第31話 黒音の妊娠
爽やかな初夏の風が吹く頃。
王宮は、にわかに騒がしくなった。
「どうしたのかしら。」
黄杏が外を覗くと、それは向かい側にある、黒音の屋敷に人が出入りする音だった。
忠仁も、王宮付きの医師もいる。
「もしかして黒音様。ご病気なのでは。」
女人が、黒音の体調を気にする。
「もしそうだとしたら、大変ね。あなた、ちょっと行って確かめてみて。」
「はい。」
女人の一人に、様子を見に行かせた。
「大した事ではなければ、いいのだけれど。」
黄杏の心配を他所に、女人はあっさり引き返したきた。
「早かったわね。」
「それが……」
女人は、酷く混乱している。
「……黒音はもしかして、重い病気なの?」
「いいえ、そうでもなくて……」
はっきりとしない女人に、黄杏は勘が働いた。
「もしや……黒音に、お子が?」
女人は、焦りながら顔を上げた。
「まだ、決まった事ではありません。」
「でも、重い病気ではないとすれば、他に忠仁殿や医師が、訪れる理由がないでしょう。」
「すみません……」
女人の言葉に、胸がざわついた黄杏。
ほんの少し前、紅梅と一緒に、『王の子が欲しい。』と言っていたと言うのに。
先にお子を授かったのは、その紅梅でもなく、自分でもない。
どちらかと言えば、王の足が遠のいていた、黒音だった。
そして、夕方頃。
忠仁を通して信寧王に、黒音懐妊の知らせがもたらされた。
「本当か!忠仁!」
「はい。医師の見立てでは、2か月目に入った辺りだと。」
王である信志は、喜びのあまり跳ねるようにして、立ち上がった。
「おめでとうございます。」
側にいた白蓮が、頭を下げた。
「白蓮。私にも、また運が巡ってきたようだ。」
「ええ。私も、嬉しく思います。」
信志と白蓮は、互いに喜び合った。
「早速、黒音の元へ行かねばな。」
「そうですね。忠仁、黒音の具合はどうなの?つわりなどひどくない?」
「今のとことは、順調のようでございます。」
忠仁の答えに、信志は子供のように、黒音の元へ向かった。
黒音の屋敷は、それぞれのお妃の中でも、一番端にある。
黒音の妊娠の第1報を聞きつけた、他の妃達は、先に屋敷の外へ出て、王が来るのを待っていた。
最初にお祝いの言葉を述べたのは、第2夫人の青蘭。
「信寧王様。おめでとうございます。」
「ああ、青蘭。有難う。」
次に待っていたのは、第3夫人の紅梅。
「王、おめでとうございます。」
「紅梅……」
王は一旦歩みを止めると、紅梅を軽く抱き寄せた。
「許せ、紅梅。本来なら、そなたが先にできるはずだった。」
「いいえ。お子が授かるのに、先も後もございません。お気になさいますな。」
実は紅梅が、黄杏から貰った薬草を飲んでいると知ってから、王が毎日のように通っていたのは、紅梅の元だった。
一番王のお子が欲しいと願っていた紅梅。
それは信志にも痛い程に分かっていた。
先に黄杏が妊娠した時も、ボヤキはしたが祝いの品も贈ってくれた。
紅梅は勝気だが、人を陥れたりはしない。
そういう人間なのだ。
だからこそ余計に、子を作ってやらねばと、張り切っていた矢先の黒音の懐妊の知らせだったのだ。
「さあ、急いで黒音さんに、お顔を見せてあげてください。」
「ああ。」
名残惜しそうに、紅梅と別れると、次は第4夫人・黄杏の出番だ。
「信寧王様。黒音さんのご懐妊、おめでとうございます。」
「黄杏。」
先にできた黄杏の子が流れたのは、密かに黒音の手によるものと言う噂は、信志の耳にも入っていた。
今回の黒音の妊娠を、どんな気持ちで、聞いたのか。
「黄杏…あの……」
「さあ早く。黒音さんに、よくやったとお声を掛けてあげて下さい。」
心配など無用と言うくらい、黄杏は笑顔を見せていた。
「黄杏、そなた……」
「私の事は、お気になさいますな。王の初めてのお子でございます。」
信志は、黄杏の手を取った。
「私の初めての子は、そなたとの間にできた、この世に生まれる事はなかった赤子だ。」
「王……」
「男の子だったそうだな。産声をあげていれば、間違いなく私の跡継ぎだった。」
優しく微笑みかける信志に、黄杏の心は解きほぐされていく。
「では、また後で。」
黄杏の首に、唇を落とした信志は、次に黒音の屋敷を訪れた。
「ああ、信寧王様。やっといらっしゃってくれた。」
黒音に仕える女人が、女主人の懐妊に、心浮き立っていた。
「黒音。」
信志が声を掛けると、当の本人は寝台に、横になっていた。
「どうした?具合でも悪いのか?」
信志の声に、ようやく起き上がる黒音。
「し、信寧王様!」
酷く驚いた黒音は、袖で顔を隠した。
「今更、隠す事もあるまい。」
信志は、黒音の隣に座った。
「懐妊だそうだな。よくやった。」
「有難うございます。」
子ができたと言うのに、黒音はやけによそよそしい。
「他人事のようだな。……何か、気に障る事でもあるのか?」
「いえ。ただ……よく考えても、この前1度来て頂いた時しか、思い当たりませんでして……なんだか、不思議な気分なのです。」
それを聞いた信志は、クスクス笑いだした。
「私もそうだ。子を授かる時と言うのは、不思議な縁があるものだな。」
