第11話 三日三晩

新しい妃を迎えると、王は三日三晩、夕食と寝屋をその妃と共にした。

それが終われば、王は正后・白蓮と夕食を摂り、寝屋は好きな場所に、決める事ができた。

だが、黄杏を妃に迎えて以来、信志は夕食後を、黄杏の屋敷で過ごしていた。

その情愛は、浅くなる事を知らず、時々湯殿で肌を合わせたり、陽が昇り朝食を終えた後も、信志は黄杏の屋敷を出ない事が多くなった。


「王。今日も、寝屋は黄杏の屋敷に、なさるのですか?」

夕食の際、白蓮が信志に聞いた。

「ああ。」

黄杏が妃になってから、1ヶ月が経とうとしていた。

「相当、お気に召されたのですね。」

信志は、ちらっと白蓮を見た。

怒っている様子もなく、沈んでいる様子でもなく、白蓮は淡々と、夕食を食べていた。

「白蓮と初めて枕を交わした時も、同じくらい屋敷に通ったではないか。」

「そう……でしたかしら。」

知らない振りをする白蓮に、自分の心を見透かされたような気がする信志。


「言いたい事は、分かっている。一人の女に溺れて、己の成すことを忘れるなと言いたいのだろう?」

「いえ、私は……」

否定しようとする白蓮を、信志はそっと止めた。

「もう少しだけ、通わせてくれ。黄杏は……初めて心を通わせた相手なのだ。」

白蓮は、息が止まった気がした。


初めて、心を通わせた相手?

