第26話 南方の役人

「黄杏!」

信志は倒れかけている黄杏を、抱きかかえた。

「大丈夫か?しっかりしろ!」

「はい……」

だがその目は、生気を失っている。

「お許し下さい。」

隣で将拓が、涙を流しながら、頭を下げている。


「私が全て悪いのです!やはりあの時、私が命を絶っていればこのような事は……」

「何を言うのだ!将拓!!」

信志は、将拓の肩を掴んだ。

「このような事で、命を粗末にしてはならぬ。もしそんなに死にたいのなら、一度死んだ気になって、国の為に尽くせ。」

「……ううっ………」

そして将拓は己の愚かさに、また涙を流した。

「なぜなんだ。」

信志は、声を震わせながら、顔を上げた。

「なぜ皆、過去にばかり囚われるのだ。この者が内乱を起こすという証拠でもあるのか?なぜもっと……この者の真の姿を見ようとはしないのだ。」

信志の目にも、薄っすら涙がたまっていた。


その一部始終を見ていた勇俊は、両手をぎゅっと握りしめた。

この三人の中に、何があったのかは知らない。

だが、人には分からない確固たる絆があるような気がして、どうにかしなければならない、その気持ちだけが逸った。

その時だった。

勇俊の横をすり抜けて、白蓮の前に姿を現した者がいた。


「白蓮奥様。そうだとすれば、私も同じ立場です。」

「青蘭……」

勝手に広間に入ってきた青蘭を、白蓮は冷ややかな目で見つめる。

その上、黄杏を宮中から追い出せるかもしれないと言うのに、何を言い出すのか。

「私にも、戦で行方知らずになっている兄がおります。」

白蓮の眉が動く。

「行方知らずの者を、数える気などない!」

「もし!その兄が生きていて、私に会いに来たとすれば、同じように不義密通の疑いをかけられるのでしょうか!」

「青蘭!お黙りなさい!」

「それとも、妃の資格あらずと、同じように宮中を追われるのでしょうか。」

しばらく睨み合う青蘭と白蓮。


青蘭は子は成さないとは言え、王の寵愛を受ける妃の一人。

白蓮にとっては、いなくなった方がよいが、一気にお妃が二人も減れば、また新たな妃を迎えろと、周りが言い出しかねない。

「分かりました。青蘭に免じて、ここは引きましょう。」

白蓮は、それだけを言うと、広間から出て行った。


しばらくして、広間には安堵のため息が漏れた。

「青蘭様。有難うございます、有難うございます!」

黄杏は何度も何度も、青蘭に頭を下げた。

「青蘭。私からも礼を言う。よくぞ、助けてくれた。」

信志も青蘭の肩をさすった。

「いいえ、大した事はしておりません。ただ……」

青蘭は将拓を見つめた。

「私の兄も、同じように訪ねて来てくれたらと思うと、居ても立っても居られなくなりました。」

「青蘭様……」

黄杏は青蘭が、どのようにしてここに来たのか、知っているだけに、胸が痛くなった。


「お妃様にも、兄君がおられるのですか?」

将拓が尋ねると、青蘭は横を向いた。

「戦で命を落としたのです。遺体も見つかっておりません。今もふと、生きているのではないかと、思う時があるのです。」

「それは……辛い事を言わせてしまいました。」

将拓は、青蘭の心の優しさと、機転の良さに深く感謝した。

同じ王の妃同士。

どちらが早く王の跡継ぎを生むかで、宮中は悪鬼渦巻いているのかと思っていたのに。

どうやらこの青蘭というお妃のお陰で、妹はなんとか暮らしていけているのかもしれないと、信志は感じたのだ。


「信寧王様……お妃様……」

将拓は、信志と青蘭の前に、両手を着いた。

「どうか黄杏を……妹をよろしくお願いします。」

「兄上……」

黄杏が将拓に、抱き着いた。

「私に似て不束者でございます故、どうか良い方に、お導き下さい。」

それを聞いた青蘭は、やっと微笑んだ。

「黄杏様は、お妃の役目をよくこなしております。何も心配されることはございませんよ。」

「……有難いお言葉、恐れ入ります。」

将拓はただただ、この二人に感謝するしかなかった。


引き下がった白蓮の後ろには、護衛長の勇俊が付き従った。

黄杏と将拓が兄妹だと言う事を、同じように偶然に知ってしまった勇俊。

白蓮だけが、悪者のように扱われるのは、気が引けた。

「お前はどのように、感じましたか?」

そんな勇俊に、白蓮は淡々と問いかける。

「……あのお二人が、兄妹かもしれないと言うは、白蓮様のご想像通りでしょう。」

