第41話 嫉妬

初めての子が産まれ、宮殿は祝賀で賑わいを見せていた。

特に赤子から離れないのは、王である信志で、公務の間も生まれたばかりの明梅の事を、気にしてばかりだった。

「王。ずっと明梅を抱いておられては、公務に差し支えます。」

明梅を連れて、信志の元へやってくる紅梅も、さすがに呆れ返る。

「いいではないか。年をとってから、ようやく生まれた子だからなのか、可愛くて可愛くて、仕方がないのだよ。」

信志はそう言って、また明梅をあやしている。


「王。そろそろ書簡に、お印を頂戴したく存じます。」

時間を見ながら、忠仁が耳元で囁く。

「おお、そんな時間か。」

すると信志は、明梅を母である紅梅に渡すどころか、忠仁に渡そうとしている。

「ほらほら。お爺様だぞ、明梅。」

「おおっと。」

拙い振る舞いで、小さな赤子を抱く忠仁。

「これはまた、紅梅とは逆で、小さな小さな姫君である事。」

「ほう。紅梅は、産まれた時は大きかったのか?」

信志は、自分の印を書きながら、忠仁に問いかける。

「はい。それはそれは大きくて、初めは男の子かと間違えました。」

すると紅梅は、軽く咳ばらいをする。


「ああ、どんな美しい姫に、育つのだろうなぁ。」

忠仁は、明梅をあやしながら、紅梅に背中を向けた。

「よし。全部書けたぞ、忠仁。」

信志が忠仁に声を掛けても、忠仁は初孫に夢中だ。

遂には、紅梅の雷が下った。

「もう!父上も王も、いい加減になさって下さい!!」

忠仁から赤子を受け取り、紅梅は自分の屋敷へと、戻って行った。


「はぁ……明日まで、もう会えぬのか。」

信志は、大きなため息をつく。

「子を産んだお妃は、産後1か月間、王の訪問は叶いませんからね。」

忠仁も、遠目で明梅の姿を追っている。

「しかし、我が娘ながら、母は強いですな。」

「忠仁には申し訳ないが、紅梅は母になる前から、強かった。」


そして一方の黄杏のお腹も、大きくなっていた。

「今日は外に出て、散歩でもしようかしら。」

黄杏は、窓から外を眺めた。

太陽の光が眩しいくらいに照っていて、清々しい風も吹いている。

「お体の具合は、大丈夫ですか?」

お付きの女人が、黄杏の体調を気遣う。

ここ最近まで黄杏は、つわりに悩まされていたからだ。

「ええ。今日は体調がいいの。それに、こんな天気がいいのに外に出ないなんて、勿体ないじゃない?」

黄杏はそう言うと、大きなお腹を抱えて、屋敷の外に出た。


思った通り、心地いい風が吹き抜ける。

日差しも思ったよりも、柔らかい。

黄杏は女人と共に、屋敷の周りを歩き始めた。

そこへ、女人を一人連れている白蓮の姿を、見つけた。

いつもは、大勢の共を引き連れていると言うのに。

黄杏はなぜか、白蓮に声を掛けてはいけないような、気がした。

「黄杏様?」

女人に声を掛けられ、ハッと我に返った黄杏は、白蓮に背中を向けた。

「黄杏。」

だがそんなところを、白蓮に気づかれてしまった。

「白蓮奥様。」

黄杏は、大きなお腹を押さえながら、頭を下げた。

「具合はどう?つわりが酷いと聞いたけれど。」

