第5話 黄杏の家で

『どうするつもりなのか。』

黄杏にも、将拓にも、言われた言葉。

妃にもできない。

召し使いにする事も嫌だ。

「どうすれば、いいのだ!」

信志が、髪を掻きむしった時だ。


黒い布で全身を覆った者が数人、信志を取り囲んだ。

「失礼ながら、信寧王とお見受けします。」

信志は、腰にある刀に手をかけた。

「いかにも。そなた達は、何者だ。」

「あなたに、滅ばされた国の者。」

相手も、刀を抜く。

それを合図に、信志と黒い布を纏った者達の、戦いが始まった。


信志も剣術を習い、それ相応なりの技を持っていたが、相手も同じくらい強い。

その上、相手は数人に対して、信志は一人だ。

「お命、頂戴致します。」

「私の命は、私一人のものではない。おいそれと、くれてやれるか!」

激しい刀の打ち合いの中で、信志が一人、敵を倒した時だ。

後ろから、腕を切られた。

「うっ!」

利き腕ではなかったものの、片手で刀を振りかざすのは、至難の技だ。

「お覚悟を!」

正面の敵が、刀を振りかぶった。


「信志様!」

どこからか将拓が駆けつけ、正面の敵を倒した。

「信志?信寧王ではないのか?」

「落ち着け!先程、自分は信寧王だと、認めたではないか!」

「もしかしたら、王を庇う別な者?」

敵が狼狽えている間にも、将拓は刀を抜き、敵を追い払う。

「退け!退け!」

黒い布に覆われた者達は、将拓の剣さばきに驚き、逃げて行った。


「助かった、将拓。」

「いえ、密かに後ろを歩いていて、正解でした。」

振り返った将拓は、信志の左手がダランと落ち、血が滴り落ちているのを見た。

「信志様。腕を出して下さい。」

切り裂かれた服の中に、ぱっくりと割れた素肌が見えた。

将拓は、自分の上着を脱ぐと、信志の腕をそれできつく縛った。

「私の家に戻りましょう。」

「大丈夫だ。」

「いいえ。早く手当てをしなければ。」

将拓は、信志の右側に立つと、そのまま抱えるように支え、自分の家まで連れて帰った。


「黄杏!黄杏!!」

けたたましい声をあげる将拓に、黄杏は何事かと、顔を出した。

「どうしたの?」

そして血に染まった信志が、その目に飛び込んできた。

「信志様!これは一体!?」

心配する黄杏を他所に、将拓は信志を居間に座らせた。

「黄杏。私の荷物から、黒い布にくるまった物を持って来てくれ!」

「はい!」

黄杏が将拓の部屋に、取りに行っている間、二人の親は、何事かと近寄ってきた。

「何があった?この方は?」

父に問われ、将拓は血で張り付いた布を、丁寧に剥がしながら答えた。


「私の友人です。帰りがけに何者かに襲われて、怪我をしたのです。」

そして大きく裂かれた傷を見て、父親と母親は、震え上がった。

「母上、お酒を持って来て下さい。父上、清潔な布はございますか?」

「ああ……」

一家総出で、自分の傷を治療してくれようとしている。

今までは、そんな事当たり前のように、思っていたのに。


「手間を取らせる……」

「何を仰っているのですか。傷を負った者を治療するのは、人として当たり前の事ですよ。」

「だが私は、斬られたまま、死んでいく者を、何千人と見てきた……」

黒い髪で目を隠す信志に、将拓は居たたまれなくなる。

信志は、ただ王家に生まれたと言う理由だけで、そんな辛い思いを、一人で受け止めているのだ。


「将拓、これでいいかい?」

母が樽から酒を注いできた。

「十分です。」

将拓は、酒の入った徳利の、蓋を外した。

「信志様。少し滲みますぞ。」

「ああ……」

将拓は、口に酒を含むと、一気に裂けた傷へと吹きかけた。

「うっっ!」

「信志様!」

飛び上がる程の痛みを、必死に堪える信志を見て、黄杏は、思わず信志を抱き寄せた。

「黄杏。そのまま抱いていろよ。もう一度だ。」

するとまた酒を口に含み、傷に吹き掛ける。

信志の手が、強い力で黄杏の腕に、しがみつく。

痛すぎて、赤く跡が付くくらいだ。


「よし。黄杏、その黒い布をこちらへ。」

「何が入っているのですか?」

将拓は、黒い布を広げると、一番細い針に一番細い糸を通した。

「傷口を縫うんだ。いいですね、信志様。」

息を切らしている信志は、頷くのが精一杯だ。

「黄杏、信志様の口の中に、厚い布をくわえて貰え。」

「えっ!」

「麻酔無しで縫うんだ。間違えて、自分の舌を噛んでしまわぬようにな。」

黄杏は信志の首元を、自分の腕で覆った。

「早くしてくれ。」


布を取ろうとしない黄杏に、信志は自分で布を取って、口に入れた。

「では父上、母上、黄杏。信志様を動かぬよう、押さえてくださいね。」

言われた3人は、それぞれ、信志の身体を両手で押さえた。

「いきますよ、信志様。」

裂けた傷に針が通ると、信志はこれ以上にないくらいに、大声で叫んだ。

その度に、押さえている3人は、目を瞑り、その声を聞かなくては、ならなかった。

「よし。もう終わりましたよ。」

はぁはぁと、息を切らしている信志の左腕は、綺麗に細かく縫われていた。

「これなら、傷も目立たなくなるだろう。」

満足気に、将拓は清潔な布で、傷を巻き始めた。


