第20話 今までの黒音

数日して白蓮から信志へ、黒音をお妃にと、打診があった。

「どういう事だ。」

信志は、白蓮に詰め寄った。

「どうもこうもございません。備えあれば、憂いなしと申すでしょう。」

「黄杏を、捨てろと申すのか。」

「そんな事は、申し上げておりません。」

信志は、体を投げ出すように、椅子に座った。

「……今回の事は、黄杏の願いでもあるのですよ?」

「知っている。知っているから、断ったのだ。」

白蓮はため息をついた。


「黄杏の気持ちも、分かってあげてください。」

「なに?」

信志は、白蓮を睨んだ。

二人だけの時は、何度も何度も喧嘩し、睨み合う事もあったが、青蘭を妃に迎えてからは、初めてだった。

だが長い付き合いのせいか、白蓮は微塵も狼狽えない。

「都を知らず、田舎でひっそりと生きてきた女が、王の為に国の為にと、意を決して、魑魅魍魎が住む宮殿へ参ったのですよ?それなのに、子もできぬやもしれない体になってしまって。これが、どんなに辛い事か、王には分かりますか?」


それを聞いた信志は口を閉じ、じっと床を見つめた。

「黄杏はきっと、自分は何しに来たのだと、自分で自分を責めているでしょう。だからこそ、自分付きである黒音が王のお子を孕んでくれればと、身を切る思いで申し出てくれたのです。」

「そんな必要はない!」

信志は、自分の太ももを叩くと、立ち上がった。

「黄杏は、こうも申しておりました!」

一旦、立ち止まる信志。

「黒音は、王をお慕いしているので、よく仕えてくれるかもと。」

白蓮は、立ち止まった信志の前に、やってきた。


「心通わぬ相手と子を作るのは、お互いに苦しいだけでございましょう。ですが、どちらかに気持ちがあれば、もう一方も救われます。黄杏はそこまで、王を思うてらっしゃるのですよ。」

信志は、手を強く握った。

「子ができぬかもしれぬとなれば、直ぐに他の女か。」

「恐れながら王は既に、お若くはありません。この国の為にも、早くお子を作らなければ。」

白蓮は唇を噛み締めながら、信志の腕を掴んだ。

「……分かった。」

「ご理解頂き、有り難うございます。」

白蓮はほっと、安心した表情を見せた。


「白蓮、そんなに嬉しいか?」

「えっ?」

顔を上げた白蓮を、信志は無表情で見下ろした。

「私が、子を産ませる為に、新しい妃を迎える事が、そんなに嬉しいか?」

白蓮は、居たたまれなくなって、信志から手を離した。

「……この国の、未来の為です。」

信志はサッと、白蓮の横を通り抜けた。

それが白蓮には、何よりも辛かった。

「私とて!」

白蓮の叫びに、信志は振り返った。

「……あなたが、新しい女を抱くなんて、耐えられなかった時もあります!」

白蓮も、そっと振り返った。

「でも、私は王妃なのです。そんな事、申している立場ではないのです。」

か細い声で言ったのに、信志は眉一つ変えない。

「さすがだな。見上げた心構えよ。」

それだけ言って、信志は部屋を出て行った。


それから1週間後。

黒音が、信寧王の第5妃になる事が、決まった。

「よかったわね、黒音。」

黄杏は新しい衣装を、黒音に着せてやった。

「これも、黄杏様のおかげでございます。」

黒音は、腰を曲げるほどに、黄杏に頭を下げた。

「黒音。」

黄杏は改めて、黒音の手を握った。

「一日も早く、お子が授かるよう、祈っていますよ。」

「有り難うございます。」

黒音も、笑顔で応えた。


すると黄杏は、もっと強く、黒音の手を握りしめた。

「……お願いですよ、黒音。」

「黄杏様?」

黄杏の目には、涙が光っていた。

「信寧王に、必ずお子を抱かせてあげてください。」

その目からは、信寧王に対する愛情が、涙となって溢れだすようだった。

「はい。」

黒音は、黄杏の手を、強く握り返した。

「黄杏様へのご恩を返す為にも、この身をとして、励みます。」

「ええ。」

そうして黒音は、黄杏の屋敷を出た。


黒音の屋敷は、丁度黄杏の向かい側。

青蘭の屋敷の、南隣だった。

既に新しい高価な調度品が、屋敷には揃っていた。

黒音は、妃だけが座る事ができる、背もたれの高い椅子に、腰かけた。

「子を産めなくなった女は、惨めね。」

黒音は、窓から見える黄杏の屋敷を、ちらっと見た。

「王に、お子を抱かせてね?」

ふっと、鼻で笑う黒音。

「抱かせるわよ。必ずこの国の跡継ぎをね。そうじゃなかったら、奴隷扱いされていた村を捨て、お妃付きの女人に忍びこみ、まんまとお妃の地位を手に入れた、甲斐がないじゃない。」


