第4話 愛する人の正体

次の日の夜。

信寧王の滞在は、1週間延期された。

黄杏と信志は、それから毎日、夜毎情事を重ねた。


「ねえ、信志。王はどうして、滞在を伸ばしたのかしら。」

「さあ……」

王本人である信志は、まさか黄杏と睦む為だとは、言えない。

「でもそのお陰で、信志とこうして会う事ができるわ。」

黄杏は、濡れた裸で、信志の体にまとわりつく。

「黄杏……」

信志も、情事が終わった時の熱い体で、黄杏を抱き締める。

水のような汗が、お互いの火照った身体を、冷やしてくれる。


「黄杏……実は……」

信志は、身体を起こして、自分の身の上を、明かそうとした。

「なあに?」

だが、純粋な黄杏を見ると、言葉が出て来ない。

「いや……何でもないんだ。」

再び、信志は黄杏の横に倒れた。

「気になるわ。何?教えて?」

「うん……」

言ってしまえばいい。

だが、それで何もかも壊れてしまったら?

信志は、悩みの窮地にいた。


それとは裏腹に、お供の忠仁は、滞在を伸ばした王に、危機を感じていた。

「王よ。いつまでこの村にいるおつもりですか?」

「そうだな。もう少し……」

「もう少しと言っても、あと2日ですよ?」

信志はそれでも、都に帰りたいと言わない。

「もう少し、もう少し、ここにいる事は、できないだろうか。」

忠仁は、何かあると勘づいた。


「女ですか。」

信志からの返事はない。

「どなたか、お気に召した女がいるのですか?」

「いると言えば、滞在を伸ばせるのか?」

忠仁は、大きく深呼吸をした。

「でしたら、その女を妃にすれば良い事。」

それもどうやら、信志には響いていないようだ。


「前にも申しましたよね。妃になれない女には、近づかないようにと。」

「ああ。」

それでも、信志は遠くを見つめている。

「まあ。惚れてしまったからには、致し方ないでしょう。どういう女なのですか?背が低いのですか?それともか細い女ですか?」

「いや……」

「では、小太りの女ですか?案外そういう女の方が、子供ができやすいと言う事も、ありますよ?」

忠仁は、恋に落ちた王を、少しからかいたのだった。


「いや、それでもないのだ。」

「まさか……」

「そのまさかだ。」

忠仁は、床を強く叩いた。

「なりません!王は、この国を滅ぼすおつもりか!」

「そんな気持ちは、毛頭ない!」

「ならば、どういうおつもりなのですか!」

信志は、黄杏を思い浮かべると、唇を噛み締めた。


「……忠仁、私達は惹かれ合ってしまったのだ。何があっても、離れぬと約束をした。」

「なんと……」

忠仁は、後ろに倒れそうになった。

「ならば、召し使いとして、お雇いになりますか?」

「召し使い!?」

「召し使いをいくら弄ぼうとも、王の勝手。妻にできぬのであれば、それしかなかろうと。」

信志は、唇を噛み締めた。


恋の病に冒される黄杏に、いち早く気づいたのは、兄の将拓だった。

「黄杏。最近、ため息が多いな。」

「兄様。」

宴のない昼間は、二人とも家に帰っていた。

「……王は、いつまで滞在するおつもりか、お分かりになりますか?兄様。」

「さあ……」

その質問を聞いて、もしやため息の相手は、あの客人にいるのかと、将拓は思った。


「相手は客人の中か。いづれ、都に帰るお方達だぞ。」

黄杏は胸が痛くなったが、引き下がる訳にもいかない。

「離れぬと約束をしました。」

「そうか。」

あっさりと答える兄に、黄杏は顔をしかめた。

「そこまで約束をしているのであれば、何も言う事はない。」

「兄様……」

「結婚が決まったら、真っ先に教えてくれよ。」

黄杏は、切ない恋の間に、一筋の光が射した気がした。

「はい……」

仲のいい兄妹はこうして、また絆を強めていったのだった。


翌日の夜。

2度目の滞在延期が、皆に言い渡された。


「また1週間、信志と一緒にいる事ができるのね。」

「ああ。」

