第二部

プロローグ

 伊勢蔵之介いせくらのすけの笑顔が引きつる。


「伯父様、私に何かお話することはありませんか?」


 ギフトパネルに映しだされた相馬琴乃そうまことのが穏やかな笑みを浮かべた。

 普段の蔵之介なら、小首を傾げる仕草に愛らしさを覚えるところなだが……


 蔵之介は従妹姪である琴乃の、冷え切った視線と“伯父様”という呼称で彼女が不機嫌なのを感じ取っていた。

 これは相当、怒っているな……


 まずは連絡を怠っていたことの謝罪から入る。


「やあ、琴乃さん。なかなか連絡を入れられなくて申し訳なかったね」


 蔵之介が内心の動揺を表にだすことなく、穏やかな笑みを返した。

 LIONというメッセージソフトで、事前に連絡をしておいたことを強調する。


「概要は事前にLIONで送信したけど、読んでくれたかな? 詳しいことは後で話すけど、こちらもいろいろと大変だったんだ」


「ええ、清音きよねからいろいろと教えてもらいました」


 琴乃はそう言うと、一枚の紙を顔の前にかざす。

 ギフトパネルに大写しになった。


 見覚えのある丸い文字。

 つい最近みた筆跡だ。


『琴乃へ 清音より』


 西園寺清音さいおんじきよねが琴乃に宛てた手紙の表に書いてあった文字が蘇る。

 蔵之介が清音に頼まれて送った琴乃宛ての手紙。


『伊勢さん、これをお願いします』


 清音が手紙を差しだしたときの純真そうな顔が脳裏をよぎる。


『琴乃には、私が無事だっていうことを、私の言葉で伝えたいんです。お願いします』


 何の疑いも持たずに送った手紙が眼前に映しだされていた。


 ギフトパネルいっぱいに広がった手紙の文字を目で追う。

 蔵之介の耳に、己の心臓が早鐘のように激しく打つ音が聞こえる。全身から嫌な汗が噴きでる。背中に冷たいものが流れ落ちる。


「伯父様、私の友人にセクハラをしましたね」


 氷点下を連想させる琴乃の声。


「そう、だね。そんなつもりはなかったんだけど――」


「清音は悲しんでいました」


 蔵之介の申し開きをピシャリッと遮ってそう言うと、ハンカチを取りだした。


「……私も傷つきました。まさか信頼する伯父様が女子高校生に、私の友人にセクハラをするなんて」


 ギフトパネルの向こうで琴乃が泣き崩れる。


 嘘泣きだ。

 経験則から瞬時に蔵之介が見破った。だが、それを指摘できる雰囲気ではない。


「琴乃さん、その、ごめん。もうしません。西園寺さんにも、きちんと謝ります」


「信じてもいいんですね?」


 ハンカチで涙をぬぐいながら、上目遣いでこちらをみる琴乃の姿が映る。


「やだなー。琴乃さんに嘘を吐く訳がないでしょう」


「信じていいんですね?」


 そう聞く琴乃の目は『さんざん嘘を吐いてきて、信じてもらえると思っているんですか?』、と語っていた。

 だが琴乃もそれを口にだすほど、子どもではない。


 蔵之介に至っては、素知らぬ顔で話を続ける。


「もちろんだよ、私も少しやりすぎたと反省していたところだ。この後、西園寺さんに謝罪する。約束するよ」


「分かりました。蔵之介さんを信じます」


「ありがとう」


 平謝りする蔵之介に『それはそうと』、と琴乃が話題を変えた。


「先ほど『国境を越えたので安全』、と言っていましたが油断はしないでくださいね」


「愛する琴乃さんの待つ世界に帰らないとならないんだ。慎重に行動するよ」


「まあ、蔵之介さんったら。でも、その言葉を聞いて安心しました」


 琴乃の口調が弾む。

 落ち着いた雰囲気が消え、子どものような笑みを浮かべた。


 嘘泣きが見破られていないと思っていたり、簡単に機嫌を直したりする琴乃を見て、『まだまだ子どもだな』と微笑ましく思う。


「それで、頼んでおいたモノは調達できた?」


「食材と炊飯器は手元にありますが、ドローンはまだ届いていません」


「ありがとう、助かるよ。ドローンが届いたら連絡を頼むね」


「それはいいのですが……」


 言葉を濁す琴乃の様子に蔵之介が心配そうに聞く。


「何かあったの?」


「この二日くらい、監視されているような気がするんですけど……」


 琴乃の不安そうな顔が映る。

 蔵之介が異世界に召喚された二日後、自宅に警察から問い合わせが入った。対応したのは同居人である琴乃。


 現職の刑事が突如行方不明になったのだから、内部では当然騒ぎとなっている。

 事件に巻き込まれた可能性を考慮して唯一の肉親である琴乃にガードが付くことも十分に考えられた。


「私が事件に巻き込まれた可能性を考えて、琴乃さんのガードをしているんだと思うよ」


「そうですか。それを聞いて少し安心しました」


 実際に事件に巻き込まれたんだがな。