信志と黒音は、お互いに子が授かった縁を、噛みしめていた。
そして黄杏のところには、青蘭が訪れていた。
「不思議なものね。次にお子ができるのは、てっきり紅梅さんだと思っていたわ。」
青蘭は、黄杏を見るとハッとして、口を覆った。
「いいえ。私もそう思っていました。このところ、王はずっと、紅梅さんのところを、お訪ねになってましたからね。」
黄杏は、至って冷静だ。
そんな黄杏を、青蘭はじっと見つめる。
「……黒音さんに、お祝いの品を差し上げるの?」
黄杏は、お茶を持つ手を止めた。
「そのつもりよ。」
自分のお腹の子が、途中まで順調だったのに、急に流れてしまったのは、青蘭達のお陰で、黒音の差し金だと知った。
だが直接、黒音に何かをされた訳ではない。
黒音が、黒幕だと言う証拠もない。
黙って目を瞑って、知らない振りをするしかなかった。
「お目出度い方……」
「それ、紅梅さんにも言われました。」
嫌味で言ったのに、それすらも受け流す。
青蘭は、はぁっとため息をついた。
「黄杏さんがどうするかは、黄杏さんが決める事だから、何も言わないけれど、お相手がどんな顔をするか、見ものね。」
「それもあるのよ。」
黄杏は、クスッと笑った。
「黄杏さんって……」
「はい?」
「時々、小悪魔に見えるわ。」
見つめ合う黄杏と青蘭。
「それって、誉め言葉ですか?」
黄杏は真顔で尋ねる。
「ええ。そう思うのならどうぞ。」
再び見つめ合う二人。
「まあ、それも……面白いわね。」
「そうでしょう?青蘭さん。」
黄杏と青蘭は、二人で黒音の屋敷を見ながら、クスクスと笑った。
それから2週間後。
黒音の元に、次々とお祝いの品が、届けられた。
白蓮からは、黄杏の時と同じように、産着や腹帯など、数々の豪華な品が揃えられた。
「有難いわ。皆、私にお子ができた事を、嬉しく思っているのね。」
黒音は、豪華な品を見ながら、うっとりとしていた。
「黒音様。こちらは、青蘭様からです。」
黒音の筆頭女人である桂花(ケイカ)が、立派な箱を持ってきた。
「青蘭様?」
青蘭からの贈り物は、赤子が生まれてから使うおしめの布だった。
「まあ、素敵な布だこと。」
赤子のおしめにするには、勿体無い程の美しい白い布。
「ああ、でも王のお子なら、これくらい当然よね。」
黒音は真っ白い布に、頬を摩りつけた。
「こちらは、紅梅様からのお品です。」
紅梅からの贈り物は、赤子が遊ぶ玩具だった。
「フフフッ。気が早いですこと。」
まだ大きくもなっていないお腹を撫でて、黒音は生まれてくる赤子が、この玩具を使っているところを想像した。
「こちらは、黄杏様からです。」
「お、黄杏様?」
黒音は驚いて、紅梅から貰った玩具を、落としてしまった。
「黒音様?大丈夫ですか?」
女人の桂花が、落とした玩具を拾い上げる。
「え、ええ……」
ゴクンと息を飲む黒音。
黒音はそっと、黄杏からの贈り物を開けた。
そこには、懐妊中に着るゆったりとした服に、あの薬草が入っていた。
「服?」
恐る恐る、黄杏から貰った服を手に取る。
他のお妃様は皆、産後に必要な物を贈ってくれたと言うのに、黄杏だけは、妊娠中に使う物……
もしかしたら、自分と同じように、赤子は無事生まれる事はないと、言っているのか?
しかもこの薬草。
煎じた物を黄杏も、妊娠中は毎日飲んでいた。
自分が、流産する為の薬を少量ずつ忍ばせていたのは、この煎じ茶だ。
「ひ、ひぃぃぃ……」
黒音は、その場に倒れてしまった。
「黒音様!?」
桂花が側に来て、抱き起す。
「大丈夫ですか?黒音様……」
「え、ええ……」
桂花は、黒音の目線の先に、黄杏からの贈り物がある事に気づいた。
「これを、黒音様の目の届かない場所に。」
「はい。」
桂花は他の女人に命じて、黄杏からの品物を隠してしまった。
「もう大丈夫ですよ、黒音様。」
「あ、有難う。」
「お体に障ります。さあ、寝台へ。」
桂花は黒音を、寝台へ寝かせた。
落ち着いてきた黒音をそのままにし、桂花は寝所から出ると、黒音が怖がっていた黄杏からの品物を見た。
他のお妃からの品とは別で、妊娠中に使う物。
一度お子を成した妃だからこそ、気づく品だ。
「はて?なぜこれを、黒音様は恐れるのか。」
桂花は、首を傾げた。
「もしかしたら、黄杏様がこれを飲んで、お腹のお子が流れてしまったのを、見ているからかしら。」
他の女人が答えた。
「黄杏様が?この薬草で?」
「ええ。桂花様は、黒音様がお妃になってから、この屋敷に来られましたけど、黒音様は元々、黄杏様の筆頭女人だったのですよ。」
「黒音様が、黄杏様の!?」
桂花は、黄杏から届いた妊娠中に着る服と、薬草を見た。
「何でも黄杏様の懐妊中、この薬草を煎じていたのは、黒音様だったとか。」
「そう……」
桂花は目を細めて、その薬草を手に取ってみた。
表面はツルツルしていて、ただの草にしか見えない。
「そなた。この薬草が何なのか、調べてくれはしまいか?」
「は、はい。」
女人は薬草を少し持つと、手ぬぐいに包んで、屋敷の外に出て行った。
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