第33話 国母の条件

月日が流れ、黒音は毎月のように、医師の見立てが必要となった。

「ああ。大分お腹も、大きくなりましたね。」

「お陰様でございます。」

王宮付きの医師が常駐する場所は、白蓮の屋敷のすぐ側だった。

お腹の子が、男か女か心配する白蓮が、黒音に内緒で医師の元を訪れていた。


「ああ、お腹のお子は、皇子なのか姫なのか。まだ分からぬかの。」

白蓮は女人と一緒に、ウズウズしていた。

そんな白蓮の姿に、黒音は気づいていた。

診察が終わり、黒音はお腹の布を直す。

「お腹のお子は、順調ですか?医師殿。」

「えっ!……あ、ああ……そうですね。」

曖昧な返事をする医師。

だが黒音は、そんな事どうでもよかった。


帰りがけ、黒音はわざと、白蓮が覗いている側を通った。

「あら、白蓮様。」

「ああ、黒音か。」

黒音付きの女人、桂花も白蓮に頭を下げた。

「このようなところで、何をなさっているのですか?」

まさか、黒音のお腹の子を気にして来たと言えない白蓮は、そのことをはっきり言葉にできない。

「少し、体調が悪くてのぉ。」

白蓮は、袖で顔を隠した。

「まあ。御身大切になさって下さい。」

黒音は、クスッと笑う。

そのまま、白蓮の横を通り過ぎようとする黒音に、白蓮は声をかけた。


「お腹のお子の、調子は如何?」

黒音は立ち止まると、チラッと白蓮を見た。

「ええ。順調ですわ。」

「そう。それはよかった。」

白蓮はそう言うと、また黒音はクスクス笑いだす。

「いくらお妃様でも、正妃様に対して無礼な!」

たまりかねて、白蓮付きの女人が、黒音にきつくあたる。

「よいのです。」

「でも……」

白蓮が女人を、引き留めた。

それを見た黒音は、またもや白蓮を見ながら、笑いだす。


「あーあ。お子が産めない正妃様程、虚しい方はおりませんね。」

黒音の言葉に、その場にいた白蓮の女人達は、凍り付いた。

「他のお妃が産んだお子を、自分のお子のように育てようと言うおつもりでしょうが、お子にとって母君は、生母のみ。いくら慈しみ育てようと、あなた様をお母上と崇める事は、ないでしょうね。」

