第23話 思わぬ客人
次の日、黄杏の元へ一通の手紙が、女人を通して渡された。
「これは?」
「宮中に出入りしている商人からでございます。」
「商人?」
黄杏は、手紙の筆跡を見て、懐かしくなった。
そう、兄の将拓の字だ。
黄杏は嬉しそうに、手紙を開けた。
【 黄杏、元気にしているだろうか。
縁あって、しばらく宮中に出入りできる事になった。
一度でいいから、会えないだろうか。
将拓 】
「兄上……」
黄杏に思わず笑みがこぼれた。
「えっ?」
女人はもう一度聞こうと、顔を上げる。
「あっ、いや。なんでもない。」
王の妃に兄がいるのは禁忌。
それは、宮中にいれば、いずれ分かること。
宮中にいる者に、兄・将拓の存在は知られては、ならないのだ。
だが、自分が王に嫁ぐ為に、自分の役人としての人生を捨ててくれた兄。
もう会えないと思っていた兄が、手の届く場所にいる。
たった一度でいい。
兄・将拓に会いたい。
「この商人は、明日も宮中に来るのか?」
「はい。このところは、毎日出入りしております。何でも今週いっぱいは、いるようでございます。」
女人の情報の早さに、黄杏は目を丸くする。
「……よく知っているの。」
「ほほほっ……これがまた、目元が涼しげな良い男でございまして……」
女人は恥ずかしそうに、頬を赤らめた。
「そなたがそこまで言うなんて、珍しい。」
「それほど、いい男だったのですよ。」
黄杏は、これは使えると思った。
「……その商人に、一度会ってみたい。」
「えっ!お妃様がですか!?」
女人はひどく驚いた。
王の妃は、下々の者に顔を見せることはまずない事だし、王以外の男に会う事も滅多にない。
しかも”会いたい”と、興味を持つだなんて。
「案ずる事はない。近くで顔を見るだけじゃ。」
「は、はい……」
女人は、少しだけ胸騒ぎを覚えた。
早速翌日。
笠を被った黄杏と女人は、屋敷を飛び出し宮中の敷地内にある、出店へと出かけた。
ここは宮中で働いている者達が、日用品や洋服・装飾品を買う為に、商人達が開いている店だった。
使用人達であっても、宮中で働いているのだから、給金もよく目も肥えている。
出店を開ける商人は、良い品物を出せる、限られた者にだけ与えられた特権だった。
出店に来ている使用人達に、顔を見られないように注意しながら、黄杏は、兄の姿を探した。
出店の列の半ば頃まで来ただろうか。
女人がそっと、黄杏の袖を掴んだ。
「お妃様、あの者です。」
黄杏は、女人が指さした男に、ハッとした。
顔は浅黒く、上半身もたくましくなったが、その面影は間違いなく、兄・将拓だった。
「もう少し、近づこう。」
「はい。」
女人も商人に近づけるのを、楽しみにしているように、黄杏の前を歩く。
店の前に行くと、将拓は他の客人をもてなしていた。
黄杏は側にあった櫛を手に取ると、客が帰る時を待って、将拓に声をかけた。
「もし。この櫛を頂きたい。」
「は……」
黄杏の姿を見て、将拓は固まった。
「もしや……」
「お懐かしい。」
黄杏は笠から、少しだけ顔を見せた。
将拓は妹の名を呼ぶのを抑えて、黄杏が持っていた櫛を、手に取った。
「櫛でございましたら、この奥にもっと良い物がございます。ご覧になりますか?」
「ええ、ぜひ。」
黄杏と将拓は、出店の奥へと消えて行った。
そして共に付いてきた女人は、豪華な飾りの付いた手鏡に夢中になっていた。
「お妃様、これをご覧あそばせ。」
ふと顔を上げると、黄杏の姿がない。
「どうしましょう。」
オロオロと辺りを見回すと、黄杏と商人の男が、店の奥へと二人きりになっている。
「なんてこと!」
女人は、周りに気づかれないように、店の奥へと足を進めた。
店の奥は、周囲を布で覆われ、多くの商品の在庫が置かれているようだ。
このような場所で、王の妃と一介の商人が、逢引き?
