第24話 兄妹の絆
約束の日。
王である信志は、国務で屋敷を開ける為、妃達の屋敷をまわっていた。
当然、黄杏の屋敷へも足を運ぶ。
「黄杏。一晩だが留守にする。他の妃達と一緒に、宮中を頼むぞ。」
「はい。」
黄杏は引き出しの中から、小さな袋を取り出した。
「信寧王様、どうかこれをお持ちください。」
「ん?これは何か?」
信志は、その小さな袋を受け取った。
「お守りでございます。」
「お守り?」
信志は微笑むと、黄杏の側に近寄った。
「黄杏は一晩でも、我が身が心配と見える。」
「はい。王の身に何かありましたら、私は生きていけません。」
「はははっ!」
高らかに信志が笑った時だ。
黄杏は信志の耳元で、囁いた。
「今夜、兄の将拓が会いに来ます。」
信志はチラッと黄杏の方を向いた。
「……上手く、難を逃れたか。」
「はい。今は、商人をしております。」
「そうか。よかった。」
黄杏を妃にする時、”兄のいる娘を妃にはできない”という掟に悩んでいた自分に、命を捧げると言ってくれた将拓。
その忠誠心を、信志は忘れてはいなかった。
「で?どこで会う?」
「屋敷の外の門でございます。」
「分かった。今夜の護衛は、屋敷の中に偏らせよう。」
「有難うございます。」
兄妹の二人が、今度いつ会えるか分からない。
それは、信志もよく理解していた。
ほんの一時だけでも、会わせてやりたい。
心から、そう思った。
そして信志が宮中を発ち、夜を迎えた。
護衛は王の命令通り、屋敷の中に集中している。
衣類で姿を隠した黄杏は、同じように姿を隠した女人と共に、屋敷を出た。
屋敷の側には、何かあった時の為に、隠し道があった。
そこを通って、門の外に出た黄杏と女人。
護衛の姿は無く、代わりに将拓が待っていた。
「将拓殿!」
「黄杏様!」
二人は、最後の顔見せになるだろうこの時を、噛みしめるようにしがみついた。
その時だ。
「お二人とも!そこまでです!」
突然、松明の灯りが二人を照らした。
目を凝らして灯りの向こうを見ると、そこには護衛長の勇俊と数人の護衛がいた。
「なぜ……護衛長が……」
黄杏の額に、汗が滲む。
「……我々の他に、知っている者がいたのか?」
「我々の他は……」
将拓の言葉に、黄杏は後ろを振り返る。
そう。
黄杏と将拓以外に、会う事を知っているのは、信志ともう一人……
出店に付き添った女人だ。
「お、お許し下さい!!」
だがその女人が、震えながら膝をつく。
「そなた!」
「恐ろしかったのです!あまりにもお美しい二人が、夜に落ち合うなど、何かあるのではないかと!」
黄杏と将拓は、息が止まった。
何も知らない女人から見れば、自分たちは恋人たちに見えたのだ。
「ああ……」
「黄杏様。」
その場に崩れた黄杏を、将拓が支える。
二人とも、同じ事を思った。
私達は、ただの兄妹だと言えたなら。
「お二人とも。このまま奥様の屋敷へ、ご同行願います。」
「白蓮様!?」
黄杏は、背筋が凍った。
「お待ちください!」
思わず護衛長・勇俊の腕を掴んだ黄杏。
「悪いのは、私一人です!この方は、用があって私が呼んだだけです!」
ただ当の勇俊は、表情を崩さす、黄杏の腕を優しく外す。
「……言い訳は、奥様になさって下さい。私はお二人を、奥様のお屋敷にお連れするだけです。」
「護衛長!?」
お妃の屋敷が、連なる敷地内を守る護衛達。
その頂点に立つ護衛長の勇俊は、時々お妃達の屋敷を回り、不審な事はなかったか、聞く事もあった。
お妃達からの信頼も厚く、無論黄杏も同じだった。
それが、こんなにも非情な態度をとられるのか。
「黄杏様。」
妹の泣き崩れる姿を見て、将拓は妹を抱き起した。
「私があなたをお守り致します。さあ、行きましょう。」
「将拓殿……」
将拓に掴まり、なんとか立ち上がる黄杏に、勇俊は冷ややかな視線を送る。
「まさか、あなた様のような大人しい方が。このような不義を働くとは……王の寵愛も一際だったと言うのに。」
「護衛長!」
黄杏が手を伸ばすと、それを振り払うかのように、離れて行ってしまった勇俊。
「黄杏様、今はお静かに。」
そんな黄杏を、抑えたのは将拓だった。
「今は、我らの仲を疑っているだけです。疑いが晴れるまで、待ちましょう。」
温かい兄の言葉に、少しだけ救われる黄杏。
二人は意気消沈の中、勇俊に連れられ、白蓮の屋敷へと参上した。
客人をもてなす広間で、二人並んで膝をついた。
薄暗い中、ろうそくの明かりだけが、灯される。