そう。

黄杏が国の外れから、この都に来るまでの間、籠の周りに付ける程になったのは、黒音の巧妙な作戦があったからだ。

生まれながら貧しく、後妻である継母にいびられ、こき使われながら暮らしていた少女時代。

村長の家に奉公に出た時も、寝る間も食べる暇も与えられない程に、働かせられた。

少し大人になると、村長に納屋へ来るように呼ばれ、そこで無理矢理、男を教えられた。

以来、村長の家で働いていた男達の、夜の相手をさせられるようになった。

疲れていても朝起きて、働かねばならない。

腹が減っても、食べさせて貰える物もない。

夜倒れても、男達の慰み物にならなければならない。

地獄だった。

だが黒音には、その地獄から這い上がろうとする力があった。


村長の家で働いていた男の中には、女中達に手を出さない者もいた。

その中の一人を丸め込み、恋仲に仕立てあげ、屋敷を出る事に成功した。

その後、宮殿の中に出入りする老人に、うまく家族だと思わせ、宮殿の掃除人に。

村長の家で教え込まれた腕を見込まれ、黒音はあっと言う間に、妃付きの女人へと変貌を遂げた。

だが、そんな男達の慰み者になっていた女が、いとも簡単に、宮殿で妃付きの女人になれるのか。

黒音は村を出る時に、ある仕掛けをしていたのだ。


それは、恋仲になっていた男に、やはり村長の娘を騙すように仕向け、自分と同じ日に村長の娘を、その男と駆け落ちさせていたのだ。

男も、夜な夜な欲求の捌け口にされていた黒音より、男を知らない初な村長の娘がよくなったのか、二人は喜んで森の中へと消えて行った。

そして黒音はまんまと、身を眩ました村長の娘だと偽って、女人の地位を手に入れたのだ。

「ふふふ……これで終わったりしないわよ。」

黒音は胸を踊らせながら、唇に紅をさした。

今日から三日三晩、新しい妃の元へと王は通って来るのだ。


気の重い信志は、暗い顔で黒音の元を訪れた。

「お待ち申し上げておりました。」

「ああ……」

青蘭の時も、紅梅の時も、もちろん黄杏の時も、この三夜通いは、心が踊って仕方なかった。

だがこれも、新しい妃を迎えたら、通らなければならない儀式の一つだ。

しかも黒音は黄杏付きの女人だけあって、酒の注ぎ方や食事の進め方、どれも完璧だった。


「よく盗み見したものだ。」

黒音は、一瞬だけ手を止める。

「そのような物の言い方は、お止め下さい。信寧王様があまりにも黄杏様の元へお通いになるので、自然に体に染み付いただけでございますよ。」

黒音の微笑みは、どこか艶っぽかった。

しかも自分を、好いている?

興味のなかった信志も、次第に黒音へ心を動かされていた。


二人で湯殿に入り、初夜を迎えた。

少し恥ずかしそうに、寝所へ入る黒音へ、信志は冷たく言い放った。

「そなた、生娘ではないだろう。」

黒音は、静かに目を背けた。

「隠すな。一緒に、湯殿へ入れば分かる。そなたは、男に裸を見せる事に、慣れているだろう。」

フッと黒音は、寝間着の袖で顔を覆った。

「なんて不躾なお言葉なのでしょう。今夜初めて情を交わすと言うのに。」

「ははは。初々しい振りは止めろ。」

そう言うと信志は、寝所に座り、服を捲った。


「まあいい。他の妃は皆、男を知らなかったからな。初夜の時には、手がこまねる程焦らされた。そなたが男を知っているのであれば、思ったよりも早く終わる。さあ、私を悦ばせてくれ。」

黒音の胸は、深く傷ついた。

これでは、村長の家で働いていた男達と一緒ではないか。

最初は丁寧に愛撫していた男達も、日が経つにつれて、自分の快楽しか考えなくなる。

そんな悔しい思いをする男女の交わりは、卑しい相手だけであって、王ほどの高貴なお人ならば、少なくても甘美な夜を味わえると思っていたのに。

黒音は、王の前に膝を着いた。

「……あまりにも、酷い仕打ちでございます。」

「黒音?」

「これから夫婦になり、共に人生を歩む夫となる人が、なさる行いとは思えません。」

信志は服を直した。

「……いくら私に心が向いてないと分かっていても、こればかりは、耐えられません。」

黒音の目から、ボロボロと涙が流れた。




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