第37話 偽りの子

白蓮の部屋と、処置室は同じ屋敷内にある。

処置室まで歩く間白蓮は、途方もない時間が流れているかのように思えた。

もし黒音が、自分の想像だと認めれば、堕胎の薬を使わずに済む。

苦しい事も悲しい事も、時間が流してくれるかもしれない。

でも黒音が、認めなければ?

答えは、もう決まっている。

白蓮は、ため息を一つついた。


処置室についた白蓮は、そっと中を覗いた。

寝台に座り、処置が始まるのを、今か今かと待っている。

その表情は、どことなく悲しげなだ。

「黒音。」

白蓮が声を掛けると、その表情は一変し、いつもの黒音に戻る。

「黒音。処置が始まる前に、一つだけ聞きたい事があるのです。」

「何でしょう。」

固い表情。

黒音は、自分に懐いてはいない。


「……そなたのお腹の子の事なのですが。」

「今更、何だと言うのですか?」

黒音の目は、更にキツイ目に変わった。

白蓮は、大きく息を吸った。

「……あなたの、想像だと言う事は、ないですか?」

「えっ?」

黒音と白蓮は、しばらく睨み合った。

「医師は、お腹が大きいのに、御子に触れないと申しています。もしかしたら、最初から御子はお腹に、いないのではないかと。」

「そんな事はありません!」

叫ぶ黒音。

「確かにこのお腹の中に、王の子はいたのです!」

黒音は、大きなお腹を両手で抱えた。

「私には分かります。この中に、小さな命が宿っていたのだと。」

他に何も見えない黒音は、ずっとお腹だけを見つめていた。

「いくら正妃様と言えども、この命を侮辱する事は、私が許しません!」

白蓮は、黒音との間に、大きな壁を感じていた。


「分かりました。医師よ。」

「はい。」

そこで医師はやっと、姿を現した。

「黒音の事、お願いします。」

「は、はい。」

医師はてっきり、黒音が想像であると認め、堕胎の薬は飲まずに済むと思っていた。

「いいのですか?」

「ええ……」

白蓮は、黒音に背中を向けた。

「私は部屋にいます。何かあれば、直ぐに知らせて下さい。」

「はい……」

白蓮は、後ろ髪引かれる思いで、処置室を出た。


部屋に戻ると、信志が手を広げて待っていた。

「どうだった?黒音の様子は?」

「ええ。何も……」

だが白蓮は、浮かない顔だ。

「何かあれば、直ぐに誰かが知らせてくれる。それまで、ここで静かに見守っていよう。」

信志の瞳が、優しく白蓮を見つめる。

「……先ほどの老人に、言われました。」

「なんと?」

「私は元々、信志様の妃になる者だったと。」

「元から?それでは白蓮は、王妃にはなれなかったというのか?」

「いいえ。最初から決まっていたのです。兄君様が亡くなり、あなた様が王になる事も。あなた様と結婚して、私が王妃になる事も。」

信志と白蓮は、お互いを見つめた。


「私達がこうなる事は、運命だったという事か……」

白蓮は、ゴクンと息を飲んだ。

跡継ぎは、必ず産まれると言う事を伝えるのは、今を置いて他にないと。

「そして……その老人は、こうも言っていました。」

「ん?」

「王に……跡継ぎは、必ず産まれると……」

白蓮の言葉に、信志は目を見開いた。

「それは、一度懐妊した妃から産まれるとか。だとすれば、黄杏か黒音のいづれかでございます。」

興奮した白蓮は、信志にしがみついた。

「王。これからしばらくは、黄杏の元へお通い下さい。黒音もいづれ体が回復したら……」

「白蓮。」

白蓮はハッとした。

「私がどの妃の元へ通うかは、私が決める。」

「王……」

「だから、あなたの元へも通う。いいね?」

真っすぐに見つめてくれる優しい瞳に、白蓮は罪悪感と幸福感が混ざり合う。


「それにしても、黒音の治療は終わっていないのか?」

信志は、侍従に尋ねるとまだだと言う。

「分かった。まだここで、待っていよう。」

そうは言ったが、3、4時間しても、まだ終わらない。

「遅い!まだ終わらないのか!」

しびれを切らした信志は、白蓮を連れて、黒音の処置が行われている治療室へと足を運んだ。

「医師よ。黒音はまだなのか?」

「は、はい。それがなかなか、お産の印も出てきませんでして……」

信志は、壁に拳を打ち付けた。

「王。黒音のお腹の子は死んでいるとしても、初めてお子を出産するのです。もうしばらく待ちましょう。」

信志は仕方なさそうに、廊下に出て、診察室の前にある椅子に座った。

「……もっと、簡単な事だと思っていた。」

信志は、クシャクシャと頭を掻きむしる。

「今頃は、全てが終わって、黒音と話ができるものだと、思っていた。」

その苦しみは、白蓮にだって分かる。

自分だって、こんなに時間がかかるものだと、考えもしなかった。


やがて夜になり、処置が始まって6時間経っても、黒音のお産は終わらなかった。

