第30話 薬草
「で?お兄様がそんな事になって、あなたはそのままでいいの?」
「そのままで?」
「このまま、お子を諦めていいの?」
紅梅の言葉は、真っすぐに黄杏の胸に届く。
「……私は、一度流産してしまったから。」
「一度くらい何だって言うの?」
「でも、お子ができにくい体になってしまったし……」
「できにくのであって、全くできない訳ではない。」
紅梅は尚も、黄杏を責めるように言う。
「私がここまで言うのはね。あなたと私は、置かれている立場が一緒だからよ。」
「紅梅さん?」
「私の父はね。私が王の妃になったばかりに、出世の道を諦めなければならなかったのよ。」
「忠仁殿が?」
少しだけ俯く紅梅を見て、黄杏もつられて下を向く。
「あなたのお兄様も、あなたが王の妃になる事で、諦めた道があるのでしょう?私達の妃としての場所は、誰かの犠牲の上に、成り立っているの。」
「兄の犠牲、父の犠牲……」
黄杏の頭の中に、兄・将拓と紅梅の父・忠仁の顔が浮かぶ。
「だからこそ私達は、王のお子を産まなければならないのよ。そうじゃなかったら、犠牲になってくれた人が、浮かばれないわ。」
紅梅の声は、涙で揺れていた。
「黄杏さん。あなたがこれからどうしようと、私は必ず王のお子を産んでみせるわ。応援してほしいって思ってない。ただ……」
「ただ?」
「邪魔はしないで。」
それだけを言うと、紅梅は視線を前に変えて、またじっと祈り続けた。
黄杏はそれを邪魔しないように、そっと神殿を出た。
- 必ずお子を産む -
紅梅の力強い言葉に、黄杏は自分の妃としての心構えが、甘かった事を知る。
自分は、王のお子を産む為、村からやってきたのだ。
そしてそれは、兄・将拓が自分の人生を捨ててくれたから、与えられたものなのだ。
それを黄杏は、忘れていた。
怪我をしたことも、自分に伝えない兄。
将拓の気持ちを考えると、黄杏の胸は潰れそうだった。
屋敷に戻ってきた黄杏は、実家から届いた包みを、開けてみた。
昔から村に伝わる、お子が授かると言う薬草。
それを別な包みに取り、黄杏はまた屋敷を出た。
向かった場所は、紅梅がまだ祈りを捧げている神殿。
紅梅の低いお祈りの言葉を邪魔しないように、黄杏はそっと神殿の中に入った。
「黄杏さん?」
それでも黄杏の足音に気づく紅梅。
「また来たの?それとも、一緒に祈りを捧げに来たの?」
返事もなく、黄杏は紅梅の隣に座った。
「これを……届けに来たの。」
紅梅の前に、あの薬草が入った包みを置く。
「これは?」
「私の実家のある村に生えている薬草なの。一説ではこれがあるから、村は子宝に恵まれるんだって、両親は言ってたわ。」
紅梅は、そっと包みを開ける。
見れば、ただの草にしか見えない。
「これって、煎じて飲むの?」
「そうなの。それを飲むと、体全体が温まるの。それでお子ができやすくなって、子供も無事生まれてくるんだって。」
紅梅は、改めて黄杏を見つめた。
「どうして……私にそんな薬草を?」
「私、さっきの紅梅さんの話を聞いて、考え方が変わったわ。私ももっと、妃としての自覚を持たないとって。」
紅梅は、目をぱちくりさせた。
半ば、嫌味で言った話を、こんなに真っすぐ受け止めてくれるなんて。
「紅梅さん。私も、もう一度王のお子が欲しい。」
力強く言葉を発する黄杏に、紅梅は圧倒された。
「私は誰よりも、王を愛しています。だからこそ、愛している人の子供を産みたい。これからは、他のお妃様に遠慮する事なく、王のお子を望むわ。」
返って自信を付けさせてしまったかと、紅梅は複雑な思いにかられた。
「紅梅さんも一緒でしょ?」
「えっ?」
黄杏は、紅梅の手を握った。
「紅梅さんも、王を慕っているのでしょう?」
「ええ、そうよ。誰よりも尊敬し、傍にいてお支えしたいと思っているわ。」
「そんなお方のお子が欲しいと願うのは、女として当たり前よ。」
「黄杏……さん?」
黄杏は、紅梅の近くに寄った。
「紅梅さん。二人で頑張りましょう。」
「え、ええ……」
それだけを伝えると、黄杏は神殿から去ってしまった。
そして日も暮れ、紅梅が神殿から屋敷へ戻ってくると、今日の王の寝所は、紅梅の屋敷だと伝えられた。
「王が……いらっしゃる……」
紅梅は、黄杏から貰った包みを、女人に手渡した。
「この薬草を……煎じて頂戴。」
「畏まりました。」
女人が準備に取り掛かると、紅梅は鏡を見た。
王から寵愛を受けている青蘭も黄杏も、髪はおろしている。
「ねえ、この髪。結って貰っているのを、解いてくれるかしら。」
「はい。」
別な女人が、紅梅の丸く結い上がっている髪を、真っすぐにおろした。
「このままで、よろしいのですか?」
「ええ。このままでいいわ。」
髪をおろしただけで、なんだかいつもの自分と違う気がする紅梅。
席に座ると、丁度夕食が運ばれてきた。
紅梅がいつも髪を結いあげているのは、もちろん武術をやる程活発だからだ。
