第38話 第2夫人
「あっ……」
その瞬間、黒音は白目を向き、バタッと体から力が抜けた。
「黒音?黒音!」
「黒音様!黒音様!」
信志と桂花が、黒音を揺する。
「医師よ!黒音は、どうしたのだ!」
医師は、黒音に飲ませる薬を、その場に落とした。
「黒音様!」
急いで黒音の口に、自分の耳を近づけ、手を握り脈を診たが、全く脈は触れない。
呼吸も聞こえてこない。
黒音の胸に耳を当てても、心臓の鼓動は聞こえてこなかった。
「っ……!」
「医師よ!」
信志は、医師を起こした。
「黒音様は……息を引き取られました。」
「えっ!?」
信志はあまりの事に、言葉を失った。
「黒音様!黒音様!目を開けて下さい!黒音様……」
桂花は、黒音の体に泣きすがった。
「なぜ、こんな事に……あああああああ!」
それを見た信志は、フラッと立ち上がる。
「王……」
白蓮はそんな信志に手を伸ばしたが、手を振り払われた。
「私に障るな!」
信志は、これまでに見た事もないような、鋭い目で白蓮を睨んだ。
「……どうして、黒音を殺した!」
「王!」
「子を成す妃なら、他にもいただろう!なぜ黒音にだけ、その責を負わせたのだ!」
泣き叫ぶ信志に、白蓮は返す言葉もない。
「幸せな暮らしを約束したと言うのに……黒音が、何をしたと言うのだ。」
白蓮は、唇を噛み締めた。
黒音がした自分への侮辱。
嘘の懐妊でも、全く認めようとせず、そればかりか自分を陥れようとしているのかと、脅す顔。
「恐れながら黒音は……王を欺こうとしていたのです!」
「私を欺く?」
「これ程までに堕胎の薬を飲んでも、一向に産気づかないのは、黒音が嘘の懐妊を企んだからです。医師にも聞きました。間違いありません!黒音がこうなったのも、自業自得かと!」
すると信志は、白蓮の頬を強く叩いた。
「王……」
「だから、黒音の命を奪ってもいいと言うのか。」
静かに怒る信志の目からは、涙が次から次へと溢れてきた。
「黒音の懐妊が嘘だっとしても、それを暴き、改心するように諭すのが、おまえの役目だろう!それとも何か?黒音に悪態をつかれたのが、許せなかったと申すのか!」
「っ……」
白蓮は、芯をつかれた気がして、息が止まった。
あの時、医師にどうするか聞かれた時。
もちろん、国の為に黒音の為に、もう一度懐妊してほしい気持ちもあったが……
一瞬、黒音が死んでもいいと、思ったのは確かだ。
「おまえは何て、恐ろしい女なんだ!そんな悪妃と、夜を過ごすなんて、二度とできるか!この前、おまえとの子が欲しいと言った事も撤回だ!」
「そんな!」
「命を軽んじるおまえに、命を宿す資格はない!しばらく、部屋で謹慎していろ!」
信志はそう告げると、白蓮の屋敷を出て行った。
「王……」
白蓮は、床に崩れ落ちた。
「あの……白蓮様……」
医師が話しかけたが、白蓮は気が抜け落ち、ただただ呆然としているだけだった。
それから黒音の喪が続き、信志は夕食を、第2妃の青蘭と摂るようになった。
信志はまだ子供の頃に、白蓮と結婚して以来、夕食はずっと白蓮と一緒だったせいか、どこかソワソワしている様子だった。
「……白蓮様と、喧嘩でもなさったのですか?」
青蘭は、夕食の料理を取り分けると、何となく信志に聞いていた。
「喧嘩ではない。あの者の名前を、もう出すな。」
何があっても、正妃・白蓮の事だけは、敬ってきただけに、この言葉は、青蘭にとっても心に引っ掛るものになった。
一方では、白蓮は部屋で伏せっていて、食事もろくに摂れず、体も細くなったと噂に聞く。
青蘭達には、黒音は子供を流産した際に、命を落としたと聞いたが、それと関りがあるのかと、青蘭は何となく思った。
「……今宵は、どのお妃の元へ行かれるのです?」
青蘭は、取り分けたお皿を、信志の前に置いた。
「しばらくは、紅梅や黄杏の元へは行かぬ。黒音の喪は、まだ続いているからな。」
青蘭から見て、黒音はあまり寵愛が深いように見えなかったと言うのに、今の信志からは、黒音の思い出しか出てこない。
死んだ後に、これ程までに王の心を捉えるとは。
青蘭は、黒音の裏側を知っているだけに、複雑な思いだ。
いつもであれば、夜を共に過ごす時には、ここで酒でも酌み交わすと言うのに、信志は黒音の喪を理由にそれもしなかった。
明日も早いからと、一人で寝台へ向かう信志。
青蘭には、その姿が痛々しく映った。