静まり返った中、何もしゃべらずに白蓮を待つ黄杏と将拓。
床に膝を着いているせいか、黄杏の体は、足から冷えだした。
それを見かねた将拓が、自分の上着を脱いで、黄杏に渡した。
「黄杏様。この上着の上に、お座りなさいませ。」
「いえ、それでは将拓殿が……」
「いいのです。女の方は、体を冷やしていけません。」
今は兄の言葉が、一番心の染みる黄杏。
「……有難うございます。」
黄杏は涙ぐみながら、将拓の上着を敷き、その上に座った。
丁度その時だった。
白蓮が広間に、姿を現した。
黄杏と将拓の姿を見て、白蓮はため息をついた。
「まさか、本当に逢引きをしているとは……」
「お待ちください!」
黄杏は体を起こして、一歩白蓮に近づいた。
「やましい事など、何一つございません!王に対して、不義など滅相もない!」
白蓮は黄杏の必死な姿を見て、またため息をつく。
「……して、そちは何者なのです?」
白蓮は将拓に、目を向けた。
「将拓と申します。南の国で、商人をしております。」
「南方の商人がなぜ、この宮中に?」
「……本日まで、宮中に出入りさせて頂いておりました。」
「宮中出入りの商人!?」
白蓮は再びため息をつきながら、椅子にもたれかかった。
それを、近くにいた護衛長の勇俊が支えた。
「なんてこと……宮中出入りの商人は、王に忠節を誓う者だけに許された特権。共に王に仕える者同士が、このような事をするとは……」
そこへ将拓も、一歩前に出た。
「正妃様!誓ってお妃様とは、何もございません!どうか信じて下さい!」
「こんな夜中に男女が落ち合いて、何を信じろと言うのです!」
白蓮は遂に、大声を出した。
「とりわけ黄杏!そなたは王のご寵愛を、一番に受けながらこの不届き!明日、王が帰還された後は、離縁を言い渡されると思われよ!」
「そんな!」
「この期に及んで、しおらしくするのか!命があるだけでも、有難いと思いなさい!」
そして今度は、将拓にその目が向けられた。
「そなたも商人でありながら、身の程を知らず、王の妃に手を出したこと、その命を以て償いなさい!」
それはお互いを思いやる兄妹にとっては、耐え難い仕打ちだった。
妹は、好きな男と引き離されてしまう。
兄は、明日にも命を奪われてしまう。
「お待ちください、白蓮様!」
黄杏は、白蓮の裾を掴んだ。
「この者は何も悪くはありません。私が、櫛を買い求めようとして、出店に参ったのが、悪いのです。」
「妃自らが、出店に!?」
「はい。あまりにも良い品ばかりで、決められず。しかも諦められずに、夜中皆に内緒で櫛を売ってくれないかと、お妃である誇りも忘れ、将拓殿にお頼みしたのが悪かったのです。」
「この、阿呆者!」
「申し訳ありません!仰る通り、私は阿呆です!このまま王に離縁を言い渡されても構いません!ですから、この者の命だけは、お助け下さい!お願い申し上げます!」
服の裾にしがみつき、涙を流しながら命乞いを、必死にするなんて。
ここ数日、会ったばかりの出店の商人相手に!
白蓮は、何かが胸に引っ掛った。
「正妃様!お妃様は何も悪くはありません!私が、私が……」
将拓は床を、指で搔きむしった。
「……恐れ多くも、お妃様の美しさに惹かれてしまったのです。」
「将拓殿!何を!」
「ですから、処罰されるのは、この私一人にして下さい!命を差し出せと申されるのなら、喜んで差し上げましょう!ただ、お妃様だけはどうかどうか!お許し下さい!」
白蓮は、頭が混乱した。
この者達は、何を言っているのか。
まるで、随分前からお互いを知っていて……
知っていて……
まるで、かけがえのない存在を守るかのように、訴えてくる。
しかも二人の間には、情を交わしているような、艶めかしい空気は流れておらず、清い関係にさえ思える。
そんな関係、知り得る中では、ただ一つ!
二人とも、兄妹なのか!?
だがそれは同時に、黄杏の妃としての存在を脅かす。
王は、この事を知っているのか?
知らずに黄杏を、妃に迎えたのか。
「二人をこの部屋に、閉じ込めておきなさい。」
「白蓮様!」
思いは通じたのか、通じなかったのか。
黄杏は、生きた心地がしなかった。
「護衛長。そなたが共にいて、二人が逃げぬよう、見張っていなさい。」
「はい。」
白蓮は改めて、二人を眺めた。
「王に、判断を仰ぎます。」
「王に!?」
すると二人は、どこかしたホッとした表情を浮かべる。
まさか、王も知っている仲?