 内心で蔵之介をそうつぶやくと、その後の警察の動きについて琴乃に尋ねた。


「あれから連絡は?」


「毎日あります。いつも同じ方で、南部さんとおっしゃる若い感じの方です」


 南部天音なんぶあまね

 蔵之介の部下の一人で二十代半ばの女性だ。


「それで、その後も何か聞かれた?」


「刑事さんと直接お話したのは、訪問を受けた日だけです」


 連絡が途絶えた日の朝、駅に到着したとの連絡が入り、その通話中にバスが来たのでスマホを切ったこと。

 蔵之介の指示通り、正直に伝えていた。


 実際、琴乃の通話記録に残っている蔵之介との交信はそれが最後で、異世界との通話記録は残っていなかった。


「意外とあっさりしているな」


「『帰宅すると連絡があったにもかかわらず、戻らなくて変だとおもわなかったのか?』とか、『不安にならなかったのか?』、とは聞かれましたよ」


 琴乃が疑われる可能性に、蔵之介の心臓が跳ねる。


「それで、何て答えたのかな?」


「『二・三日連絡もなく突然帰宅することは、これまでにも幾度もありました』。そう伝えたら苦笑いをしていました」


「そう、そうだよね」


 蔵之介も苦笑いを浮かべた。


「あのう、私が蔵之介さんを誘拐したと疑われたりしませんよね?」


「まさか」

 

 琴乃の不安を蔵之介が一笑した。


 蔵之介だけでなく、西園寺清音と男子高校生三人。さらに彼らを乗せていたであろうバスと、運転手の三好誠一郎みよしせいいちろうが行方不明なのだ。

 一介の女子高生を疑うことはない。


「ですがミスト発生装置を、五台もまとめ買いする女子高生って、メチャクチャ怪しくないですか? しかも今度はドローンですよ」

 

 ドローンの方は一台だけなのでどうにでもなりそうだったが、ミスト発生装置は失敗だったかもしれない。

 蔵之介が唇をかむ。


「ミスト発生装置は、琴乃さんが私から頼まれていたのを、思いだして買ったことにしよう。ドローンは春休みにキャンプに行く予定で、そこで飛ばして遊ぶつもりだったとでもしておこう」


「わかりました」


「実は琴乃さんに贈り物があるんだ」


 琴乃の機嫌が直ったのを見て取った蔵之介が話題を変えた。


「贈り物? 指輪ですか? 指輪ですよね? 大丈夫です、心の準備はできています!」


「よ、よくわかったね。一つは指輪。もう一つはネックレスだよ」


 琴乃の勢いに若干引き気味になりながらも、蔵之介はストレージの中にあった指輪とネックレスを彼女に送る。

 すると、突如琴乃の眼前にブラックホールのような黒い円が現れた。


「き、急に!」


 琴乃が慌てて椅子から立ち上がる。

 ほぼ同時に硬質な音を立てて、指輪とネックレスがキーボードの上に落ちた。


 プラチナの台座にサファイアが埋め込まれた指輪とネックレス。


「届いたかな? いまからその指輪とネックレスの説明を始めるね」


「大丈夫です、もう着けました」


 説明を聞いてから着けるようにしような。

 蔵之介は思いながらも、左手の薬指にはめた指輪を恍惚とした表情で見る琴乃を前に、注意をうながすことはできなかった。

 

 自然な流れで話を続ける。


「台座はプラチナ製、だと思う。宝石は多分サファイア。デザインと宝石は私の一存で選ばせてもらった」


「嬉しいです。私、幸せになります!」


「琴乃さんも最近は大人っぽくなったし、色白だからサファイアが似合うかな、と思ってね」


「そ、そうですか? いえ、そうですよね。私も、もうすっかり大人の女性です!」


 初めて宝石をもらって舞い上がっているのだろう。

 琴乃の反応に蔵之介が苦笑する。


「ここからが本題だ」


「こ、心の準備はできています!」


「その指輪とネックレスには、私が紋章魔法で魔法の効力を付与してある。こちらの世界で言うところの『魔道具』というものだ」


「……魔道具?」


 琴乃の頭の中で爆発しかけていた妄想が急速にしぼむ。


「不可視の障壁が自動で展開して、身に着けている者を自動で守る魔道具だ」


 蔵之介が『これで交通事故にあっても無傷ですむよ』と朗らかな笑顔で付け加えた。


「こ、これは……私のことを心配して?」


「当たり前じゃないか。私にとって琴乃さんはこの世で一番の宝物だからね」


「指輪やネックレスよりもその言葉が嬉しいです! もう何でも言ってください。ドローンもっと買いましょうか? 必要なだけ言ってください!」


「いや、ドローンはもういいよ。それよりも、その魔道具がそっちの世界でちゃんと機能するか実験しよう」


「はい!」


 トラックに飛び込みそうな勢いで琴乃が返事をした。

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