第25話 下された判決
昼過ぎ、公務で宮中を出ていた信寧王が、帰還した。
出迎えた妃達の中に、黄杏の姿はない。
「黄杏はどうした?」
帰ってきたばかりで、直ぐに黄杏の名前を挙げる王に、他の妃は黙ったままだ。
「白蓮?そなた、何か聞いておらぬのか?」
声を掛けられた白蓮は、静かに信志の側に寄った。
「その事で、王にご相談がございます。後で、私と一緒に来て頂けますか?」
信志は、穏やかではない白蓮の表情に、胸騒ぎを覚えた。
「……めでたい話でも、なさそうだな。」
「はい。」
返事をした白蓮は、初めてかもしれない程に、申し訳なさそうな顔をしていた。
妃達の出迎えが終わり、着替えをしている信志は、白蓮の申し訳なさそうな顔が、頭から離れなかった。
黄杏の事で、白蓮があんな顔をするなんて。
黄杏に何かあったのではないか。
ふと、公務で外に出る時に、黄杏が『兄と会う』と言っていた事を思い出した。
まさか、誰かに見られた?
見られて、それが白蓮の耳に入った?
信志の額に、汗が滲んだ。
あの二人の事だから、兄妹だと言う事は、うまくごまかせているだろう。
だが問題は、将拓を黄杏の不義密通の相手だと、疑っているのでは?と言う事だ。
そうなれば、何の審議も無しに、あの二人を開放する事はできない。
どうすればいいのか。
「誰か、忠仁を呼んでくれ。」
信志は振り返った先に、白蓮が立っているのを見て、驚いた。
「忠仁が如何されたのですか?」
「あ、ああ……相談事があってな。」
だが白蓮は、何か言いたげに、ジッと信志を見ている。
「……お急ぎの件ですか?」
「そうだ。」
それでもまだ、信志から目を離さない白蓮。
疑う余地もない。
白蓮は、知っているのではないか。
黄杏と将拓の関係を!!
「白蓮?」
「はい。」
狼狽える事もなく、騒ぐでもなく、ただ静かにこちらの出方を伺っているようだ。「男同士の話なのだ。そなた、席を外してくれまいか?」
「分かりました。」
ようやく動いた白蓮と入れ替わりで、忠仁が信志の元へやってきた。
「王。黄杏様の事、お聞きになりましたか?」
「まだ聞いておらぬ。が、想像はつく。」
「秘密が漏れれば、我らの立場もありません。」
「だが、あの二人を放っておくこともできぬ。」
信志も忠仁も、将拓の忠誠心を知っている。
だからこそ、何とか守り通したい。
「私の責になさって下さい。」
「忠仁……」
忠仁と信志は、向かい合った。
「だがそれだけで、白蓮の目を誤魔化せるか。」
「私にお任せ下さい。」
いつもは客観的に物を見る忠仁が、やけに感情的だ。
「……そなた、もしやあの者に、心奪われたか?」
忠仁はフッと、笑みを浮かべた。
「国の為王の為、そして妹の為、我が身を犠牲にしようとしたのですぞ?奪われない者がおりますか?」
「それもそうだ。」
そして信志は、忠仁と共に、白蓮の屋敷の広間へと、足を踏み入れた。
そこには、神妙な表情で俯いている黄杏と将拓の姿があった。
「白蓮、この者は?」
「……先日の夜、屋敷の外の門で、逢引きしていたのです。」
「逢引き!?」
信志のわざとらしい驚き方に乗って、黄杏と将拓は口を開いた。
「王!私は決して、不義など働いておりません!信じて下さい!」
「私もです!お妃様には、指一本触れてはおりません!」
そんな事は、言われなくても十分に分かっている信志。
その時、白蓮が動いた。
「黄杏は……櫛が買い求めたかったが、品が定まらず、皆の目がある手前、夜にこの商人を呼び寄せたと申しております。」
「ほう、櫛を……」
「将拓と言う商人は、黄杏の美しさに目が眩み、それを受け入れてしまったと。」
「そうか。」
「私は、黄杏に妃の位のはく奪を、将拓には死刑を言い渡すのが、適当かと。」
「妃の位のはく奪と、死刑!?」
あまりの極刑に、信志と忠仁は目を合わせた。
「ですが、お互い自分が悪いので、相手には何も罪はない。黄杏は離縁を言い渡されてもよい、将拓の命を助けて欲しいと。将拓は、自分の命を差し出す代わりに、黄杏を罪に問わないでほしいと申し出ております。」
これにも、信志と忠仁は、胸が締め付けられた。
この兄妹は、こんなに追い込まれた状況でも、お互いを思いやっているのか。
「ここまでくれば、もう私の一存では、このお話を終わらせる事はできません。できれば王に、判断を仰ぎたく存じます。」
白蓮の真っすぐな視線。
本当に答えが出ずに困っているのか、それとも自分を試しているのか。
信志が、息を飲みこんだ時だ。
「この大馬鹿者が!!」
忠仁が将拓を、殴り飛ばした。
後ろへ大きく飛ばされた将拓は、壁に控えていた勇俊が、受け止めた。
「恐れ多くもお妃様に色目を使おうとしていたとは!商才がある故、宮中出入りに取り立ててやった私の顔を潰すつもりだったのか!」
「申し訳ありません!!」
将拓は、口元の血を拭い、忠仁の前に額をつけて謝った。
すると今度は忠仁が、王の前に頭を下げた。