王は、何もかも知っていながら、黄杏を妃に迎えた?
「……くれぐれも、密談などされぬように。」
そう言って、白蓮は出て行った。
残されたのは、黄杏と将拓、そして護衛長・勇俊の三人。
誰もが黙って、じっと夜が明ける事を、待っていた。
王が来てくれれば、なんとかなさってくれる。
二人とも、そう思っていた。
そこへ勇俊が、口を開いた。
「お二人とも、王が帰還されても、油断は禁物です。」
「護衛長。」
その表情は、少しだけ冷たさを、緩めていた。
「……奥様は、何よりこの国に尽くされようとされている方。不義の疑いが晴れたとしても、何もなかったかのようには、されぬでしょう。特に将拓殿。」
勇俊は、将拓を見つめた。
「あなた様は、このままこの屋敷を出られるとは、思いますな。」
「護衛長殿……」
今までの態度から見て、こんなに心配してくれるとは。
「……なぜ、そのような事を、この私に?」
将拓は、改めて勇俊に聞いた。
「あなた方の間に流れる空気が、一緒なのです。それは、奥様もお気付きになったはず。」
黄杏と将拓は、息が止まった。
「加えて、私がお見受けするに、お二人ともお顔立ちが、どことなく似ていらっしゃるような……」
それを聞いて、黄杏も将拓も、顔を伏せた。
「やはり、お二人はご兄妹でございましたか。」
将拓は勇俊の前に、頭を着いた。
「何とか、して頂けないでしょうか。」
「将拓殿、どうか顔を上げてください!」
勇俊は、将拓の腕を掴んだ。
「お妃様の兄君に頭を下げられるなど、私には恐れ多い事でございます。」
「それなのです!」
将拓も、護衛長の腕を掴む。
「兄がいる身で妃になったと知れ渡れば、黄杏は宮中を追われる。それだけは、何とか避けたいのだ。」
「兄君……」
「黄杏は、心の底から王を恋慕っておられるのだ。兄として、好いた方と添わせてやりたい。我が身はどうなっても構わぬ。」
「そこまで、妹君を思われているのか。」
将拓は再び、勇俊に頭を下げた。
「お願い致します。どうか、お力を。」
だが勇俊に、そこまでの権限はない。
困り果てる勇俊に、黄杏は呟いた。
「兄上のお気持ちだけで、私は十分幸せです。」
「黄杏……」
「お妃様?」
二人を前に、黄杏は力なく笑った。
「そもそも、妃の器ではない私が、のこのこと宮中に来たのが、間違いだったのです。」
「そんな事はない!黄杏。そなたは、王に妃として請われたのだ。十分、妃としての器があるではないか。」
慰めてくれる兄に、黄杏は微笑みながら涙を流した。
「私が妃になる為に、兄上はご自分の人生をお捨てになられました。あのままご出世なされば、宮中に召されたのは、兄上だったかもしれないのに。」
「黄杏。私の方こそ、重責を担う役人の器ではなかったのだ。捨ててよかったのだ。」
勇俊は、目を見開いた。
「南方の役人?……将拓殿?」
黄杏と将拓は、固まっている勇俊を見た。
「そうでしたか。あの将拓殿でございましたか。」
「護衛長殿?」
そして今度は、勇俊が将拓に頭を下げた。
「地方の役人で、文武両道に優れ、家臣達からも信頼が厚く、民からも慕われている者がいると、都の噂に聞きました。その後、噂を聞かなくなりましたので、そのまま忘れておりましたが……」
勇俊の胸が、熱くなった。
それほどまでに優秀な役人だったと言うのに、妹の為にその道を捨てて商人の身になるとは。
きっと今回の事も、妹の身を案じて、駆け付けたに違いない。
そんな事とは全く知らず、このまま不埒者として、命を落としかねないなんて。
勇俊の目から、涙の滴が一粒零れた。
「……私にできる事は、少ないかもしれません。ですがお二人を救う為に尽力させてください。」
「護衛長!」
黄杏と将拓に、笑顔が戻った。
「さあ、お二人共。お休みください。明日は、長くなりそうです。」
二人は頷くと、将拓の上着を寝床に、黄杏の着物を掛け、寄り添って眠りについた。
それを傍らで見守っていた勇俊は、この二人に幸せが来るように祈るしかなかった。
そして翌日。
白蓮が朝、広間を訪れた時には、黄杏と将拓揃って、静かに待っていた。
「……よく、眠れましたか?」
「はい。」
その中で勇俊の表情が変わっている事を、白蓮は見過ごさなかった。
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