第6話 国の為ならば
朝になり、宴が催される屋敷へ帰った信志は、忠仁を大広間に呼び寄せた。
「如何されました?信寧王。」
「忠仁。私は、新しい妃を決めた。」
すると、忠仁は手を付き、頭を下げた。
「それはそれは、おめでとうございます。で?どこの娘御であらせますか?」
「この屋敷の近くに住む、黄杏と言う娘だ。」
忠仁は、眉をしかめた。
「はて。お妃候補の中に、屋敷の近くに住む娘御など、おりましたかな。」
「忠仁。実は黄杏は、お妃候補の中には、入っておらぬのだ。」
信志と忠仁は、見合わせた。
「もしや、いづぞやの……兄がいると言う娘ですか?」
「ああ、そうだ。」
「そうでしたか……」
頭から反対すると思ったのに、忠仁は冷静だ。
「分かりました。確か屋敷の近くに住んでいると、申されましたな。」
「ああ。」
「早速、親御様にお会いして、明日都に連れて行く手筈を、整えましょう。」
「忠仁!」
これで黄杏を、都に連れて帰れる。
信志は嬉しくて、忠仁の手をとった。
「恩にきる、忠仁。」
「いいえ。王の決めた娘御であれば、致し方ありません。」
忠仁は、こんなにも嬉しそうな顔をする信志を、初めて見た。
それが忠仁に、あることを決めさせるきっかけになった。
そして、忠仁は午後になると、言葉通り、黄杏の家を訪ねた。
「どちら様でしょうか。」
顔を見せたのは、黄杏の母だった。
「私は、信寧王の使いである。ここの娘御・黄杏殿の事で、お話がございます。」
「黄杏の事で?」
母は、中にいる父の顔を見た。
父は、王の使いと聞いて、家の中に招き入れた。
無論、黄杏と将拓も呼んで。
「王の使いとは、どのような事でございましょう。」
家の上座に座った忠仁は、黄杏をチラッと見た。
「実は本日、我が国の王である信寧王が、そなたの娘御・黄杏殿を妃に迎えたいと、申された。」
「王が?」
何の事やら覚えのない話に、父と母は、首を傾げる。
事情を知っている黄杏と将拓だけが、額に汗をかいていた。
「あの……お言葉ではございますが、黄杏には既に、夫婦の約束をしたお方が……」
「それが信寧王だと、申しているのだ。」
「えっ!?」
父と母は、後ろに控えている黄杏を、振り向いて見た。
黄杏は、ばつが悪そうに、目をつぶって下を向いている。
「だがな、お父上殿。規則で娘御は、王の妃になれぬ。」
「妃になれぬ?あの……信志殿……信寧王様は、何年かかっても、黄杏を妻に迎えられるようにすると、仰って頂きました。」
「ああ、そうなのだ。どうやら信寧王は、黄杏殿を諦めるおつもりは、ないと見える。そこでだ。」
忠仁は、懐からお金が入った袋を、両親の前に置いた。
「1年程、食べていけるだけの金は用意した。これで黄杏殿には、村を出て行ってほしいのだ。」
「えっ?」
驚いたのは、両親だけではなかった。
「村を出て行く!?」
隣で聞いていた将拓も、膝を立てる程驚いた。
「今の信寧王に、黄杏殿が何を言っても、妻にするの一点張りでしょう。だが、黄杏殿がいなくなったと言えば、嫌でも諦めましょう。」
黄杏は、頭が真っ白になった。
「そんな……あなたは、二人の愛の深さを、ご存じないのか。」
「愛の深さ?そんな事は、一般人の戯れ言。国をまとめる王には、必要なし!」
これには、父も腑に落ちなかった。
「何を仰せか。国の頂点に立つお方こそ、情愛の深さが必要だと、お思いにならないのか!」
「ならば、この国を再び、内乱の渦に巻き込まれるおつもりか!」
父と忠仁は、しばらくの間、睨み合いを続けた。
「……我が息子が、将来内乱を起こすと、仰るのか。」
「決めつけはよくないが、そのご子息のその格好。地方の役人と、お見受けした。」
「いかにも。」
「地方の役人は、力を付ければいづれ、中央の役人になりたがる。中央の役人は、どうにか政治の中心に、身を置きたいと思うようになる。ご子息だけではない。皆、心の中に欲望を持っているのだ。その時に、黄杏殿に力を貸してくれと、頼まない自信が、おありか?」
将拓は、息を飲み込んだ。
自分の中に眠っている、中央の役人になりたいという欲望を、まざまざと表に出された気がしたのだ。
「私は……」
「兄上……」
黄杏が将拓に、手を伸ばした時だった。
「忠仁!忠仁!!」
家の中に、信志が入って来た。
「そなた、お金を持って行ったと言うではないか!何に使う為に……」
その時、異様な雰囲気に包まれている、黄杏達を見た。
「どうした?何があった?」
見れば、両親の前にそのお金の袋が、置いてあるではないか。
「この方が……黄杏に、この金で村を去れと……」
父がそう言うと、信志は忠仁を殴り倒した。