その日も、黄杏と信志は、情事を交わす為に、庭先の近くにある部屋を訪れていた。

「あと、どれくらい滞在延期が、言い渡されるのかしら。それとも、これで最後……」

信志は、黄杏を抱き寄せた。

「そうだとしても、離れないと約束しただろう。」

黄杏の額に、信志が口付けをした時だった。


「誰だ?こんな時間に。」

灯りが、黄杏を照らす。

咄嗟に黄杏は信志を庇い、起き上がった。

「黄杏?」

「兄様……」

灯りを持って来たのは、黄杏の兄・将拓であった。

「何をしているんだ。こんなところで。」

「あの……忘れ物を取りに来て……」

そう言う黄杏の胸元が、大きく開いているのを、将拓は見逃さなかった。


「黄杏、おまえ……」

将拓が黄杏の手を掴むと、誰かに手を振り払われた気がした。

将拓は、自分の手を掴んだ相手を見て、その目を疑った。

「あなたは……王ではありませんか!」

「静かに。騒がないでくれ。」

「えっ?」

だが、その会話を聞いて、混乱したのは黄杏の方だった。


「嘘……」

「黄杏?」

後退りをしながら、黄杏は恐れで体が震えた。

「信志、あなたは信寧王だったの?」

更に将拓の方も、驚いた。

「黄杏、おまえ……信寧王だと知らずに、会っていたのか?」

「ああ!私は、何て恐ろしい事を……」

黄杏は、走り去ろうとした。

「黄杏!」

信志は、黄杏を引き止めた。


「黙っていた事、すまなかった。騙すつもりはなかったんだ。」

「では、どういうおつもりだったのですか!」

泣きじゃくりながら、黄杏は信志の腕を、振り払った。

「私は妃にはなれぬと言うのに!」

「信じてくれ!何とかするから!」

「できる訳が、ないではありませんか!」

黄杏は、将拓の後ろに隠れた。


「……離れぬと、約束をしたではないか。」

黄杏は、ガクガクと身体を震わせていた。

「信寧王。今日のところは、許して貰えないでしょうか。」

見かねた将拓が、黄杏の代わりに、信志に謝った。

「妹は、恋人が王だと知り、動揺しています。落ち着くまで、会う事はお控え……」

「ダメだ!」

あの穏やかな信志が、初めて大きな声を出した。

「黄杏……このまま終わりだなんて、私は嫌だ。」

「信志…いえ、信寧王……」

名前を呼ぶだけで、罪深くなっていくような気がした。


「信寧王。私の事は、どうかお忘れ下さい。」

「黄杏!」

「私には、もう構わないで下さい!」

そう言うと、黄杏は走り去ってしまった。

「黄杏!黄杏!」

追いかけようとする信志を、将拓が引き留めた。

「ご無礼を致します。ですが、妹に考える時間を、お与え下さい。」

信志は、その場に膝をついた。

「申し訳、ありません……」

将拓は、妹の黄杏の分まで、信寧王に頭を下げた。


恋しい人が王だと知った黄杏は、次の日から仕事に行かず、家に閉じ籠ってしまった。

そんな黄杏を、一番心配したのは、兄である将拓だった。

「飯、食べているか?」

時間を作っては、黄杏を見舞った。

「そんなに痩せては、信寧王もがっかりするぞ。」

「……もう、会わないから。」

陽の当たらない部屋に、一日中籠り、数日で黄杏の顔は、青白くなってしまった。


「……離れないと、約束したのだろう。」

「それは……信寧王だと、知らなかったから……」

「では、黄杏が信寧王を愛したのは、“役人”だったからか?」

黄杏は、将拓の方を振り向いた。

「信寧王の本当の名、信志様と仰るのだな。王は、ただの遊び女に、本当の名など教えるだろうか。」

黄杏の目に、涙が浮かぶ。

「私の口から、こんな事を言う事ではないと思うが、信寧王は本当に、そなたの事を愛してくれているのだと、思うよ。」

黄杏は、声をあげて泣き崩れた。


「だからこそ、私は側にいる事は、できないのよ。」

「黄杏……」

「聞いたわ。兄のいない娘を妃にするのは、過去に妃の兄が内乱を起こしたからだって。それは、100年も守られたこの国の歴史なのよ?それを私が、信寧王に破れと言うの?」

