大変ですっ、ゲーリング様!」
ハンスはベルナーと視線を交わすと、
「ベルナー、ここを頼む」
そう言って駆け出す。
「勇者さまが、サイオンジ様が、大怪我をされましたっ。いま、光魔法のチームが治療に当たっています」
「何があった!」
蔵之介の叫び声が書庫に轟く。
手にしていた魔導書をベルナーに向かって投げると、ものすごい勢いで駆け出した。
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