第18話 本当の自分

腹の中の子が流れても、信志は黄杏の元へ通う事を、止めなかった。

「体調はどうだ?気分が悪くなったりは、しないか?」

黄杏の手を握り、顔を合わせて尋ねてくる。

「有り難うございます。私は、大丈夫です。」

「そうか。」

信志は躊躇いもなく、黄杏を引き寄せる。

「こうして、側にいると言うのに、黄杏を抱けないとは、残酷なことよ。」

「子が流れて、まだ1ヶ月も経たぬのです。医師に止められているのは、お分かりでしょう。」

「分かっている。分かっているつもりだが、気持ちが押さえきれない。」

信志は、黄杏に口付けをした。

いつにも増して、見つめ合う二人。

子は流れたと言っても、黄杏は信志にとって、特別な存在になった。

自分の子を孕んでくれた、唯一の存在。

それが、抱けないと分かっていても、信志を黄杏の元へ通わせる、大きな理由だった。


「黄杏。いつからそなたを抱ける?」

信志の表情は、ウキウキと輝いている。

「……まだ、でございます。」

「そうか。まだか……」

「恐らく、次の月のモノが来るまでは。」

がっかりしているが、黄杏に決して分からないように、抑えている。

信志の気持ちは分かるが、子を授かった事で、いろいろ見えた事もあった。

妃になったばかりの頃の、純粋な気持ちだけでは、いられない。


「信志様。そこでお願いが、ございます。」

「お願い?」

黄杏は、黒音がお茶を注ぐ時を、待っていた。

「次の月のモノが来るまでは、信志様の寝屋のお相手をする事はできません。その間この黒音を、お相手に推薦したいと思っています。」

「お妃様!」

黒音は、わざと驚く振りをする。

「黒音。あなたなら、できますね。」

黄杏に問われ、黒音はゴクリと息を飲んだ。

「はい。お妃様の代わりとならば、精一杯勤めさせて頂きます。」

黒音は喜びを隠しながら、頭を下げた。


だが、信志の表情は、重かった。

「私に、そなた以外の女を、抱けと申すとのか。」

黄杏の胸が、痛む。

「たかが、1ヶ月程の間だろう。なぜ、そのような事を申すのだ。」

冷静に尋ねられると、余計に悲しくなる。

「もしかしたら私は、流産したせいで、もうお子が授からないかもしれません。」

「えっ……」

「そうなれば、他にお子ができる可能性のある女性を、新しいお妃にするしか、方法はございません。」

信志は、表情が固まっている。

「そなたを迎えて、まだ1年も経っていないと言うのに、他の妃を迎えろと言うのか。」

黄杏は、ボロボロと涙を流した。

「……全て、この国の未来の為でございます。」


本当は、他の女なんて、抱いてほしくない。

だが、子ができない自分を抱く事で、子ができる好機を逃してしまうのは、もっと嫌だ。

黄杏は苦難の末、黒音を推薦したのだ。

やみくもに言っている訳でもない。


黒音は、まだ若い。

子ができる可能性が、大いにある。

明るくて、頭もいい。

そして何より、妃になりたがっている。

もしかしたら、いい具合に妊娠するかもしれない。

黄杏も、ずっと悩んだ末に出した、答えだった。


「分かった。」

それだけを言って、信志は屋敷を出ていった。

「お妃様……」

黒音が手を差し出す。

思わず、その手を振り払ってしまった。

まだ、お妃になるかも分からないと言うのに。

「すまない、黒音。」

「いいえ。」

すると黄杏は、立ち上がって寝室に、入っていった。

「黒音、今日はもう、お休みなさい。」

「ですが、お妃様……」

「私はもう、大丈夫だから。」

そう言って、寝室にこもってしまった黄杏。


寝台に横になると、ここでいくつも味わった、蜜月を思い出す。

何度も、名前も呼んでくれた。

何度も、愛していると。

何度も、そなただけだと。

聞き飽きる程に、耳元で囁いてくれた信志。


だが子ができる可能性が、低いと分かった以上、他の女に、愛する人を譲らなくてはならない。

胸が張り裂けそうな思いと共に、白蓮も青蘭も、紅梅も。

同じ思いをしてきたかと思うと、黄杏は涙が止まらなかった。


一方で黒音は、黄杏から王の相手に推薦されてから、隙を見て、王に近づく毎日であった。

「信寧王様。」

稽古の途中でも、紅梅がいないとなれば、話しかけていた。

「ああ、確か……」

「黒音でございます。」

「そうだ。黄杏付きの女人であったな。」

そこまで覚えられ、黒音は少し嬉しくなった。


「そう言えば黄杏が、そなたを私の新しい妃にと、申していたな。」

「はい!」

まさかその話を、信寧王の方からされるとは。

黒音は、胸を踊らせた。

「そなたの気持ちは、どうなのだ。」

「はい。推薦して下さった黄杏様の為にも、お国の為、王の為に、この身を捧げます。」

黒音は、信寧王の前に膝を着いた。

「そう、申すと思っていた。」

「えっ……」

黒音は、ドキッとした。

「仕えている妃にそう言われれば、断る事もできぬのであろう。」

信寧王は、黒音に背中を向けると、そのまま立ち去ろうとした。


「あ、あの!」

黒音は、慌てて立ち上がった。

「黄杏様に、言われたからではありません!」

王は少しだけ、振り返った。

「黄杏様は、私が王の妃になりたいと言っていたのを、お耳にされたのです。」

後ろを向いた信寧王に、黒音は両手を握り合わせた。

「お願いです、王!私を、妃にしてください!必ず跡継ぎを産んでみせます!」

握る力が強すぎて、両腕がブルブルと震える。

「……悪いが今は、新しい妃を迎える気はない。」

そう言うと信寧王は、稽古場を後にした。

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