その一言で将拓は、黄杏が如何に、信寧王を愛しているのかが、分かった。


信寧王も黄杏を愛し、黄杏も信寧王を愛している。

将拓はこの二人を、まずは会わせねばと思った。


次の日の夜。

将拓は信寧王を、黄杏の元へ、招き入れた。

「信寧王……」

「今までのように、信志と呼んでくれ、黄杏。」

だが黄杏は、また部屋に閉じ籠ってしまった。

「黄杏。話は、将拓から聞いた。」

戸越しに、信志は黄杏に、優しく話しかけた。

「そなたは、本当に私の事を、愛してくれているのだな。」

だが黄杏からは、返事はない。

「私もだ、黄杏。心から君を愛しているんだ。」

黄杏の目からは、知らずに涙が溢れていた。

今すぐにでも、この戸を開けて、その胸に飛び込みたいと言うのに。

でもそんな事をしたら、信志は自分を忘れられず、苦しい思いをするだろう。

信志の事を想えばこそ、黄杏はその戸を、開ける事ができなかった。


そして信志は、開ける事ができない戸に、額を付けた。

この戸の向こうに、黄杏がいる。

無理矢理、この戸を開けても、一度閉ざされた黄杏の心は、開くことはできない。

「黄杏。また、明日来る。」

信志はそう言うと、名残惜しそうに、その場を去った。

「黄杏。」

声を掛けた将拓は、妹が虚ろな顔をしている事に気がついた。

「話しかけないで……兄様。今、信志を心から追い払っているの。」

将拓は、忠仁が信寧王に、“妃にできぬなら、召し使いで雇えばいいのです”と言う言葉を、聞いていた。

だが可愛い妹に、召し使いになれと言える兄が、この世にいるだろうか。

将拓はただただ、黄杏に笑顔が戻る事だけを、願わずにはいられなかった。


そして黄杏を慕う信志は、次の夜も、黄杏に会いに来た。

だが黄杏は、やはり家に閉じ籠り、顔を見せようとはしない。

信志は立っている事に疲れたのか、軒下にある小さな樽の上に、腰かけた。

一国の王が、貧しい村の女に会う為に、そこまでするのか。

将拓は、軒下を訪れた。

「信寧……」

「いや、信志でよい。ここで身分が分かってしまえば、大事になる。それに、黄杏の前では、私も一人の男だ。」

そう言って微笑む信志に、将拓も微笑んだ。

「黄杏は、しばらく出てきません。黄杏があなた様に会ってもよいと言う時期になりましたら、私からお知らせします。」

「それでは、手遅れになってしまう。私がこの村にいられのは、もう数日しかない。」

追い詰められた信志の顔。

虚ろな顔の黄杏と、重なってくる。


「信志様。これは、偶然耳にした話なのですが。」

将拓は、信志の隣にある樽に、同じように座った。

「召し使いでも、王の側女になれると言うのは、本当でしょうか。」

「その事か……」

信志は、ため息をついた。

「召し使いには、地方から出てきた女が、沢山召し抱えられている。もし私が所望すれば、そなたが申す通り、側女にはできるやもしれない。」

「では……」


身体を自分に向けた将拓の膝に、信志は手を置いた。

「だが、今までそんな話は、聞いた事がない。あるのは役人に弄ばれて、誰が父親か分からぬ子を、母一人で育てている、そんなものばかりだ。」

将拓は、唖然とした口を開きっぱなしだ。

「それに安心してくれ。私は黄杏を、召し使いにするつもりなど、微塵もない。」

そして二人はまた、前を見るばかりとなった。


「さすれば、どうなされるおつもりですか?」

信志は、息を飲み込んだ。

「私は、黄杏のたった一人の兄です。妹が不幸になるのだけは、見ておけません。」

「分かっている!」

そう叫んだ信志は、立ち上がった。

「また……明日、来る。」

「お送り致します。」

「いや、いい。一人で帰る。」

そう言って信志は、草むらの中に消えていった。

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