第10話 妃達の戦場
正式に妃になった黄杏は、翌日、他の妃達と面会する事になった。
場所は、正后・白蓮の屋敷。
女人達の一緒に、一番遠い場所から出向く為、誰よりも先に自分の屋敷を出た。
白蓮の屋敷に着くと、広間に通された。
壁には、見た事もない、細やかで上品な絵が、いくつも描かれていた。
「こちらで、お待ち下さい。」
白蓮付きの女人に言われ、黄杏達は、広間の真ん中に用意された椅子に、座った。
他のお妃様達は、どんな人なのだろう。
馬の上で、信志から聞いた話は、あくまで信志の目を通した妃達だ。
新しい妃となると、また扱い方が違うのだろうと、黄杏は思った。
他の妃達を待って、30分。
一向に来る気配がない。
「他のお妃様達は、まだかしら。」
すぐ後ろにいた黒音が、黄杏に顔を寄せた。
「準備に手間取っているのかもしれません。もう少しお待ちしましょう。」
だが、約束の時間を、1時間過ぎても、まだ来る気配がない。
「黒音。私達は約束の時間を、間違えたのかしら。」
「いいえ。確かに、1時間前のお約束でございます。」
黄杏が、胸騒ぎを覚えた、その時だった。
奥から、沢山の女性達がやってきた。
「お妃様達でございます。」
黒音の一声で、黄杏は立ち上がり、頭を下げた。
まず始めに、正面の椅子に、白い衣装を着た妃が座り、次にその右側の椅子へ、青い衣装を着たお妃が、続いて左側の椅子に、濃い桃色の衣装を着たお妃が座った。
それが終わると、それぞれの女人が、一斉に座る。
「黄杏と申したな。顔を上げよ。」
正面のお妃に、声を掛けられた。
「はい。」
顔を上げた黄杏は、3人のお妃達の美しさに、息を飲んだ。
田舎からやってきた黄杏とは、雲泥の差だ。
「……は、初めて、お目にかかります。お、黄杏と申します。何卒、よろしく……お願い致します。」
緊張で、声が震えた。
「大分、緊張しているようですね。」
正面の椅子に座っている、お妃が半分呆れた感じで、言った。
「致し方ありません。なにせ、国の外れの村から、こちらへ来たとか。都自体、初めてでございましょう。」
青い衣装を着たお妃が、宥めるように言う。
「きっと、奥様のお美しさに感動して、なかなかお声が出ないのではないかと。」
今度は、濃い桃色の衣装を着たお妃が、答えた。
「申し訳ございません。仰る通り、村から出てきたばかりの、田舎者でございます故、どうかお許しを……」
微かに手が震えているのを見て、正面に座るお妃が、クスッと笑った。
「何も、怖がる事などありません。我らは皆、信寧王をお仕えする者。力を合わせ、王を支えてゆきましょう。」
「はい。」
すると、正面のお妃付きの女人が、黄杏に椅子に座るように、促した。
椅子に座った黄杏は、改めて3人のお妃達と、対面する。
「私の名は、白蓮。王の正后ですが、お子ができず他の妃に子を委ねるしかありません。王は、そなたをお気に召したとか。一日でも早く、跡継ぎをお願いしますよ。」
「宜しく……お願い致します。」
正面に座っているから、もしかしてとは思ったが、新参者の田舎人にも、優しく声を掛けて下さるところが、正妻らしい人だと、黄杏は思った。
次は、青い衣装を着たお妃だ。
「私は、青蘭と申します。出身は隣の国で、この国の事は一から学びました。そなたも都に出てきたばかりで、分からぬ事ばかりでしょう。困った事がおありなら、何でもご相談に乗りますよ。」
「有り難うございます。宜しくお願い致します。」
信志が、一度は愛した人だと言った青蘭。
儚げだと言っていたけれど、今は少し強くなったのか、しなやかだと言った方が、いいのかもしれない。
どちらにしても、ゆらゆら揺れていそうな感じは、間違いなかった。
そして、その滲み出る色気。
ああ、この人が。
一目で王の心を奪ったのかと思うと、黄杏は少しだけ寂しくなった。
「私は紅梅です。聞いたところによると、同じ年なのだとか。仲良くしていきましょう。」
「はい。宜しくお願い致します。」
信志は、紅梅の事を、明るくて元気があると言っていたが、その通りだと黄杏は思った。
そして、人懐っこそうな人柄。
この方がいてよかったと、心のどこかで、黄杏はほっとした。
「ところで、そなたが生まれ育った村は、子沢山村と呼ばれているとか。」
白蓮が身を乗り出した。
「はい。どの家庭にも、子供は2・3人おります。」
「まあ!」
黄杏が答えると、紅梅が両手で顔を隠した。
「さすがは、田舎の村ね……」
「紅梅さんったら。」
紅梅の一言に、白蓮と青蘭が、クスクス笑う。
その笑い方は、上流階級の笑い方なのか、それとも田舎だから、子作り以外にする事もないのだろうと、バカにされているのか。
黄杏には、判断に困った。
「そうだ。黄杏さんは、何か得意な物は、お有り?」
気を使って、青蘭が話題を変えた。
「得意な……物?」
「ええ。奥様は舞がお得意なのよ。紅梅さんは、武術。私はこれでも、二胡が弾けるのだけど、黄杏さんは?」
黄杏は、困った。
舞も武術はおろか、楽器や歌も習った事がない。
強いて言えば……
「……料理、でしょうか。」
「料理!」
黄杏の言葉に、3人とも口を開けている。
