第32話 心の内

こんな物を送りつけて、黄杏様は何を考えているのか。

大人しい見た目なのに、恐ろしい。


だがその懸念は、思わぬ方向に向かう。

しばらくして、黒音は酷いつわりに、悩まされるようになった。


「大丈夫か?黒音。」

つわりの噂を聞きつけ、信寧王が昼間駆けつけてくれた。

「はい……せっかくお出で下さったのに、お相手もできずに申し訳ありません。」

「良いのだ。元気なお子を産んでおくれ。」

王は何かにつけ、黒音の元を訪ねてくるが、夜に来ることはない。

決まって明るい日中だ。

夜はまた別な妃の元で、逢瀬を楽しんでいるのだろう。

桂花は、そうにらんでいた。


「つわりが酷い時には、男の子が産まれると申しますよ。」

桂花はわざと、王に聞こえるように、黒音に言った。

「本当か?」

案の定、王は食いついてくる。

まだお子がいない状態で、男の子が産まれれば、間違いなくこの国の跡継ぎだ。

桂花が王宮に出社し、お妃の世話を受けたのも、跡継ぎを産んだ国母がまだ、誕生していないからだった。

桂花が見たところ、王のお子を産む可能性があるのは、黄杏と自分が仕える黒音だけ。

しかも黒音が先に懐妊するとは、桂花も運が良いと、己で思っていたところだ。

だが、黒音はそんな桂花を、白い目で見る。

「桂花。軽々しくそのような事、申すでない。」

黒音の器量がいい分、桂花はぞっとする。

「は、はい。申し訳ありません。」

慌てて頭を下げる桂花。


「黒音。そのように、女人を責めてはいけない。」

「信寧王……」

王は黒音のお腹を、そっと触った。

「そうか。男の子かもしれないのか。待ち遠しいなぁ。」

悲惨な少女時代を送った黒音。

今が一番、心安らぐ生活を送っていた。


「黒音。今はそなたの体調が、芳しくないようだから、これで私は帰るが、つわりが治まったら、もっとゆっくり一緒に過ごそう。」

それは今度は、黒音の元へ通って来てくれると言う宣言だった。

「王……なんてお優しい言葉。」

「私の子を産んでくれるんだ。当たり前だろう。」

自分を抱き寄せて、目を見ながら微笑んでくれる王。

黒音は、何にも代えがたい幸せを、手に入れた気がした。


「そろそろ行かねば。」

王が外を見ながら、立ち上がった。

「お見送りします、王。」

黒音も立ち上がる。

「いや、そなたはよい。」

「いいえ。ただ大人しくしていただけでは、お腹の子にも障ります。」

笑顔で黒音は答え、屋敷の入り口まで、王を見送った。

「お勤め、いってらっしゃいまし。」

「ああ。直ぐに戻ってくるよ。」

王はそう言って、黒音を抱きしめてくれた。


王宮に戻って行く王を、姿が見えなくなるまで見つめる黒音。

まるで自分の方が、正妻のように思えてきた。


「ふふふ……」

黒音は、お腹を撫でながら、微笑んだ。

「そうよ、この子は男の子。この国の跡継ぎよ。私は国母になるの。」

黒音の呟きを、桂花は聞き逃さなかった。


それからしばらくして、薬草を調べていた女人が、桂花の元へ戻ってきた。

「桂花様。あの薬草の事、調べて参りました。」

「おお、やっとあの薬草の事が分かったのか!」

女人は、手拭いに包まれている薬草を見せた。

「これはある村にしか、樹勢しない珍しい草だそうです。血の巡りを良くして懐妊しやすくし、懐妊中も体調を一定に保つ効果があるそうです。」

「それは確かなのか?」

「はい。王宮付きの医師に仕えている、薬師に調べて頂きました。今の今迄調べていたのですから、間違いないと思います。」

「そうか……」

桂花は改めて、その薬草を手に取った。

そんな女達にとって、夢のような薬効が、この草にあるなんて。


「黄杏様は、この薬草を使って、誰よりも早く懐妊したと言うのですね。」

「恐らくは……」

桂花はこの薬草さえあれば、黒音は一人とは言わず、何人も王の子を産めるのでは?と考えた。

「しかし黄杏様は、どこでこの薬草を、手に入れられたのか。」

「それが……」

女人は、黄杏が送ってきた包みを見た。

「この薬草が生えている場所は、黄杏様のご出身である、多宝村だそうです。」

「えっ!?」

「多宝村は、別名子沢山村。この薬草のお陰で、その村の女性は子宝に恵まれているのだとか。」


桂花は、考えこんでしまった。

黄杏の出身地で沢山この薬草が取れるのならば、黄杏にとってこの薬草は、秘伝であるはず。