「兄様。そんな事もできるのね。」

「まあな。地方都市では、夜歩いているだけで、何者かに斬られる。このくらいの処置ができなくては、次から次へと命が無くなっていく。」

布を巻き終わった後、黄杏は母が持って来た新しい上着を、信志に掛けた。

「……先程の話、本当か?」

黄杏にもたれ掛かっている信志が、口を開いた。

「地方の都市では、夜歩いているだけで、斬られるという話だ。」

「ああ……本当ですよ。」

将拓は針と糸を、黒い布に入れた。

「この細い針と糸も、傷が目立たぬように、揃えたものなんです。」

「そうだったのか。知らなかった。」

「信志様は、都に住んでいらっしゃいますからね。」

その言葉に、黄杏と将拓の両親は、顔を合わせた。


「あの……信志様は、中央のお役人なのですか?」

「えっ……あっ、いや、私は、」

恋人の両親に、自分の身分を明かそうとした信志に、将拓は被せるように、言い放った。

「ええ、そうですよ。しかも、私とは違って、相当ご身分が高い。」

将拓と信志は、向き合った。

「では……なぜ、そんな身分の高いお方が、黄杏とこんなに、仲がよろしいのでしょうか。」

母が心配そうに尋ねた。

「母上、これは……」

誤魔化そうとする将拓を、今度は信志が止めた。

「お父上、お母上。私は、黄杏の恋人です。」

「恋人!?」

黄杏は、困った表情の中にも、どこか嬉しさが混ざっていた。

「この際ですから、言わせて下さい。私は、黄杏を妻に迎えたいと思っているのです。」

「ええっ!?」

更に驚いた両親は、突然の話に、言葉も出てこない。


「だが、あなた様の家では、黄杏が妻の条件に合わないと、受け入れては下さらないではないですか。」

すかさず将拓が、間に入った。

「将拓……」

「兄様……」

黄杏と信志は、途端に下を向く。

「どうやら、将拓の話は、本当の事なのですね。」

父親が、者苦しそうに言った。

すると信志は、手を床に付いて、頭を下げた。

「どんなに時間がかかっても、黄杏を妻に迎えられるよう、皆を説得します。」

「信志殿……」

「お願いです。黄杏と私は、もう離れられない程に、愛し合っています。どうか、私を信じて下さい。」


信志の言葉を聞いた黄杏は、信志の手を握った。

「どうか頭をお上げ下さい。私の為に、高貴な身分のあたなが、頭を下げる必要などございません。」

「身分が、高かろうが低かろうが、妻に迎える時には、ご両親の頭を下げるのが、礼を尽くすと言うものだ。」

「信志様……」

お互い見つめ合う信志と黄杏に、両親も折れた。


「どうやら、あなた達を引き離すのは、無理のようですね。」

「母上。」

「信志殿のお気持ちは、十分に分かりました。あなた様の家が、黄杏を迎えてもいいと言ってくださるまで、娘を待たせましょう。」

「父上!」

黄杏と信志は、手を取り合って喜んだ。

「但し、子ができる年齢までです。」

父は、一つの条件を出した。

「なぜこの村が、多宝村と呼ばれるのか。それは子に勝る宝なしと言う事を、知っているからです。」


父は信志と将拓の手を、それそれ握った。

「子供を多く作る事は、家の繁栄に繋がる。家の繁栄は、国の繁栄に他ならない。子ができなければ、家は滅び、国は滅びる。よく、覚えておきなさい。息子達よ。」

信志は、幼い頃に父親と、引き離されて育った。

だから温かく手を握られる等、初めての事だった。

「はい、父上。」

将拓は、直ぐ様返事をした。

だが、未だに子供ができない信志は、なかなか返事ができない。


「婿殿。そんなに気負いなさるな。子は天からの授かり物。欲しい欲しいと欲張ればできないが、私達にも子をお授け下さいと、心穏やかでいれば、いつかは授かる。」

父の言葉に信志は、心が温かくなった。

「……肝に、命じておきます。」

信志は、自分に微笑んでくれる父を見て、黄杏を選んだ事に、間違いはなかったと思った。

「さあ、今日は皆で、飲み明かそう。新しい婿殿と一緒にな。」

こうして、黄杏の家での祝賀は、遅くまで続いた。


その日の夜。

信志は、黄杏の部屋に、寝床を用意された。

「なんだか、照れ臭いな。」

半分恥ずかしそうに布団に入る信志を、黄杏は横で微笑ましく思っていた。

「傷は、痛みますか?」

「いや。そんなに痛まないよ。お酒を飲んで、酔っているせいかな。」

安心した黄杏は、髪をとかした後、布団に入った。

そんな黄杏を、信志はすかさず、抱き寄せる。

「ああ、久しぶりに、黄杏の匂いを嗅ぐ。」

「そんな、対して良い香りなど、しませんよ。」

「いいや。甘くて、良い香りだ。落ち着く。」

すると信志は、ゆっくりと起き上がり、黄杏の上に覆い被さった。


「再び君を、この手に抱けるなんて……まるで、夢を見ているようだ。」

「夢なんかじゃ……ありません……」

黄杏は、信志の首元に腕を回し、信志は黄杏の背中に、腕をまわした。

「黄杏……愛してる……」

「私もです……信志様……」

二人の甘い声は、一晩中、部屋の中に響いた。

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