白蓮付きの女人が、また黒音に何か言おうとしたが、直前で白蓮が止めた。

「白蓮様。お腹のお子は、男の子でございますよ。」

白蓮は、静かに黒音を見た。

「それは確かなのですか?」

「ええ。つわりが酷い時には、男の子が生まれると申します。」

黒音はわざと、白蓮の前でお腹を、大げさに撫でた。

「それは目出度い。跡継ぎが産まれるのも、時間の問題ですね。」


何を言っても冷静な白蓮に、黒音は白目を向ける。

「余裕を持っていられるのも、もう少しですよ。」

更に、黒音の攻撃は続く。

「私に男の子が産まれれば、その子は跡継ぎになるはず。そうすれば、私は国母だわ。」

お付きの桂花は、ハッとして黒音を止めた。

「黒音様、どうかその辺で……」

「いいのです、桂花。」

白蓮の凛とした言葉が、辺りに響き渡る。


「黒音。あなたが産んだお子が、次の王になれば、あなたは国母になるでしょう。いくら正妃の私でも、その地位には敵わない。」

白蓮の言葉を聞いて、黒音はニヤッとした。

遂に自分の時代が、訪れるかもしれない。

蔑まれ、塵のように扱われた自分が、何よりも尊い存在に成り得る時が。

「ですがあなたには、その気構えがあるのですか?」

「気、気構え?……」

一瞬にして、黒音の顔が歪んだ。

「国母としての立ち振る舞い、言動、教養、加えて皇子への接し方、躾け。それを学ぼうとしていますか?」

黒音は、白蓮の言葉に圧倒された。

そんなモノ、王族に生まれ育った訳ではない黒音には、分かるはずもない。

ましてや虐げられた人生を送った黒音は、学校に行く事もできず、一般教養など、無いに等しい。


「……知らぬ事を、責めているのではありません。もし、本当にその子が皇子だと思うなら、今からでも国母としての在り方を、学んでほしいのです。」

黒音は、奥歯を噛み締めた。

「嫉妬ですか?」

「愚かな。他の妃達が王の子を産む事に、正妃が妬んでどうすると言うのです?」

「そう言って、私のお子を奪うおつもりなのでは?」

「黒音。妃達のお子は皆、王と正妃である私のお子です。わざわざ産みの母であるあなたから、奪う必要などありません。」

何を言っても正論で返してくる白蓮に、黒音は敗北感を募らせるしかなかった。

「さすがは正妃様。ご立派なお考えをお持ちなのですね。」

桂花が黒音の裾を、激しく引っ張る。

「お陰様で、頭が痛くなってきましたわ。お腹のお子に障りがあってはいけないので、これで失礼させて頂きます。」

黒音はそう言うと、頭も下げずに去って行ってしまった。


あまりの光景に、白蓮付きの女人達は皆、ため息をつく。

「大変なお方を、信寧王様はお妃に迎えられましたね。」

「よいのです。まだ、自覚がないだけでしょう。」

そう言うと、白蓮は一人自分の部屋へと、向かっていく。

正妃の自分を差し置いて、自分が国母だと言う妃が現れる事は、子を産む事を、諦めた時から覚悟はしていた。

それも青蘭や紅梅のような、王宮で育った妃よりも、黄杏や黒音と言った庶民出身の妃達が危うい事も。

但し、ここまではっきりと、面と向かって言葉に出すなど、有り得ない。

妃達の中でも、一番新参者のくせに、何様だと思っているのか。

白蓮は、久しぶりに怒りで、体が震えそうになったが、そうならず冷静でいられたのは、自分がどうあがいても、国母になれないと言う悲しさからだった。


その日の夕食は、白蓮にとって辛いものになった。

年若い妃達なら、今日あの人に、こんな事を言われたと、可愛らしく言えるのだろうが、もう少しで40にもなる自分が、何を言っても恨みにしか聞こえない。

「どうかしたのか?白蓮。」

たまりかねて、信志の方から尋ねた。

「いいえ、何も……」

信志は、白蓮の顔色を図る。

俯いて、冴えない表情。


「昔から、あなたはそうだった。」

突然の王からの敬語に、白蓮は箸が止まる。

「どうしたのです?急にそのような、言葉使いをされるなんて。」

そこでも、冷静に切り返す白蓮。

だが返って、信志は箸を置いてしまった。

何事もないように、白蓮も箸を置く。

それは、幼い頃から夫が箸を置けば、自分も箸を置く事と言う、お妃教育によるものだった。

全くお妃教育を受けていない黒音に対して、白蓮が受けた教え、教育は全て、王の正妃になる為のものだった。

「あなたは、私よりも年上で、芯が座っている部分もあるけれども、それが時に、寂しく思う時があるのだ。」

「お寂しい?なぜ?」

「……私など、必要ないのかと。」

白蓮は思わず、隣に座る信志の手を、腕ごと掴んだ。

「そのような事……ある訳ございません!」

「白蓮?」

「いつでも……あなた様の事を、必要としています。私には、なくてはならないお人です。」

だが信志は、白蓮の手をそっと、自分の腕から離した。

「だがそれは……私が王だからなのでは?」

「えっ……」

「あなたは、幼い頃から正妃として、申し分ない人だった。それに応えようと、夫として奮起してきたけれど、時々思うのだ。私が皇太子にならなければ、あなたとの結婚は、なかったのではないかと。」

信志は、まだ子供の頃の事を思い出した。


実は信志には、5歳上の兄がいた。

白蓮は兄の2歳年下で、兄のお妃候補だったのだ。

だが兄は、まだ若い時に病気で、この世を去った。

そこで2番目の皇子である信志が、皇太子になり、白蓮がそのまま皇太子妃になったのだ。

もし兄が生きていて、白蓮がそのまま兄の正妃なっていれば、信志は同年代の別な王女と結婚していたはずだ。


「兄が亡くなってしまった以上、確かめようもないけれどね。いつか私の妻になってよかったと、言って貰える日がくるとよいのだが。」

そう言って信志は、また寂しそうに笑う。

「さあ、食べようか。あなたも、食べ足りないでしょう。」

信志は再び箸を持つと、目の前にあった料理を、白蓮に取り分けた。

だが白蓮は箸を付けずに、静かに涙を流している。

「白蓮?」

顔を覗き込むと、白蓮はそれをすり抜けて、自分の懐の中に入ってきた。

「王に兄上様がいたなんて、初めて聞きました。」

「えっ?」

「もしかしたら、私に紹介する前に、兄上様は亡くなったのかもしれません。でも、私の中で結婚する相手は、あなたお一人でした。」


まだ両親と一緒に暮らしたい盛りに、今からここに暮らすのだよと、連れて来られた王宮。

王族の遠い親戚で、物心ついた時から、王の妃になるのだと言い聞かされていたけれど、一体誰の妻になるのか、一切知らされていなかった。

やっと『お前の夫になる人だよ。』と、紹介されたのが、まだ子供だった信志だった。

だから白蓮は、信志以外に、結婚相手がいたなんて知らない。


「あなた様だけです……私が、たった一人の方だと、決めたのは……」

自分の胸の中で、嗚咽を漏らす年上の妻を、信志は離す事などできなかった。

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