「はい。お陰様にて、なんとか治まってきました。」

「それはよかった。」

にっこりと笑った白蓮の手には、小さな花が握りしめられていた。

「奥様、それは……」

「ああ、とんだところを見せてしまったわ。」

そう言った白蓮は、少女のように照れている。

「実は私、子供の頃から小さな花が好きなの。屋敷に届けられる花は、皆、大きいものばかりでね。」

「まあ。」

白蓮の内側を、垣間見た気がした黄杏は、なんだか嬉しくなってきた。

「だから、こうして気の知れた女人を連れて、時々花を摘みに来ているの。」

よく見ると、白い花がたくさん摘まれていて、白蓮らしいと黄杏は思った。

「けれど、摘んでいる場所があなた達の屋敷の庭先でしょ?なんだか、申し訳ないような気がして……」

黄杏は白蓮の腕に、そっと手を添えた。

「いいえ。私の屋敷の庭先でよければ、いつでも花を摘みにいらっしゃって下さい。花もきっと喜びます。」

「有難う、黄杏。あなたは優しい気持ちの持ち主ね。」

黄杏と白蓮は、互いに微笑み合った。

「さあ、そろそろ行こうかしら。」

「奥様。せっかく天気も宜しいのですから、もう少し、ゆっくりされては?」

「ふふふ。そうは言っても、あなたは私がいれば、ゆっくり散歩もできないでしょう?」

白蓮はそう言うと、黄杏の隣を去って行った。


慌てて振り返る黄杏の目に飛び込んできたのは、今、赤子の明梅を抱いて屋敷に戻って来た紅梅を見つめる、白蓮の寂しそうな姿だった。

「白蓮奥様……」

聞かなくても分かる。

白蓮は子供がいる、紅梅が羨ましいのだ。

「今日はなんだか、見られては恥ずかしいところばかり、黄杏に見られてしまうわね。」

「申し訳ありません。」

謝った黄杏に、白蓮はそっと手を伸ばす。

「いいのよ、謝らないで。あなたが悪い訳ではないでしょう?」

黄杏は白蓮の気持ちが、痛い程分かるからこそ、頭を上げられなかった。

「それにね、黄杏。私は紅梅に子供が生まれて、どこかほっとしているのよ。」

「白蓮奥様?」

その言葉を聞いて、ようやく顔を上げた黄杏。

「王にはずっと、御子がおられなかったでしょう?姫でも、王が父親になられた事が、とても嬉しくてね。」

白蓮は目の前にいない信志に、想いをはせていた。


きっと信志は、赤子を目に入れても痛くない程、可愛がっている事だろう。

そして父親になったことで、人間的にもこれから成長していくのだろうと。


「黄杏。」

「はい。」

白蓮は、黄杏の手を握りしめた。

「今まで跡継ぎ跡継ぎと、口を酸っぱくして言ってきたけれど、元気に産まれてきてくれれば、皇子でも姫君でも、どちらでもいいのよ。」

「はい。」

黄杏は、それしか言えなかった。

「……本当は、私が王に、跡継ぎを産んで差し上げたかったのだけど。」

黄杏は、黙って白蓮の言葉に、耳を傾けた。

「国の為に、王を支えなければ……王妃の役目を懸命にこなさなければと思う気持ちが強くて、女として王に甘える事も、子供が欲しいと伝える事もできなかった。ましてや、他の妃の元へ行かないでなんて、口が裂けても言えなかった。」

