第15話 黄杏の妊娠
信寧王の妃になってから半年。
黄杏は、体調を崩す事が多くなった。
「一度、医師に診てもらおう。」
昼間から床に伏せる黄杏を、信志は見舞った。
「お気遣いなく。寝ていれば、吐き気もおさまります。」
「だが、悪い病気だったら、どうするのだ。そうなれば、私は悲しくて、公務どころの騒ぎではなくなる。」
他の妃にも、同じような事を言っているはずだと思う黄杏だが、その言葉も今は嬉しい。
「黒音。忠仁に医師をよこすように、伝えてくれ。」
「畏まりました。王。」
黒音が部屋を出て行った後、信志はずっと黄杏の側から離れなかった。
「信志様。本当に大丈夫ですから。」
「心配させてくれ。私はそなたの、夫ではないか。」
優しい言葉と一緒に、幸せが広がっていく。
黄杏は、信志がここに留まってくれると言うなら、このまま体調が戻らなくてもいいのにとまで、思ってしまった。
そして忠仁がよこした医師が、黄杏の部屋に来たのは、黒音が呼びに行ってから、3時間程経ってからだった。
診察は長引き、いつまで経っても、医師は黄杏の寝所から出てこない。
もしや、重い病気なのでは。
信志が、項垂れた直後だった。
医師が、ようやく黄杏の寝所から出てきた。
「どうなのだ?黄杏は。」
「お喜び下さい。第4妃は、ご懐妊の兆候が見受けられます。」
「……懐妊?」
「はい。ご出産の予定は、来年の春頃か、初夏のあたりかと。」
呆然としている信志を横に、屋敷の外で控えていた忠仁は、自分の孫ができたかのように、喜んでいる。
「おめでとうございます!信寧王!」
「忠仁。」
「いよいよ。いよいよ。お父上になられるのですね。」
「忠仁。忠仁!」
二人は、黄杏の部屋で、固く抱き締め合った。
「早速、皆にふれて参ります!」
「ああ!」
信志は、軽い足取りの忠仁を見送ると、黄杏の寝所に入った。
「信志様!」
「黄杏!」
感激しながら抱き締め合った二人は、ずっと離れる事がなかった。
「でかした!でかした!黄杏!!」
「有り難うございます。まるで、夢のようでございます。」
この日。
第4妃・黄杏、懐妊の知らせは、宮殿中を駆け巡った。
宮殿の中は、祝いの一色に染まり、皆が歓喜にわいた。
他のお妃達も、祝いの品を持って、黄杏の屋敷を訪ねた。
「黄杏。先ずは、ご懐妊おめでとう。」
「有り難うございます、白蓮様。」
「これはまだ早いとは思うのですが、出産に必要な物を取り揃えました。」
白蓮が合図を送ると、次から次へと、品物が黄杏の屋敷の中に、運び込まれた。
「こんなに……」
「遠慮なさらずに、お使いなさい。」
「はい……」
自分の手を握ってくれた白蓮の手は、まるで観音様のようだった。
「あの……」
なぜ、新座者の自分が、懐妊したと言うのに、こんなに良くしてくれるのか。
黄杏には、分からない胸騒ぎがあった。
「何も心配なさらずに。」
「白蓮様……」
「王のお子を産む事が、妃の勤めです。まだまだ、これからですよ、黄杏。産まれるまで、気を抜かずにね。」
黄杏は、心の底から、白蓮に感謝した。
「しかし、大変な量の品物ね。」
「本当に。さすが奥様。」
続いて訪れた青蘭と、紅梅もこれには驚いた。
「でも、黄杏さんが一番始めに、懐妊するとは思っていなかったわ。」
今でも信じられない、青蘭。
「私はなんとなく、そう思っていましたわ。1ヶ月も王を独り占めすればね。」
半分嫌みを言う紅梅。
「せいぜい、途中で落とさないように、気をつけることね。」
「はいはい。」
紅梅の言葉には、嫌みの中にも、優しさもある事を、黄杏は知っていた。
一方で、黄杏に子ができた事は、里である多宝村にも、知らせが来た。
「黄杏……子が!」
父親も母親も、年の離れた弟も、一緒になって喜んだ。
「よかった。よかった!」
両親が手を挙げて喜んでいると、弟がボソッと呟いた。
「これで……兄上も、村を出た甲斐が、ありましたね。」
静かに、両手を降ろす両親。
「……そうだな。」
「今頃、どこで何をしているのでしょう。」
ようやく実った宝の代償は、この家にとって、大きなものになってしまった。
そして、里の多宝村から、黄杏宛に荷物が届けられた。
「黄杏様。ご実家からお荷物が届きました。」
両手程の大きさの荷物。
そこには、手紙が挟まっていた。
【黄杏。
無事懐妊の程、おめでとう。
おまえは、腰がしっかりしているから、安産だとは思うが、念の為、妊婦が飲むといいと言われている薬草を一緒に届けます。
もう一人だけの体ではないのだから、これまで以上に、労るように。】
両親からの、気持ちが綴られている手紙を、黄杏は胸に抱き締めた。
「有り難う、父上、母上。薬草、大事に飲みます。」