動く度に髪が邪魔をしていては、思い切り動く事もできない。
そしてその弊害は、早速やってきた。
箸で料理を取り分けようとすると、髪が前にやってくる。
何度も何度も、後ろへ搔きわけても、必ず前にやってくる紅梅の髪。
見かねた女人の方が、食事中だと言うのに、紅梅の髪を掴み取った。
「も、申し訳ありません。つい……」
紅梅の髪を掴みながら、頭を下げる女人。
「……いいのよ。そのまま後ろで束ねて頂戴。」
「はい。」
紅梅は諦めて、後ろで髪を一つに、束ねてもらった。
青蘭も黄杏も、あの長い髪をどうしているのだろうか。
疑問はつきない。
「紅梅様。先ほどの薬草を煎じた物を、ご用意いたしました。」
「ああ。」
どんな物なのかと、紅梅が楽しみにしていると、茶碗に注いだ先から、草の匂いがしてくる。
「これが、本当にあの薬草なの?」
「はい。」
一応宮殿育ちの紅梅には、自然の匂い満載の草の匂いは、鼻がひん曲がるくらいに、耐え難い。
だが、これは黄杏から頂いた薬草。
子沢山村に伝わる、薬草。
一度は、王のお子を宿した黄杏も、飲んでいた薬草なのだ。
「飲まなきゃ……」
紅梅は鼻を抓みながら、一気に飲み切った。
するとなんだか、体がポカポカしてきた気がした。
「これで、効き目があるのかしら。」
紅梅がため息を一つすると、女人が王の訪問を、知らせてくれた。
「紅梅。邪魔するよ。」
久しぶりに夜に見た、王の姿。
「お邪魔だなんて。いつでも、いらしてください。」
そう答える紅梅が、いつもと違う雰囲気であることを、王は見逃さなかった。
「……今日は、雰囲気が違うね。髪をおろしているせいかな?」
「はい。青蘭さんや、黄杏さんの真似をしてみました。」
「二人の?」
それを聞いた王は、紅梅の隣に座った。
「二人の真似などしなくてもよい。紅梅には紅梅の、よいところがたくさんある。」
「……有難うございます。」
そう言われると、胸の奥がくすぐったくなる紅梅。
「ところで、このお茶は何だ?すごい匂いがするが……」
王が顔を近づけて匂いを嗅いでみると、やはり強烈な匂いに、顔を背けてしまった。
「それは……黄杏さんから頂いた、薬草でして。」
「黄杏から貰った薬草?」
「はい。何でも黄杏さんのご出身の村では、この薬草を飲んでいるから、お子ができるのだと……」
そう言って紅梅は、口を隠した。
「子ができる、薬草か……」
「……はい。」
微妙な空気が、二人の間を流れる。
「申し訳ありません。」
「何がだ?」
「これでは、せっかくの雰囲気が、台無しでございますね。」
紅梅が立ち上がり、薬草の入った瓶を持ち上げようとした時だ。
王が後ろから、紅梅を抱きしめた。
「そんな事はない。今日の紅梅は、いつもと違う雰囲気だからね。違う女を見ているようだよ。」
「お、王?」
戸惑う紅梅の滑らかな肌を、王が滑るように触れてくる。
「紅梅……」
耳元で囁かれ、ゾクッとする紅梅。
いつの間にか、女人もいなくなっている。
「さあ、おいで。」
王は紅梅を、軽々と持ち上げると、寝台へと紅梅を横たわらせた。
「私の子が、欲しいか?紅梅。」
「はい。欲しいです。」
どこか艶っぽくて、体も筋肉で引き締まっている。
誰よりも強い、この王のお子を、紅梅は欲しくてたまらなかった。
「では沢山、愛でなければならないな。」
「あっ……」
返事をする間もない程に、王は紅梅の服を脱がし、その肌を堪能する。
いつもと違う触り方だ。
「王……いつもと違う気が……」
「いつもと一緒だよ……紅梅……」
そう言われても、いつもよりも荒々しい気がする。
そう。
いつもは、よそよそしい。
まるで義務を果たしているかのようだ。
だが今日は、違う。
まるで自分の反応を、楽しんでいるかのようだ。
「王……もう……」
「紅梅は、おねだりさんだな。」
そんなつもりはないのに、耳元でそう言われると、恥ずかしくてたまらない。
だがそんな事は一瞬のことで、紅梅は直ぐに、女としての幸せを感じるようになる。
恋い焦がれた男が、今自分の目の前にいる。
その上、自分の体に欲情して、何とも言えない恍惚な表情を、浮かべている。
間近で香る、好きな人の匂い。
「王……」
紅梅は、王を強く抱きしめた。
「もっと、もっと……」
「紅梅……?」
「もっと……側に……」
訳が分からず、涙が出ていた。
それを王は、優しく拭った。
「……私は、いつも紅梅の側にいるよ。」
その言葉がウソだと分かっていても、紅梅にとっては嬉しかった。
そしてだんだん、王の息使いが荒くなってくる。
紅梅の気持ちも、高ぶってくる。
好きな相手が自分の体で、快楽に溺れている様は、何て美しいのだろう。
そう思うだけで、紅梅の心は満たされていくのだった。
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