白蓮の手が、黄杏から離れる。

「黄杏。あなたは、そんな失敗してはダメよ。お腹の御子が皇子であっても姫君であっても、どんどん王に甘えて、どんどん御子を産んでちょうだい。」

「……はい。」

そして白蓮は、小さく手を振りながら、屋敷へと帰って行った。


「黄杏様。今日も王は、黄杏様の屋敷にお泊りになられるそうですよ。御子様がお生まれになるまで、ずっと通われるおつもりなのでしょうか。」

黄杏付きの女人が、そっと伝えた。

「ええ……信志様は、そういうお方なのよ。」

黄杏も、そっと呟いた。

夜になり、信志が黄杏の屋敷を訪れた。

「お勤め、ご苦労様でございました。」

黄杏は、公務で疲れている信志を労う。

「ああ、黄杏。そなたの顔を見ると、疲れなど吹き飛んでしまうよ。」

信志は、お腹に負担をかけないように、少し横から黄杏を抱きしめた。

だが信志は、直ぐに黄杏から離れようとする。

それがなんだか寂しくて、今度は黄杏から信志を抱きしめた。

「黄杏?」

いつもとは違う黄杏の姿に、信志は不思議に思う。

「どうした?今日はいつになく、甘えてくるね。」

昼間の白蓮の言葉を、黄杏は思い出していた。


- 女として甘える事も、できなかった。ましてや、他の妃の元へ行かないでなんて、口が裂けても言えなかった -


「……信志様。今でも昼間は、青蘭様の元へ、通っていらっしゃるのですか?」

「えっ?」

知られていないと思っていた事を言われて、少し焦っているのか、信志はソワソワしだした。

「私の元へ毎晩通われているのに、情事を交わす事ができずに、いるからですか?」

信志は、口をぽかんと開けている。

「……青蘭様が、羨ましい。」

そして黄杏は、抱きしめる力を強くした。


「黄杏……青蘭からしたら、余程そなたの方が、羨ましいだろうに。」

「……そうでしょうか。」

「それはそうだろう。あの者は口では、子はいらぬと申しているが、滅びた故郷を再興する為に、子が欲しいと思うた事は、何度もあると思うよ。」

信志は抱きしめ合ったまま、黄杏を椅子に座らせた。

「なんだか今日は、いつもの黄杏とは違うね。お腹も大きくなってきて、心配事ができたのかな。」

信志は黄杏を見つめると、頭を撫ででくれた。

「ずっと、側にいて欲しいのです。」

「ずっと側にいるよ。紅梅に子が産まれてから、黄杏の屋敷だけに泊まっているではないか。」

何を言っても、笑顔でさらりと返す。

黄杏は、信志から離れた。

「そして今度は、人が変わったように、冷たくするのか。」

「冷たくなんて……」

「はははっ!嘘だよ。」

気が緩んできたのか、信志は服の胸元を、ふいに開けた。


「信志様は、嫉妬する妃は、お嫌ですか?」

「会う度に嫉妬されるのは嫌だが、たまにはいいものだ。なにせ私の妃達は、嫉妬すると言う事を知らないからな。」

フッと、黄杏は笑ってしまった。

「それは嫉妬しても、信志様がさらりと流してしまうからなのでは?」

「そうか?これでも内心、どうすればいいものか、考え込んでいるのだがな。」

黄杏は、口元を手で覆い、笑うのを必死に堪えた。


「だが黄杏は、特別だ。」

「私がですか?」

「ああ。嫉妬されると困るどころか、可愛らしいとさえ思ってしまった。どうしてだろうな。」

信志は、黄杏の髪を優しく撫でた。

「思えば、忠仁の反対を押し切ってでも、自分の妃にしたいと思ったのは、黄杏だけだった。」

それを聞いて黄杏は、信志の胸元に、自分を預けた。

「他のお妃方は、違ったのですね。」

「ああ。白蓮は勝手に決められていたし、青蘭は隣の国を攻め滅ぼした時に、忠仁から妃にしてはと勧められたのだ。紅梅は半ば、妃にしてくれと頼まれたと言うのもあるし、黒音は子を作る為と割り切って迎えた。黄杏だけだな。恋しくて、ずっと側に置きたいと思った女は。」

そう言われてしまえば、さっき嫉妬した自分が、なんだか馬鹿らしく思えてきた。

そう、最初から嫉妬する必要など、なかったのだ。


「これで、青蘭の事は見逃してくれるかな。」

黄杏は、目をパチクリとさせた。

「青蘭は、忠仁に勧められたとしても、一目で気に入ってしまったのは、否定できない。それに……」

「それに?」

「女を抱きたいと思うのは、男の性と言うか……」

黄杏は、信志の太ももを抓った。

「痛い!王の太ももを抓るとは!」

「これで許して差し上げます。」

黄杏は、こっそりと舌を出した。

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