女人は、耳を澄ませた。
一方、そんな事を知らない黄杏と将拓は、久々の再会を喜んでいた。
「ああ、もっとお顔をよく見せてください。本当に兄上なのですね。」
黄京はたまらず、将拓にしがみついた。
「シッ!誰か聞いているか分からぬ。兄上ではなく、名前で呼んでください、お妃様。」
「では将拓殿。私の事も名前で呼んでおくれ。」
「はい、黄杏様。」
二人で慣れない呼び名に、クスクス笑いが止まらなかった。
「本当にお元気そう。将拓殿は商いをされているのですね。」
「ああ。親切にしてくれた人がいてね。そこで、美麗と共に世話になっているんだ。」
「美麗と!?」
これもまた懐かしい名前に、黄杏は心が弾んだ。
「村を出る時に、一緒に来てくれてね。そのまま結婚したんだ。今は子供も二人いる。」
「まあ!お子が!?」
兄の子なら、自分の甥か姪だ。
「おいくつになるのですか?男?女?」
「上が1歳の男の子で、下が生まれたばかりの女の子だ。」
「ああ……将拓殿と美麗のお子なら、さぞかし綺麗なのでしょうね。」
黄杏はふと、途中で流れてしまった自分の子を、思い出した。
「……すまない。余計な事を思い出させてしまったようだ。」
「いいえ、運だったのです。仕方ありません。」
将拓は、黄杏が流産した時、何者かが毒を盛ったと言う噂を聞いていた。
それを黙って受け入れようとしている妹。
例え好いた男の元へ嫁いだと言っても、田舎からこの都の宮中に入る気苦労は、想像を絶するだろうに。
その事もあって、将拓はどうしても、黄杏に会いたかったのだ。
「黄杏様、これを。」
将拓は懐から、箱を取り出した。
蓋を開けるとそこには、贅沢な金の飾りがついた櫛があった。
「これは?」
「そなたなら、必ず櫛を欲しがるだろうと思って、店の一番高価な物をとっておいたのだ。これをいつも、傍らに置いてくれ。そうすればこれを見る度に、私を思い出すだろう?」
「将拓殿……」
「誰が何と言っても、この私は黄杏様の味方。一人ではありません。」
黄京と将拓は、互いの逆境を思いながら、抱き寄せ合った。
「将拓殿。ここには、いつまで?」
「明後日まででございます。」
「今度はいつ、宮中に来れるのですか?」
「さあ……何しろ、宮中に出入りできる商人は、選ばれた者のみ。こればかりは、分かりません。」
黄杏と将拓は、互いに見つめ合った。
「……今生の別れになるのは、嫌です。もう一度だけ、会う事はできませんか?」
将拓は、黄杏の涙を自分の袖で拭いた。
「……また昼間に会えば、疑う者もいるでしょう。日暮れに、屋敷へ入れて頂けませんか?」
「屋敷の中に……」
黄杏は下を向いて、考えた。
「黄杏様?」
「……実は最近、他の妃の屋敷に盗賊が入って、夜の宮中は、護衛の数が多くなっています。その中で屋敷内で会うのは、とても難しいように思えます。」
「そうですか。」
将拓は、唇を噛んだ。
血を分けた妹が、もう一度会いたいと言うのだ。
兄として、どうしてもその思いを叶えたい。
「護衛が手薄になる時は、ないのでしょうか。」
将拓の言葉に、黄杏は何かを思い出した。
「丁度……明後日の夜。王が国務で宮殿に戻らぬ日があるのです。その時であれば、王も屋敷内にいない為、護衛の数も少なくなるはず。」
「それだ!」
将拓は小声で叫んで、黄杏の耳元に近づいた。
「明後日の夜は出店を片付ける為、作業に時間がかかります。私が夜まで宮中にいても、誰も疑う者はいないでしょう。とは言っても、やはり屋敷の中は危険です。屋敷の外にある門で落ち合うのは、如何でしょうか。」
「ええ、分かりました。」
黄杏と将拓は頷き合い、店の奥から出てきた。
一部始終を聞いていた女人は、急いで店の表に出てきた。
「黄杏様、お気をつけて。」
「ええ、将拓殿。」
商人と別れた黄杏に、女人は近づいた。
「……どこへ行っておられたのですか?」
「ああ、すまなかった。あの商人からの、櫛を買っておった。」
黄杏は、兄から貰った櫛を、女人に見せた。
「まあ。なんと綺麗なお櫛ですこと。」
その櫛は、女人の想像以上に、豪華な作りだった。
「そなたは、何か買わぬのか?」
黄杏は女人に尋ねた。
「え、ええ。どれも素敵で、何を買ったら良いのか、分からなくなりました故……」
女人は、笑ってごまかした。
「では、屋敷へ帰ろうか。」
「はい、お妃様。」
そして黄杏と女人は、その商人の店を後にした。
しばらくして女人が、少しだけ振り返ると、あの商人が黄杏を見送っている。
女人は、ゴクンと息を飲んだ。
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