「はい。今回、王が村へ来て下さった時も、宴の料理を手伝いました。料理人とまではいきませんが、そこそこは……」
すると白蓮と青蘭は、ほほほっと、口許を隠して笑った。
「……これは面白い。新しい妃は、自分が食べる物を、ご自分で調理できるのですね。」
「一度我らにも、手料理を、振る舞って頂きたいものですわ。」
そしてまた、クスクスと笑っている。
おそらく、姫だった白蓮や青蘭、家臣の娘だった紅梅でさえ、料理は下々の者が作ってくれるのだ。
黄杏は完全に、田舎の下級の家出身と言う事を、笑われているのだ。
それから、何を話したのかは、黄杏は覚えていなかった。
ただ、3人の他愛のない話に、相槌をうったり、うんうんと頷いたり、それだけだった。
そんな世間話から解放されたのは、夕方も過ぎてからだった。
自分の屋敷に戻ってきた黄杏は、夕食を出されても、箸が進まなかった。
「奥様、奥様!黄杏奥様!」
「えっ……」
ハッとして顔を上げると、目の前には信志と黒音が、心配そうに、自分を見ていた。
「す、すみません。」
「いや、いいんだ。」
隣同士で夕食を囲むのは、初めてだと言うのに、黄杏は心、ここにあらずだった。
「今日は、とても大変だったそうだね。」
「……お聞きになったのですか?」
本当は、聞いてほしくない内容だったのだが。
「ああ。白蓮に聞いたのだ。話の流れで、バカにしているように聞こえてしまったかもと、そなたの事を気に掛けていた。」
「奥様が……」
率先して笑っていたのは、正妻である白蓮だったような気がしたけれど、やはり夫の前では、優しい妻を演じているのかしらと、そっちの方が気になった。
「気にする事はない。私は黄杏の、素朴なところも、料理を作っているところも、好きなんだ。」
「信志様は、私が料理をしているところを、見た事があるのですか?」
「ああ、村の屋敷でね。宴に出す料理を、懸命に盛り付けていた。一度あの者達にも礼を言いたいと申したが、妃になれぬ者には近づくなと、忠仁に言われてしまった。」
黄杏の頭の中には、意地悪そうな忠仁の顔が、浮かんだ。
「……女が料理をするのって、そんなに可笑しい事ですか?」
「許せ。あの者達は、そういう育ちなのだ。」
お酒を飲みながら、自分の事も、他の妃の事も庇う信志。
夫であれば、自分を庇ってくれる。
だがこの方は、他の3人にとっても、夫なのだ。
二人で夕食が終わると、外に星を見に行った。
「どうだろう。そなたの田舎に比べれば、星の数も少ないだろうが。」
「いいえ。信志様と見上げる星は、どこにいても綺麗でございます。」
「そうか。それはよかった。」
そう言って空を見上げる信志は、村にいる時と同じ、優しい信志だ。
「黄杏。私には、そなた以外に、3人の妻がいる。」
「はい。」
もうその事は知っていると言うのに、何を話し始めるのだろう。
黄杏は、今だけはそんな話、聞きたくなかったと言うのに。
「一人一人、妻である意味が違うのだ。誰一人欠けても、今の私はいない。それだけは、分かってくれ。」
「……はい。」
そんな事、分かりたくもないと言えない辛さを、黄杏は噛み締めた。
「黄杏。」
名前を呼ばれ、黄杏の体は、温かい温もりに包まれた。
「そなたと一緒にいると、私は、自分が今まで生きてきた意味を、思い知らされるよ。」
「生きてきた……意味ですか?」
「ああ。荒んだ戦いや目まぐるしい仕事の中で、どうして私は、この王家に生まれたのだろうと、自分が王である事に、嫌気がさす事もあった。」
「信志様……」
黄杏は、そっと信志の手を、握った。
「だが、今は違う。王でなければ、そなたと出会う事など、できなかった。」
優しくて甘い声が、黄杏の耳元に届く。
「だから、黄杏も。自分が自分である事を、恥じる事はない。黄杏が、あの村で育ってくれたから、そなたが妃候補ではなく、宴の準備をしていたから、こうして愛し合う事ができたんだ。」
黄杏は、信志と初めて会った、月夜の事を思い出した。
月に目を奪われ、真っ直ぐに池に落ちて行ってしまった人。
それが今の、夫になる人だったなんて。
黄杏も、巡り会えた奇跡に、感謝した。
黄杏の屋敷に戻った二人は、どちらからともなく、唇を合わせ、お互いに着ている物を、脱がしていった。
黄杏のお付きの女人は、もう隣の部屋にもいない。
無事、信志を受け入れた事が分かったのか、それとも、二人の情愛の熱さに、側にいる事ができないのか。
それほど、二人が情を交わす声は、屋敷の周りを護衛する兵士でさえ、顔を赤くするものだった。
「あぁ……そんな目で信志様に見つめられると……胸の奥が、切なくなります……」
「どうして?今の私は、そなただけの物だと、知っているはずなのに……」
信志の熱を帯びるその瞳が、黄杏の火照った体に、悦びを注ぎ込むのだ。
「……綺麗だ、黄杏。なぜこんなにも、君は私を虜にしてやまないのだ。」
「それは……想い慕う方に、強く抱かれているからでございます……」
黄杏が信志の妃になって、二日目の夜。
二人は、夫婦になった喜びに、溺れているのだった。
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