幼い頃に嫁いで以来、いつ何時でも、王の心を支えようと努力してきた自分と、心を通った時はなかったのか。

白蓮は、手をぎゅっと握りしめた。

「あの者と一緒にいると、心が安らぐ。王でもなく、ただ一人の男でいられるのだ。それに……」

信志は、白蓮を白い目で見つめた。

「もう白蓮は、私を男として、受け入れてはくれないのだろう?」

「えっ?」

「私とて、ただの男だ。自分の妃なのに、男として受け入れて貰えないなんて、自分は無能なのではないかと、思い悩む事もあるのだ。」

「あ、あの……」

白蓮は、自分が年を重ね、子供を他の妃に委ねなければならないと知った時、自分の中に眠る王への情愛に、蓋を閉めたのだ。

それが反って、王を苦しめる事になるなんて。


「だが、黄杏は違う。私の心も体も、いつでも受け入れてくれる。男としての、自信をくれるのだ。」

「そこまで……黄杏を……」

白蓮は椅子の上で、崩れ落ちた。

体は他の妃に譲っても、本当に心を通わせている相手は、自分だけだと思っていたのだ。

「そなたはきっと、情愛など陳腐な物だと、馬鹿にするだろうがな。」

「そんな事は!」

だが信志は、白蓮の本当の気持ちなど、知ろうともせず、夕食の途中で立ち上がった。

「王?」

「……黄杏の元へ行く。」

そう言ったきり、白蓮の屋敷を出て行った。

「うぅっっっ……」

自分への気持ちなど、もう無くなっているのだと分かった白蓮は、机の上で泣き崩れた。


白蓮の屋敷を出た信志は、真っ直ぐ黄杏の屋敷へ、足を運んだ。

「信志様……今日も、お出でくださったんですね。」

「ああ。」

屈託のない笑顔を見せる黄杏を、女人の前だと言うのに、抱き締める信志。

「今日は、夕食を残さず食べたか?」

「はい。」

「足りない物など、なかったか?」

そんな事を聞く信志に、黄杏はクスクスと笑う。

「ん?」

「いえ。まるで父上みたいに、心配なさるのですね。」

「父上みたいに……」

信志の胸が、少しだけチクっとする。

「すみません。嫌ですよね、父と一緒にされたら。」

黄杏は、信志の腕からスルリと抜けると、お酒の用意を始めた。

この1ヶ月の間、信志がひたすら通いつめた事で、黄杏も信志の行動が、手に取るように分かるのだ。


「すっかりそなたは、私の妃だな。」

「そうですか?これでも、まだまだ知らない事ばかりです。」

「1ヶ月で全てを知られては、私の方が困る。」

そしてまた可笑しそうに笑う黄杏。

信志は一日の中で、この時間が何よりも、好きだった。


黄杏の笑顔を酒の肴にして、他愛のない話を聞き、少し酔うと、黄杏と一緒に湯殿に入り、寝る前には情を交わして、その可愛い寝息を聞きながら、眠りにつく。

信志に、今までの人生の中で、至福の時が訪れていた。


そんな事が起こっているとは、汁ほどにも分からない紅梅は、1ヶ月以上王を独り占めしている黄杏を、憎らしく思っていた。

たまたま湯殿に入っている時、王よりも先に湯殿に着いた黄杏と、鉢合わせした。

王の情愛を一身に浴びているせいか、黄杏の肌艶は、羨ましいほどによかった。

「紅梅様……」

しかも、自分の顔を見て、立ち去ろうとした黄杏。

「ご遠慮なさらずに、一緒に入りましょうよ、黄杏さん。」

親切そうに、声を掛けた。

「あの……」

「私達、同じ年でしょう。恥ずかしい事なんてないわよ。」

その言葉に、すっかり気を許した黄杏は、そっと湯船の中に入ってきた。

「奥様から聞いたわ。黄杏さん、王のお気に入りなんですってね。」

「そんな事は……」

謙遜しているが、顔は嬉しくて嬉しくて、仕方がないという表情だった。

「ちらっと見えたけれど、黄杏さんって、いい身体してるわよね。さすが、王が夢中になるのも、分かる。」

「いえいえ。紅梅さんだって、いい身体してるじゃないですか。」

照れながら答える黄杏は、紅梅の心の奥に、静かに嫉妬の炎を燃やした。


「ねえ、黄杏さん。」

「はい。」

「なぜ王は、妃が3人いるのに、また新しい妃を、迎えようと思われたのかしら。」

急に難しい質問をされて、黄杏は困る。

「……なかなか、お子様ができないからでしょうか。」

「そうね。」

紅梅は、ニヤッとして、黄杏に近づく。

「じゃあ黄杏さんは、私達にはもうお子は産めないって、思ってらっしゃる?」

「いいえ、そんな事は、思っていません!」

意地悪い質問にも、正直に答える黄杏。

分かっている。

王は、そういう可愛らしい黄杏に、心引かれたのだ。


「そう?でも黄杏さんは、そう思ってらっしゃるから、王を自分の元へ、通わせ続けているんでしょう?」

「えっ……」

湯気を境に、攻守が逆転する。

「私や青蘭さんだって、まだお子を諦めたわけじゃないのよ。奥様だって、本当はまだお子を産めるはずなのに……」

悲しげな顔をしながら、紅梅はちらっと、黄杏を見た。

作戦通り、黄杏の顔は、湯に浸かっていると言うのに、青白くなっている。

「黄杏さん。王の妃は、あなた一人ではないのよ。みんなから、お子を授かる機会を、奪ってはいけないと、私は思うの。」

「でも……王が、通って来て下さるから……」

紅梅は優しく、黄杏の腕を掴んだ。


「通って下さる日が続いた時には、ご自分から他の妃の元へ通い下さいと、仰るのが妃の心得と言うものよ。」

「紅梅……さん……」

「私だって、3日続けて王が通って下さったら、他の妃の名前を出すわ。もちろん、黄杏さんの名前もね。」

黄杏の目に、涙が溜まりそうになっている。

紅梅の目は、勝ち誇ったかのように、強かに輝いていた。


「分かっているわよね。この宮殿では、王を独り占めできない事を。」

黄杏は紅梅の、優しさの中にある嫉妬を、見抜いていた。

王を自分に取られたと思い、奪い返そうとしているのだ。

そして、この瞬間。

紅梅も、王を慕っているのだと言う事を、改めて知る黄杏。

一人一人、妃の置かれている立場は、違うだろう。

だがここは、その一人一人違う4人の妃同士が、たった一人しかいない王の心を奪い合う、戦場なのだと黄杏は思い知らされた。

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