静かに寝息を立てる信志に、布団を掛ける青蘭。
肩まで伸びている長い髪が、王の色気をより増やしているようだった。
黒音の懐妊を知ってからは、全くこの屋敷を訪れていなかっただけに、青蘭は今隣で寝息を立てている信志が、不思議でならなかった。
「いつまで……一緒にいられるのか……このまま白蓮様と、仲違いしたままであればいいのに……」
ふいに寂しい気持ちを、青蘭は口にしてしまった。
その時だった。
背中を向けていた信志が、クルッと青蘭の方を向いた。
「では、白蓮の代わりに、正妃になるか?」
「えっ?」
信志は、目をそっと開けると、青蘭に腕枕をした。
「白蓮と別れれば、そなたが正妃だ。そうすればずっと、一緒に夕食を共にできるぞ。」
青蘭は、突然の事に起き上がる。
それと一緒に、信志も起き上がる。
「どうした?私の正妃になるのは、嫌か?」
「嫌ではありません。ただ……私には、過ぎた身分でございます。」
寂しく呟く青蘭を、信志は後ろから優しく抱きしめた。
「そなたは、隣国の王の直系の姫君ではないか。白蓮は、この国の姫君だが、分家の出身だ。身分だけなら、そなたの方が上ではないか。」
「今はもう無くなった国です。それに白蓮様は、産まれてからずっと王妃なる為の教えを受けた方。私には、及びません。」
信志は、青蘭の髪をゆっくりと撫でた。
「青蘭……私の元へ来て、幸せか?」
突拍子もない質問に、青蘭は振り向く。
「もしかしたらそなたには、他の嫁ぎ先もあったかもしれない。そうすれば子も産み、国を再興する事も……」
「王……」
青蘭は、信志の首元に手を回した。
「私は、王の側にお仕えできて、幸せでございます。」
「そうか?」
信志は、青蘭の額に唇を着けた。
「……もし、私に子ができれば、内乱の種となりましょう。ですから、産まない方が良いのです。」
子供が欲しいと願っても、できなかった白蓮。
子供を授かったと嘘をついて、命を落とした黒音。
子供を諦めざるを得なかった青蘭。
どれも信志には、哀れで仕方がなかった。
「青蘭……私には、どうしても分からない。どうしてそんなにも、子に拘るのか。養子を迎えても、この国は続くではないか。」
「それは皆……優れた力を持つ、王の血を引く子を、この目で見たいからなのだと思います。」
青蘭は、もっと強く信志を抱きしめた。
しばらくして、黒音の喪が明け、筆頭女人である桂花が、宮殿を去る日がやってきた。
黄杏は黒音を偲び、桂花の元へやってきた。
「今日で、お別れなのですね。」
「はい。今日まで、お世話になりました。」
桂花は、黄杏に頭を下げた。
「……他の、お妃に仕える事は、できないのですか?」
黄杏がそう尋ねると、桂花は少し考えて、口を開いた。
「黒音様だからこそ、お仕えすると、決めましたから、他のお妃様にお仕えする事は、ないと思います。」
「そうですか……」
黄杏は、桂花の肩をそっと掴んだ。
「達者で……」
「ありがとうございます。」
数秒後、黄杏の手が離れ、桂花に背中を見せた時だ。
「あの……黄杏様!」
桂花が呼び止めた。
「どうしたの?桂花。」
「白蓮様の事で……」
桂花は、少しだけ黄杏に近づいた。
「黄杏様が……また懐妊できるお妃様だと、見据えてご進言申し上げます。」
すると黄杏も、桂花に少し近づいた。
「また懐妊された時は、白蓮様にお気をつけあそばせ。」
「えっ?」
黄杏と桂花は、顔を見合わせた。
「今回の、黒音様の事。白蓮様が関わっていると思います。」
「白蓮様が?なぜ?」
桂花は、体が震えだした。
「もしかしたら、黒音様は想像妊娠だったかと。」
「想像!……」
「シッ!」
慌てて桂花は、黄杏の口元に、指を当てた。
「それを知っていて、白蓮様は黒音様に堕胎の薬を、飲ませたのです。」
「そんな!」
黄杏は、口元を手で覆った。
「案の定、黒音様はそれで命を落とされた。白蓮様が、黒音様に嫉妬し、必要以上に堕胎の薬を飲ませたのが、原因だと思われます。」
黄杏のこめかみに、嫌な汗が滲む。
「黄杏様も、ご懐妊された時には、十分にお気をつけください。」
そう言って、桂花は王宮を去って行った。
「白蓮様が?……黒音を殺した?」
黄杏は一人、頭を押しつぶされるような気がして、苦しかった。
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