第27話 勇俊の心配

丁度、その時だ。

ほろ酔い気分の将拓が、黄杏の屋敷から出てきた。


「護衛長殿!」

すっかり顔見知りになった将拓は、警戒する事もなく勇俊の元へ寄ってきた。

「昨夜は、お世話になりました。お陰様で、妹とこうして酒を酌み交わす事ができます。」

「それは……ようございました。」

頭を下げた将拓は、少しふらついている。

「大丈夫ですか?」

思わず勇俊が、手を差し出す。

そして迷いなく、その腕を掴む将拓。

「はははっ!すみません。」


この笑顔が、あとどのくらい続くのか。

勇俊はたまらなくなって、将拓のもう片方の腕を掴んだ。

「護衛長?」

隙を見せた将拓の抱き寄せた勇俊。

「ちょ、ちょっと!私には、そのような趣味は……」

「お静かに。」

将拓の耳元で、勇俊が囁く。


「何者かが、あなたの命を狙っています。」

「えっ!?」

勇俊と将拓は、至近距離で見つめ合った。

「今宵は私が、お妃様の屋敷を護衛致します。ですが、夜中に襲われた時の為に、直ぐに宮中を発てるよう、身支度だけは準備しておいてください。」

将拓は、勇俊から体を離した。

「……それは、本当の話なのですか?」

勇俊は、手を強く握った。

「……残念ですが、本当の話です。」

すると将拓は、笑顔を見せた。


「教えて頂いて、有難うございます。」

「将拓殿……」

信じられない程に、将拓は余裕の笑みを浮かべていた。

「それならば、黄杏に怖い思いをさせてしまうかもしれません。それに、お妃の屋敷内で、そんな物騒な事が起これば、信寧王にもご迷惑がかかります。私は、夜中のうちにここを発つとしましょう。」