処置室の中からは、悲鳴に似た黒音の唸り声が聞こえてくる。

「黒音……」

信志は、その声に扉にしがみつく。

「まだなのか……」

それを聞いても、答えは知っている。

外にいる者は、ただただ、待つしかないのだ。


その時だ。

急に処置室の戸が開き、医師が廊下に出た。

「白蓮様……」

青い顔をして、医師は白蓮の側にくる。

「どうしました?」

白蓮が心配そうに声を掛けると、医師の額には汗が流れた。

「……いくら堕胎の薬を飲ませても、一向に産道が開く気配がありません。もしかしたら……」

医師の慌て振りに、信志は食らいつく。

「もしかしたら、何だと言うのだ!」

王の鬼気迫る表情に、医師は言葉を失う。

「王……」

白蓮はこれ以上、隠しておくことはできないと、信志を連れて処置室から、離れた場所に来た。

「実は黒音に、疑いがかかっています。」

「疑い?何の疑いだ!」

信志はやけに、興奮している。

「……想像妊娠の疑いです。」

「想像?あのお腹の子は、黒音が作り出したまがい物だと言うのか!」

「本当の事は分かりません。医師も区別がつかないと申しておりますし、何より黒音が、自分のお腹の子は、本当にいると言っているのです!」

信志は、白蓮に背中を向ける。


「黒音に、聞いてみる。」

「もう既に、私が聞いています。ですが、認めないのです。」

「私なら、本当の事を話してくれるかもしれない!」

信志は、全身を使って、怒りを示していた。

「……私だから、黒音は認めなかったと言うのですか?」

白蓮は、胸が痛かった。

「女同士には、分からぬ事だってある。」

そう言って信志は、黒音がいる診察室へ入って行った。

自分が一番だと言ってくれた夫が、今は他の女の味方をしている。

白蓮は、居たたまれない気持ちになりながら、その場に立ち尽くすしかなかった。


一方、診察室に入った信志は、全身のたうち回りながら、うんうん唸っている黒音の手を取った。

「黒音、しっかりしろ!」

だが黒音の元の耳には、自分の声すら届いていないようだ。

「黒音……」

なぜこのように、苦しまなければならないのか。

信志の目には、いつの間にか、涙が溜まっていた。

「……王、泣かないでください。」

黒音が、薄っすらと目を開けていた。

「黒音!」

「この子は、手放す事になりましたが、次は必ず……必ず……うっうううううう!」

のたうち回る黒音を見て、医師はまた白蓮の元へ、駆け寄った。

「白蓮様!これ以上は、無理です!」

「えっ?」

「黒音様の処置を中止しなければ、命が危のうございます。」

白蓮は、急いで処置室に入った。

中では黒音が、激しいお腹の痛みに、体をばたつかせている。

「お腹の子は、どうなるのです?」

「……もし本当に懐妊されているのであれば、御子はこのまま黒音様のお腹の中に居続ける事でしょう。」

「えっ?では?」

「はい。黒音様は、2度と御子を懐妊される事はなく……」

白蓮は、その場に座り込んだ。


「もういい!黒音に子ができなくなったとしても、命の方が大切だ!処置を止めてくれ!」

信志は、黒音の手を握りながら叫んだ。

そんな中、白蓮の頭の中で、あの骨と皮ばかりの老人の言った言葉が、響き渡る。


- 王の跡継ぎは、一度懐妊された妃から産まれる -


黒音の懐妊が、彼女の勝手な想像であれば、ここで処置を止めなければ命を落としてしまう。

だが、黒音の妊娠が本当ならば?

跡継ぎが産まれる可能性を、奪ってしまう事になる。

白蓮は、頭を抱えた。

「白蓮様!」

医師の声が、白蓮を追い詰める。


- 跡継ぎは、必ず産まれる -


「もっと黒音に薬を!」

白蓮は、医師の腕を掴む。

「黒音を、再び懐妊できる体にするのです!」

「は、はい!」

医師は慌てて、黒音に飲ませる薬を用意した。

「白蓮!」

それを聞いていた信志は、白蓮に詰め寄る。

「黒音が、どうなってもいいのか!」

「王よ!これは、我が国の為です!」

白蓮は、信志に臆することなく、言い放つ。

「王は……ご自分の代で、この国を終わらせるおつもりですか!」

「くっ……」

信志が、右手を強く握りしめた時だ。

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

黒音の苦しそうな声が、二人の耳に聞こえてきた。

「王!黒音様が!」

側についていた桂花が、信志を呼ぶ。

「黒音!黒音!!」

そして信志は、白蓮を置いてまた、黒音の元へ行ってしまった。

「黒音、しっかりしろ!」

「うっ……ううううううう!」

背中をのけぞり、顔は苦しみに歪んでいる。

「黒音!」

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