第17話 新たな刺客

一方の黄杏は、お腹の激痛に耐えていた。

「うううううう!」

お腹の中の赤ん坊は、大丈夫なのだろうか。

黄杏は、それだけが心配だった。

「黄杏!黄杏!!」

信志が駆け付けた時、黄杏は全身に、大量の汗をかいていた。

「黄杏!」

急いで、黄杏の手を取る。

「信志様……」

虚ろな目で、ただただ痛みに耐えている黄杏。

「ああ!許してくれ、黄杏。こんな時に限って、他の妃の元へ行っているなんて!」

「いい……え……私の方こそ……ご心配……おかけして……」

「それ以上、何も申すな。」

信志は女人から布を借りると、黄杏の手を握りながら、次から次へと溢れる汗を拭き取った。

「頑張れ、黄杏。私がついている。」

「はい……」

意識朦朧としている黄杏を、信志は必死に励ました。


だが、夜更け近く。

「うううううう!あああああ!」

黄杏の唸り声が、悲鳴に変わった。

「医師!」

王に呼ばれ、医師が黄杏を診る。

新たな薬を用意させ、それを飲ませようとした時だ。

「うわあああああ!」

急に大きな声を挙げ、叫び終わった後、ぐったりと力尽きてしまった。

「黄杏!黄杏!!」

信志が、黄杏を揺り起こす。

「王。しばらく、席を外して頂けますか?」

医師が冷たく言い放つ。

「えっ……」

「手は尽くしましたが、おそらく……」

それに続く言葉は、言わずとも分かっていた。

子は、死んでしまったのだ。

フラフラと、黄杏の屋敷を出る信志。

月夜の中で、膝をついた。

「うわああああああああ!」


初めての子が、この世に産まれる前に、死んでしまった。

それは信志にとって、身が切られる程の、悲しみだった。

その叫び声を聞いた、他のお妃達が、屋敷の外に出る。

皆、あの叫び声が、信寧王だと分かったのだ。

「信志様?」

「王?」

紅梅と青蘭が、恐る恐る信志に近づく。

だが、そんな二人に気づく様子もなく、王は体を震わせ、泣いている。

「もしかして、黄杏さんのお子、ダメだったのでは……」

紅梅が顔を覆う。

「えっ?」

事情を知らない青蘭は、黄杏の屋敷に向かう。


青蘭が屋敷の中を覗いた時、黄杏が意識を失っている間に、医師がお子の処理をしていた。

血まみれの寝台。

青蘭は、倒れそうになるのを我慢しながら、屋敷を出た。

その時だった。

黄杏付きの女人、黒音が窓から屋敷の窓の中を、覗いていた。

黄杏付きのはずなのに、看病するしないどころか、屋敷にも入らないなんて。

「ククククッ。」

しかも、笑っている。

黄杏の子が死んで、笑っている。

青蘭は、不可解に思いながら、紅梅と王の元へ戻った。


そこには、白蓮も駆けつけていた。

「青蘭。何があったのです?」

白蓮は一切、何も知らないようだ。

「黄杏さんのお腹のお子が、お亡くなりになったようです。」

「えっ!?」

白蓮は驚いて、地面に倒れ込んでしまった。


跡継ぎができる事は、この夫婦の長年の悲願だったと言うのに。

「紅梅さん。奥様を頼める?」

「ええ。大丈夫よ。」

紅梅は、悲しみに暮れている白蓮を、抱き起こすと、屋敷まで一緒に着いて行った。

そして青蘭は、王の腕を肩に回し、何とか自分の屋敷に、連れて行った。

「王。横になってください。」

服を脱がせ、自分の寝台に信志を寝かせる。

情事以外で、王を寝台に寝かせるとは。

青蘭は、複雑な気持ちでいっぱいだった。


憎んでいた相手。

誰が、この者の子など孕むかと、意地を張っていた時代。

それも全て、懐かしいだけだった。

夜更けだった事もあり、青蘭は何も言わずに、信志の横で眠りに入った。

そして一時程して、信志が起き上がっている事に、気づいた。

「信志様。」

寒くないかと、上着を羽織らせた。


「なあ、青蘭。なぜ子は、死んでしまったのかな。」

青蘭は答えられなかった。

「もしかしたら、今までこの手で殺してきた、祟りなのか。」

「信志様?」

「そなたの父を討ち取った時、『この恨み、子孫まで!』と言われた。いつか、そなたに子ができ、その者に命を狙われるのかと考えもしたが、まさか子孫ができないとは……」

「考え過ぎです!」


青蘭は、王を後ろから抱き締めた。

「父も、今の私を見れば、王をお許し下さいます!お亡くなりになったのは、まだお一人ではございませんか!これからまだまだ、お子はできます!」

「青蘭……」

いつもは力強い王も、今日ばかりは、か弱い女人のようだ。

だからこそ青蘭は、あの黒音の笑みが、気になって仕方なかった。

なぜ主人が酷い目に逢っているのに、微笑みを浮かべる事ができるのか。

答えは簡単。

黄杏の子が亡くなる事を、黒音自身、望んでいたからだ。

ではなぜ?