それをわざわざ、足を引っ張りたい相手に、送るだろうか。

むしろその逆で、無事に出産してほしい。

そんな願いから、秘伝の薬草を黒音様に送ったのではないか。

ではなぜ黒音様は、その秘伝の薬草を、あんなに恐れるのか。


「桂花様……もう一つお耳に入れたい事が……」

「なに?」

女人は、桂花に近づいた。

「この薬草を調べる時、まずは他のお妃様に仕える女人達に、聞いて回ったのですが……」

「それがどうしたのです?」

女人は、もっと桂花に近づいた。

「特に青蘭様の女人が、陰でしていた噂で、黄杏様のお子が流れたのは、黒音様が毒薬を何かに混ぜて、黄杏様に飲ませていたからだとか。」

桂花は、息が止まった。


毒薬を何かに混ぜた?

黄杏様が懐妊中、薬草を煎じて出していたのは、黒音様。

効能のある薬草を、黒音様は異常なまでに、恐れている。

答えは、桂花の中で出た気がした。


「……証拠は?」

「いえ、ないそうです。」

「そうでしょう。そのような噂は、今後口にしないように。」

「は、はい。申し訳ありません。」

女人が自分の仕事に戻った後、桂花は寝台で休んでいる黒音を、見つめた。

大人しい振りをして、恐ろしい事をなさる。

それが今回、表に出なければいいが。

桂花は、気づかれないようにため息をついた。


桂花の心配を他所に、黒音はお腹が大きくなるにつれて、態度も大きくなってきた。

産まれてくる赤子が、男か女か、まだ分からないと言うのに、黒音は自分の子が、時代の王になる者だと言い始めたのだ。

「あなた達は幸せね。次の王がまだお腹の中にいる時を、見る事ができるのだから。」

自分に仕える女人にそう言って、挙句の果てに、自分の前を通る時は、お腹の中にいる赤子に、頭を下げて行けとまで言うようになった。

「本当に跡継ぎ様であれば、いいけれども。」

「姫様だった時は、どうされるんでしょうね。」

「この様子じゃあ、女王様にでもなさるおつもりなんじゃないの?」

あまりの態度の大きさに、仕えている女人達まで、そう言い放つ始末。

加えて毎晩訪れる信志の存在も、黒音にいらぬ自信を付けた。

「ああ。産まれてくる子は、皇子かな。姫かな。」

信志は、毎晩のようにやってきては、黒音のお腹に顔を付けてそう話かけていた。

「きっと、王によく似た皇子でございます。」

「そうか?もしかしたら、黒音によく似た美しい姫かもしれぬぞ。」

すると黒音は、首を横に振った。

「いいえ。産まれてくる赤子は、男の子ですわ。」

あまりにも自信たっぷりに言うものだから、信志もそれを信じてしまう。


信志は微笑みながら、黒音の横に寝そべった。

「……この子が皇子なら、武芸は勇俊に習わせたいな。」

「勇俊?ああ、いつもこの屋敷を警護してくれる、護衛長ですね。」

「ああ。あの男は、信用できる。」

将拓の命を救った勇俊の事は、忠仁を通して、信志の耳にも入っていた。

「……友の命も救ってくれた。その精神を、私の後を継ぐ皇子にも、受け継いでほしいのだ。」

「信寧王様……」


信志は今迄は、具体的にそんな事を考えた事がなかった。

自分の子が産まれてくるなんて、どこか夢物語だと思っていたからだ。


信志は毎晩、黒音に腕枕をして眠りについていた。

「日増しに大きくなるな。そなたのお腹は。」

「この中で、お子が育っているのですから、大きくなりましょう。」

信志は黒音のお腹を、触ってみた。

「こんなに大きくなっているのに、動かないのだな。」

信志がお腹の奥を触ろうと、グッと力を入れても、まったく反動もない。

「大人しいお子なのでしょう。」

黒音は、全く無関心だ。

「そういうものか。」

だが信志は、黄杏が懐妊していた時も、毎晩のように泊まって、黄杏のお腹を撫でていた。

同じくらいお腹が大きかったはずだが、黄杏の時は確かに、動いていたはずだ。


「それよりも、お名前など決めておりますか?」

黒音は、信志の首元に顔を埋めて、甘えてくる。

「ああ。女だったらもう、決めているのだが……」

信志がそう言うと、黒音は起き上がり叫んだ。

「絶対、男の子でございます!」

黒音の鬼気迫る様子に、信志も言葉を失う。

「……申し訳ございません。」

「いや、男の子の名前も、決めねばな。」

信志も起き上がり、黒音を宥める。

最近、こんな事の繰り返しだ。


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