「それで?」

「ですが王も忠仁様も、それをお隠しになっている。何かお考えがあっての事だと思われます。」

「ほう……」

「ここは、見て見ぬ振りをされるのも、一つの方法かと。」

すると白蓮は、突然立ち止まった。

「……お前、何か知っているのですね。」

「あっ、いや……」

「言いなさい。」

勇俊に、白蓮の視線が突き刺さる。

「……実は、将拓殿と同じ名の役人を知っています。」

「同じ名前?」

ゴクンと息を飲んだ勇俊。


「南方の役人で、文武両道に優れ、民からの信頼も厚いと聞いております。」

白蓮は、勇俊に背中を向けた。

「その者は、今も役人を?」

「いえ。風の噂では、突然行方不明になったとか。」

「行方不明……」

白蓮は、黄杏の隣に座る、あの商人を思い返した。


端正な顔立ち。

落ち着いた雰囲気で、聡明な感じ。

それなのに、命の危険まで冒して、妹に会いにくる人間臭さ。

分からないでもない。

あの男が役人だった頃、皆に慕われていただろうと言う事。

白蓮は、胸の前で手をぎゅっと握った。


「護衛長。一つ、頼まれ事を引き受けてはくれまいか?」

「はい。どのような事でしょう。」

白蓮はゆっくりと、後ろを振り返った。

「……あの商人の片目を、奪ってはくれぬか。」

勇俊は、恐ろしさのあまり、頭から血の気が引いた。

「なぜ……そのような事を……」

「この国の、行く末の為です。」

「そんな!」

白蓮は勇俊に、歩み寄った。

「このままでは、黄杏が跡継ぎを産むのは、待逃れないでしょう。国母の兄が、優れた役人。きっと王か忠仁、いづれかがあの男を宮中に招き入れるのは、目に見えています。そうなった時、何が起こると言うのですか?」


勇俊は、口をパクパクと動かした。

恐ろしくて、言葉にできないのだ。


「皆の知らないところで、王の親戚による独裁政治が、始めるとも限りません。そうならぬように、今から悪の芽は摘んでおかなくては。」

白蓮の王后としての、強い思いはわかる。

だがあの有能な男の片目を奪う事など、自分の手には、どうしてもできない。


「奥様。どうか、お許し下さい。」

勇俊は膝を着き、額を床につけた。

「なぜお前が、謝るのです?」

勇俊の体は、震えだした。

「私には無理です。どうか、そのような恐ろしい考えは、お捨て下さい。」

白蓮は片手で、勇俊の顎を上げた。

「恐ろしい?何が恐ろしいのです?」

白蓮のその目は、深い闇のようだった。

「奥様!」

勇俊は白蓮の手から離れ、体ごと後ろへ下がった。

「奥様の仰る通り、あの方がこの国の政治を、担う程のお人であれば!」

知らぬ間に勇俊の歯は、恐怖でカタカタと音が鳴った。

「そのような方の未来を奪うなど、一介の護衛にすぎない私には、到底できる事ではありません!」


白蓮は立ち上がると、冷たく言い放った。

「お前にできないのなら、他の者に頼むのみです。」

「えっ……」

勇俊は、直ぐに顔を上げた。

「他の者であれば、直ぐにやるでしょうね。」

「お待ちください!」

思わず勇俊は、白蓮の袖を掴んだ。

「……そこまで、あの男を?」

白蓮は、フッと軽く鼻で笑った。

「お前次第ですよ、護衛長。」

そう言うと白蓮は、袖を掴んだ勇俊の手を、振り払ってそのまま行ってしまった。


困り果てた顔で、勇俊は白蓮の屋敷から出てきた。

自分がやらなければ、他の者が将拓を襲う。

そうなれば、手加減などしないだろう。

本当に目が潰れてしまうかもしれない。

だったら、自分がやった方がいい。

でも、そんな事自分には、できない。

どうすればいいんだ。


頭を振りながら、いつの間にか黄杏の屋敷に辿り着いていた。

中からは、黄杏と将拓の幸せそうな笑い声が、聞こえてくる。

兄妹水いらずの夕食でも、囲っているのだろう。

いつもは黄杏の元へ行く信寧王も、青蘭の元へ行くと、通達があった。

問題はそこだ。

紅梅の屋敷に信寧王が訪ねるなら、隣同士、紅梅の屋敷を見守る護衛達が、刺客の壁になったかもしれない。

だが青蘭の屋敷は、紅梅の屋敷の向かい側だ。

黄杏の屋敷は、丁度死角になる。

闇に乗じて、ふいに屋敷から出て来た将拓を、襲うかもしれない。


勇俊は、そっと黄杏の屋敷の側に、近づいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る