「王。この者の才能と忠誠心は、私がよく存じております。決して王やお妃様に対して、不敬を働くような者ではございません。今回の事も、お妃様の願いを叶えて差し上げたいと言う、真心からの行動かと思われます。どうか、お慈悲を。」
「そうか。黄杏が不義を行うような者ではない事、誰よりもこの私が知っている。この二人に、罪はない。だが、宮中を騒がせた事に対しては、何かしらの処分を与えなければならぬだろう。」
黄杏と将拓は、頭を上げた。
「黄杏はしばらく屋敷で蟄居。将拓は3年の宮中出入りを禁止する。これで如何だろうか。」
これには忠仁や勇俊、そして黄杏も将拓も、笑顔になった。
「寛大な処置を頂き、有難うございます。」
黄杏も将拓も、涙を流しながら、お礼を言った。
「ではこの件に関しては、これまで。」
そう言って信志が忠仁と共に、広間を出ようとした時だ。
白蓮が、口を開いた。
「……解せません。」
その冷たい一言に、空気は一変した。
「この件、妃と商人の不義密通の疑いだけでは、ないように思えます。」
「白蓮、何を申すのだ?」
「この疑いの中に、国を脅かす大事が潜んでいるように、思えるのです。」
広間にいる白蓮以外の者全てが、凍り付いた。
「どういう事でしょう。奥様は、何を疑っているのですか?」
信志の代わりに、忠仁が尋ねた。
「……この二人の、関係でございます。」
「二人の関係?何もなかろう。ただの商人と客人だ。」
「それだけでしょうか。」
白蓮は、黄杏と将拓の顔を見つめた。
「王、この二人。面影が似ているようと思いませんか?」
信志は、わざと黄杏と将拓の顔を、観察した。
「……確かに似ているが、それがどうした?」
「はっきり申し上げた方が、よろしいですか?」
今度は白蓮と信志が、睨み合いだ。
「申せ。」
「……この二人、兄妹なのでは?」
すると信志は、大声で笑い飛ばした。
「顔立ちが似ていると言うだけで、兄妹だと言うのか。白蓮は面白い事を言う。他人の空似であろう。」
そして続けて忠仁が笑いだし、護衛長も後に続いた。
「さあさあ。可笑しな話もここまでだ。」
改めてクスクス笑う皆に対して、白蓮だけは冷ややかだ。
「では私の一存で、お二人を調べてもよろしいですか?」
その一言に、信志は笑うのを止めた。
「……なぜそこまで、この二人にこだわる?」
「この二人には、重要な事が隠されているかもと、申し上げたはずです。」
信志は、忠仁が止めるのも聞かず、白蓮に詰め寄った。
「我が下した判決に、意義を申すのか!」
白蓮に言い寄る様は、見ている周りの方が、ヒヤッとした。
「意義ではございません!本当の事を、知らねばならぬのです!」
尚、睨み合う信志と白蓮の間に、忠仁が割って入る。
「白蓮奥様、どうかお引き下さい。王も、少し感情を抑えて頂いた方が、よろしいかと。」
その言葉に、信志は白蓮から離れた。
その背中が、何か秘密ありげに見えたのを、白蓮は瞬時に悟った。
「私が……ここまで申すのは、この二人が似ているだけでは、ございません!」
「まだ言うか!」
信志は振り返りながら、白蓮に大きな声を浴びせた。
「恐れながらこの二人、なぜこんなにも、お互いを庇い合うのでしょう。」
「それは、己の愚かさで、相手の人生を狂わせると知った故だ!誰でもそうする!」
「そうでしょうか!少なくても私は、ここまで情をかける者達は、見た事がございません。」
「……そなた、この二人はやはり、不義密通をしているのかと、申すのか。」
「それは、王のご審議に従います。」
「一体、何を言いたいのだ?白蓮!」
「私はこの二人は、血を分けた兄妹なのではないかと、申し上げているのです!」
ここまで、信志と白蓮のやりとりを聞いていた黄杏と将拓も、忠仁も勇俊も、目を大きく見開いた。
知られてしまった!!
一番、知られてはいけない人に!!
「だとすれば黄杏は、妃の資格を有する者ではありません!王も知っているはずです!兄のいる娘は、王の妃にはなれないと!」
「ああ、知っている……」
「忠仁!そなたが付いていながら、黄杏が妃の資格を持っているのか、調べられなかったのか!」
側に控えていた忠仁は、どっしりと構えてこう言った。
「私が調べたところ、黄杏様に男の兄弟は弟君のみ。兄君は、おられませんでした。」
眉一つ動かさず、報告する忠仁。
自分に疑いがかかっていると言うのに、必要以上に落ち着いた雰囲気。
なぜなのだろう。
なぜそこまで、この二人を疑わずに、助けようとするのか。
「……もしや、王も忠仁も、知っておられたのか?」
「何を馬鹿な……」
信志は、額に汗を感じた。
「兄のいる娘を妃に迎えないのは、宮中に続いた大事な言わしめ。政治に混乱を招かぬ為でございます。王!恋に現を抜かし、それをお忘れになったのですか!?」
「白蓮……」
信志が白蓮の元に一歩近づくと、白蓮は同じ歩幅で遠のく。
「恐ろしい……黄杏をこのままにしておけば、いづれ内乱が起きます。その前に、宮中から去って貰うのが、適当かと。」
白蓮の言葉に、黄杏は顔を白くして、床に崩れた。
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