そして、黒音自身が手を出したのか、それとも他の女人にやらせたのか。

ともかく青蘭は、黒音を調べてみようと、心に誓った。


それから数日して、お付きの女人が、黒音を調べてきた。

「青蘭様。黒音は時々、自分が妃になって王の跡継ぎを産み、国母になるのだと、周りに言っていたそうです。しかも掃除人や洗濯人など、あまりお妃様達と接点がない者達に。」

「何ですって!」

妃付きの女人でありながら、自分が妃になり、その上国母になりたいとは。

卑しい身分でありながら、なんて事を思い付くのだ。

「それで?黒音が、黄杏さんに手を出したの?」

「そう思われます。実は黄杏様が、ご懐妊後しばらくの間、つわりに悩まされたとか。」

「つわり?本当なの?」

「はい。ただ、直ぐに治まったそうでございます。」

「そうだったの。その為に、私達にも分からなかったのか。」

「そのつわりなのですが……」


女人は、一歩青蘭に近づいた。

「これは老婆の元洗濯人に聞いた話なのですが、黒音はあまりにも重い黄杏様のつわりを、その老婆に相談したそうです。老婆は薬草がいいと薦めたのですが、その時に、『重いつわりなら、お子は男の子じゃな。』と言ったそうです。」

「男の子!?それで?実際、黄杏さんのお子は?」

「医師に聞いた話ですと、やはり男の子だったそうです。」

「そんな……」

青蘭は椅子の上で、ぐったりした。

「産まれていれば、王も奥様も、どれだけ喜ばれた事か……」

「黄杏様は、毎日お里から送られてきた薬草を、飲んでいらっしゃいました。黒音はその中に、流産を促す薬を入れていたのだと思います。」

「黒音が……黒音が、薬草を毎日準備していたのか。」

「はい。」


あの日、外から屋敷の中を覗いていた、黒音の笑った顔が、青蘭の頭から離れない。

私が未来の国王を産むまで、他の女に、跡継ぎが産ませてなるものか。

そんな声が、聞こえてきそうだ。


「黄杏さんに、面会はできて?」

「はい。黄杏様ももう、起き上がれるそうです。」

「そう。では、お見舞いに行って来ましょう。」

青蘭は立ち上がると、昼間、黄杏の屋敷へと立ち寄った。

「まあ、青蘭さん。」

黄杏は、黒音に看護されながら、部屋の椅子に座っていた。

青蘭は、息をゴクリと飲んだ。

こんな時に、黒音がいるなんて。

なんとか黒音を、黄杏から離す手立ては、ないのか。


「黒音。水を汲んできて来てくれない?」

青蘭は黒音に、お椀を渡した。

「畏まりました。」

黒音は青蘭からそのお椀を受けとると、直ぐ、他の女人に頼んでしまった。

黄杏付きの女人の中でも、特に黄杏の信頼が厚い黒音は、他の女人も束ねている女人頭だ。

青蘭は、困り果てた。

黒音を黄杏から引き離すのは、一筋縄ではいかない。


「お体はもう、よろしくて?黄杏さん。」

「ええ。お陰様で。黒音の介護がいいので、治りも早いわ。」

青蘭はちらっと、黒音を見た。

「……黒音は、頼りになるわね。」

青蘭がそう言うと、黄杏は穏やかな顔でこう言った。

「そうなの。里の村から宮殿に来るまでの間の、旅で知り合ったんだけど、屈託がなくて、話も合ってね。」

「旅の途中で?へえ。」

「何かとよく気づいて、お世話してくれるの。本当に私付きの女人になってくれて、よかったわ。」

黄杏は黒音に、絶大な信頼を置いているらしい。

そんな黄杏に、子を殺した犯人は黒音だと言えば、逆に自分が疑われるかもしれない。


「そう言えば、風の噂で聞いたのだけど。」

青蘭は、女人に注いでもらったお椀に、口を付けた。

「黒音。あなた、お妃の座を、狙っているんですって?」

それを聞いた黒音は、一切慌てる様子もない。

「滅相もございません。私には、そのような身分は、勿体無く存じます。」

さらりと、笑顔で受け流す。

「あら。でも、皇太子を産んで、国母にもなりたいと言ってるみたいじゃない?」

「え?」

これには、黙って話を聞いていた黄杏も、目を丸くして驚く。

「黒音。あなた、そんな事を考えていたの?」

優しく尋ねる黄杏。

「とんでもございません。ただの噂でございますよ、黄杏奥様。」

黒音は、ニコッと笑うと、他の女人と一緒に、青蘭へのお菓子を選び始めた。

青蘭は、今だと思った。

そっと、黄杏に近づき、耳元で囁く。


「今の話、全てが嘘ではありませんよ。」

黄杏は、チラッと青蘭を見た。

「掃除人や洗濯人に、そう申しているそうよ。」

そう言って青蘭は、黄杏から離れた。

「さあ、青蘭様。こちらは、街から取り寄せた、美味なるお菓子でございます。」

「有り難う。」

青蘭はそ知らぬ顔で、そのお菓子を口の中に入れた。

「まあ、美味しいお菓子だこと。」

「有り難うございます。」

黒音は、満足げに頭を下げた。

そっと、目を合わせる黄杏と青蘭。


まさか、お腹の子を亡くしたのも、黒音のせい?

黄杏の言葉にならない質問に、軽く頷いた青蘭。

黄杏は、ため息をつくのも我慢し、じーっと黒音を見つめた。

心を許し合う女人が、子供を殺した犯人。

黄杏は、複雑な心でいっぱいだった。

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