黄杏の懐妊を知ってから、王はまた、毎日黄杏の元へ通うようになった。
「信志様。たまには、他の妃の元へ行かれては?」
「そんな意地の悪い事を言うな。そなたのお腹の中に、私の子がいると思うと、居ても立ってもおられぬのだ。」
「しかし、今の私には、夜のお相手ができませんから。」
「そのような事は、気にするな。」
信志は黄杏を、後ろから抱き締めた。
そんな信志を、余裕で受け止める黄杏。
ー 王は、性欲の強い方なのよ ー
ー あなたの元に通っている中でも、昼間、青蘭さんの元へ行っているのだから ー
紅梅から聞いた時はショックだったが、子ができてからは、それもまた可愛らしく思えてくる。
女はか弱いが、母は強い。
夜、寝台の上でも、信志は黄杏を抱き締めながら、寝ていた。
だんだん大きくなる、お腹に手を当てながら。
その姿に、どれだけお子を待ちわびていたのかが、伺い知れて、黄杏は無下に、その手を振り払えないでいた。
いよいよ、お腹も大きくなり、お腹を支えていなければ、歩けない程になっていた。
暖かい昼間の中、庭を歩いていると、いつものように紅梅が、武術の練習をしている。
「精が出るわね。」
振り向いた紅梅は、不機嫌そうな顔をしている。
「また、あなた?」
「仕方ないじゃい。私達の屋敷は、すぐ隣なんですもの。」
夜中、二人で泣きながら、抱き締め合った日から、黄杏は紅梅に、なんとなく親しみを感じていた。
「それにしても、大きくなったわね。」
「お陰様で。」
紅梅がお腹を触る。
「もう動くの?」
「うーん。あまり、動かないのよね。大人しい子なのかしら。もしそうだとしたら、姫君の方がいいわ。」
紅梅は、お腹の大きな女人が、『最近よく、お腹の中の子が動いて。』と言うのを聞いていた。
「ねえ、黄杏。最近、どう?体調は良くなった?」
「ええ。有り難う、心配してくれて。」
「それならいいんだけど……」
胸騒ぎがした紅梅だが、変な事を言って、体に負担をかけるのもどうかと思い、それ以上は何も言わなかった。
「それにしても、黄杏さんにお子ができれば、こちらにも好機が巡ってくると思っていたのに、うまくいかないものね。」
「ごめんなさい、紅梅さん。」
これには、黄杏も謝るしかなかった。
「前と一緒ね。夜は黄杏さん。昼は青蘭さん。夕食は奥様。私とは、たまに体を鍛える相手。」
「まあまあ。」
黄杏は、紅梅の背中を擦る。
「あら。昼間、青蘭さんの元へ行ってると聞いて、取り乱さないの?」
「そうですね……なんとなく、そのような気がして……」
黄杏と紅梅は、そうやって、笑い合った。
「何やら、楽しそうだな。」
二人が前を見ると、そこには信寧王が立っていた。
「やはり、私の見立て通りだった。紅梅と黄杏は、仲良くなれると思ったのだ。」
すると黄杏は、馬の上での会話を思い出し、クスクスと笑い始めた。
「何よ。」
「いいえ。そう言えば王が、そのような事を仰っていたなと、思い出して。」
「はははっ!」
信寧王と黄杏の、笑っている姿を見て、一人取り残されたような気分の紅梅。
それを信寧王は、見逃さなかった。
「紅梅。今日も、稽古の練習に付き合ってくれるか?」
「あっ、はい。」
紅梅は直ぐに立ち上がったが、ちらっと黄杏を見た。
「お気になさらずに。私はここで、お二人の稽古を見ております。」
少しだけ微笑む紅梅。
「よし、行くぞ。紅梅。」
王が上着を脱ぎ、上半身裸になる。
「はい。」
紅梅は長刀を持ち、王は刀を持つ。
「はっ!」
「はぁあああ!」
稽古の相手と言うから、さも勇ましいやりあいになるのかと思えば、そうでもない。
王は王で、稽古と言いながら、紅梅に合わせて練習しているのだ。
「いいなぁ……」
途端に羨ましくなった黄杏。
結局、教養らしい教養などまだ無く、やっと最近、産まれてくる子の為に、白蓮から貰った産着へ、刺繍を施すようになった。
結局人は、無い物ねだり。
端から見れば、子ができた黄杏とて、羨ましいのだ。
その時だった。
「痛っ!」
長刀が落ちる音と共に、側にうずくまった紅梅の姿があった。
「紅梅!」
最初に駆けつけたのは、王だった。
「どうした?怪我をしたのか?」
王が紅梅の手を見ると、血が流れていた。
「大変だ。」
上着の間から、布切れを出すと、紅梅の手に巻こうとする王。
「だ、大丈夫ですから。」
紅梅が遠慮して手を引くと、王はその手をすかさず掴んだ。
「跡が残ってはいけない。直ぐに医師を呼べ。」
そう言って、王は紅梅を抱き上げた。
「お、王!黄杏さんが、見ています。」
「黄杏が?」
二人が黄杏がいた場所を見ると、既に黄杏はいなくなっていた。
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