そう言って将拓は、勇俊に背中を見せた。

「なりません!」

勇俊は、急いで将拓の肩を掴んだ。

「一人になってはいけません!余計に襲われてしまいます!」

勇俊は、息が切らせながら叫んだ。

「護衛長、落ち着いて下さい。」

狼狽えるはずの将拓に、返ってなだめられる勇俊。

そうだ。

自分よりこの人の方が、心穏やかではないはずなのに。


「……すみません。ですが、私は……どうしてもあなたを、失いたくないのです。」

「護衛長……そんなにも、私の事を……」

勇俊がそっと顔を上げると、そこには将拓の真っすぐな瞳があった。

その人を信じようとする美しい瞳に、勇俊は打ち崩されてしまって、その場に膝を着いた。

「将拓殿!」

「はい。」

勇俊は、右手の拳で地面を叩いた。

「あなたを襲えと命じられた刺客は、この私です!」

「護衛長殿が?どうして、刺客なんて……」

そこまで言って将拓は、ハッとした。

「……命じたのは、正妃様なのですね。」

「はい!……」

もう隠しきれない勇俊は、将拓の前で地面に頭を付けた。


「黄杏様にお子が生まれれば、有能なあなたは必ず、政治に参加すると仰せられて……」

「なぜ、そのような在りもしない事を!」

将拓は、唇を噛んだ。

「だから今のうちに、あの者の片目を奪えと。そうすれば、政治に参加できまいと。」

「私の……片目を?……」

将拓は、初めて背中が凍る思いをした。

「もちろん、断りました。私には無理だと。しかし正妃様は、だとすれば、他の者に襲わせるまでだと……」

将拓は、見えない大きな陰謀に、勇俊の前に崩れ落ちた。

「そうですか……だとすれば、あなたに襲われた方が、私は……」

「いいえ!」

勇俊は、目の前にいる将拓を両肩を掴んだ。

「まだ諦めるには、早すぎます!」

「護衛長?」

「私は、あなた様をお守りします!生きて!怪我一つ負わずに、宮中を出られるように!」

勇俊の目は、真剣だった。

「外に出れば、外にさえ出られれば、後は嘘の話を流せばいいだけです。今夜だけ耐えて下さい!」

「分かりました。では私はこの話を聞かなかった振りをして、黄杏の屋敷に泊まりましょう。」

「はい。」

「護衛、お頼み申します。」

将拓は一礼をすると、黄杏の屋敷に戻って行った。

それを見届けた勇俊は、屋敷の裏手に回る。

屋敷の作り上、どこから入ろうとしても、必ず裏手から入らなければならないからだ。

勇俊は潜む位置を決め、身を隠した。


それから数時間後。

すっかり灯りが消えた屋敷に、静寂が訪れた。

一向に何者かが動く気配もなく、護衛長はしばしの仮眠を取った。

よく考えてみれば、将拓が泊まっているのは、お妃様の屋敷なのだから、簡単に手出しはできないはず。

今夜襲うかもしれないと言うのは、自分の思い過ごしだったのかもしれない。

勇俊はすっかり、眠りに入ってしまった。

どのくらい経っただろうか。

勇俊の目に、朝日が舞い込んできた。

「……朝か。」

目を覚ました勇俊は、黄杏の屋敷の中を覗いた。

いつものように、女人達が朝ご飯の用意をしている。


将拓は?

将拓はどこにいる?

その時、ガラッと黄杏の屋敷の扉が開いた。

「ふぁーあ。」

そこには、背伸びをする将拓の姿があった。

「お早うございます、護衛長殿。」

その元気な姿に、勇俊はゆっくりと、将拓の元に歩み寄った。

「……ご無事でしたか。」

「はい、お陰様で。」

二人は、お互いの肩を掴んで、微笑み合った。


「どうですか?一緒に、朝ごはんでも。」

「いいえ。ここはお妃様の屋敷。私は、それに仕える者。まさか、ここで朝ご飯を共に頂く事はできません。」

「そうですか……」

そして、中から女人が呼ぶ声がした。

「では、将拓殿。私は、持ち場に戻ります。」

「はい。一晩中の護衛、有難うございました。」

そう言って挨拶を交わした勇俊は、自分の寝泊りする屋敷へと、戻った。


屋敷周辺を護衛をする者達の住処は、白蓮の屋敷の隣にあった。

武器を置いた勇俊は、そのまま湯殿に向かった。


髪を洗い体を洗い湯に浸かり、一晩の疲れを癒した。

「あれ?護衛長、こんな時間に湯殿ですか?」

部下の一人が、湯殿に入ってきた。

「ああ、おまえは?」

「はい。外の門の警備で。今、交代してきたばかりです。」

そして部下も、湯に浸かった。

「そうか。ご苦労だったな。」

「いいえ。」


屋敷に帰れば、大部屋に大勢で寝泊りする護衛達。

こうして湯に浸かっている時が、一番疲れを癒すと、勇俊は知っていた。

だから湯殿にいる時は、部下には何も指示しない。

できるだけ、放っておいてやる事にしていた。


「ところで、黄杏様の客人、とても偉い方なのですか?」

「そう言う訳でもない。南方の商人だ。」

そう。

お妃様の兄上だと言う事は、秘密だ。

「へえ。じゃあ、俺の勘違いかな。」

「どうした?何か気になる事でもあったのか?」

勇俊は、部下の方を向いた。

「いえ。客人が発つ時の護衛を任されたと、第8部隊が出て行きましてね。てっきり黄杏様の客人だと思ったのですが、他の客人だったようですね。」

「客人の……護衛?」


勇俊は、ハッとした。

『おまがやらなければ、他の者に頼むだけです。』

白蓮の言葉。

第8部隊は、別名”影の暗殺者”だ。


「しまった!」

勇俊は、慌てて湯から出た。

「えっ?えっ?護衛長?」

部下が驚いている間に、勇俊は濡れた髪をそのままにして、屋敷との境の門に急いだ。

途中で黄杏の屋敷から、女人が一人出てきた。

「そこの女人殿!」

「は、はい!」

勇俊は、女人の前に立ち止まった。

「客人は、今どこに!?」

「客人の方でしたら、今先ほど旅発たれました。」

「遅かったか!」

勇俊は、急いで走り出した。

「女人殿!急いで忠仁様を、呼んで頂きたい!」

「は、はあ……」

何がなんだか、訳が分からなくぽかんとしている女人を置いて、勇俊は、将拓の後を追った。

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