「よくも、よくも!そんな事が言えたな!忠仁!」
もう一発殴ろうとする信志の手を、父は掴んだ。
「お止め下さい、信寧王。」
「離せ!こ奴は!」
「なりません!王は何時も、家臣に手を挙げてはいけません!」
信志はハッとして、父を見た。
「数々のご無礼を、お許しください。まさかあなた様が、信寧王だと分からずに、婿殿となど……」
信志は、忠仁から手を離した。
「何を申すのだ。忠仁から聞いただろう。正式に黄杏を、私の妃に迎えたいと。」
「身に余る名誉でございます。但し、妻に迎えられない事も、聞きました。」
信志は、忠仁を睨んだ。
拳を強く握ったが、先程黄杏の父に、手を挙げてはいけないと、諭されたばかりだ。
「信寧王。あなたのお気持ちは、本当に嬉しかった。ですが、この国の歴史を、変える事はできません。」
父の言葉を聞いた黄杏は、ガクッと膝から落ちた。
それ以上に納得できないのは、信志の方だった。
後ろにあった壁を、何度も叩いた。
「どうしても、ダメなのか。人の気持ちは、歴史を変えられないのか!」
悔しくて、信志は壁伝いに、崩れ落ちた。
「やっと、心を通わせる相手に出会えたと言うのに……諦めるしか、方法はないのか……」
信志の目から、涙が溢れた。
「まだ、諦め下さるな。」
空気を一変させたのは、将拓だった。
「将拓?」
「黄杏を妻に迎えられない理由。それは、兄である私がいる。それだけでしょうか。」
「いかにも。それ以外に、理由はなし!」
忠仁が答えた。
「ならば、私がいなくなれば、良き事。」
将拓は腰から刀を取り出すと、皆の前で、刀を抜いた。
「何をする!将拓!」
その手を止めたのは、誰でもない信志だった。
「早まるんじゃない!」
「信寧王……」
気がつくと、刀を止めている信志の手から、血が流れていた。
「王!刀をお離し下さい!」
忠仁が、信志の手を掴んだが、信志は離そうとしない。
「ダメだ。今この手を離したら、私は大事な友人を、失ってしまう……」
しばらく、見つめ合う将拓と信志。
「王。刀をお離し下さい。」
「将拓!」
「あなたは、心から黄杏を愛して下さっている。妃に迎えて頂ければ、黄杏は必ず、男子を産んで差し上げられるでしょう。」
「兄上!」
黄杏は耐えられずに、将拓の腕を掴んだ。
「さすればその男子は、この国を背負って立つ、未来の国王になる。私は地方とは言え、この国に仕える役人の一人。この国の為、友である王の為、何よりも可愛い妹の為、この命を差し出す事に、何の躊躇いがあるのでしょうか。」
その話を聞いていた忠仁が、信志と将拓の間に入り、刀を奪い取った。
「忠仁!」
「ご子息の役人としての心得、見上げたものだ。さすれば、このお金を持ち、死んだ者として消えて頂こう。」
その場にいた者皆が、驚きを隠せなかった。
「将拓を……死んだ者として?」
だが将拓は、金を入った袋を掴むと、懐に乱暴に押し入れた。
「父上、母上。いままで世話になりました。」
「兄上!」
頭を下げる将拓に、黄杏がしがみついた。
「黄杏……幸せになってくれ……」
固い決意をした将拓に、黄杏は手を離した。
「まだ、出て行くには早い。」
忠仁が、皆に手招きをした。
「明日の夕方までに、将拓の代わりを用意できるか?」
「代わりで、ございますか?」
「要するに、将拓の身代わりに、火葬する者だ。」
父と母は、顔を合わせた。
「死体なら、金を払えばなんとか……」
「ならば、これで。」
忠仁は、懐から金を出した。
「忠仁。それは……」
さすがの信志も、そこまでやるかと、首を横に振った。
「信寧王!」
忠仁は鋭い目で、王を見た。
「これは、お国の為なのですぞ!」
信志は、息を止めた。
「この娘御を妃に迎える事は、既に国家の未来を担っているのと、一緒なのです。それには、この将拓殿を無かった事にしなければならないのです!」
「忠仁……」
「それとも、怖じ気づきましたか?そこまでするなら、この娘御を妃に迎えるのは、諦めると仰せか?」
信志は目を瞑り、顔を背けた。
「信寧王。」
そんな信志に、将拓を手をとった。
「私の事など、お気になさいますな。ただ身を潜めるだけでございます。それよりも、妹を幸せにしてやってください。」
「将拓……そなたは……」
「草葉の影から、あなた様と黄杏の幸せと、この国の発展を、お祈りしております。」
信志と将拓は、互いに強く手を握りあった。
「それでも、各々がた。明日の手筈を……」
そして、忠仁を中心に、明日の段取りが発表された。
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