第21話 相思相愛

それを見た信志は、黒音の手を引き寄せた。

「信寧王様?」

「……悪かった。」

黒音の耳元に、甘い声が聞こえる。

「そなたの言う通りだ。私達は今日から夫婦だと言うのに、冷たくしてすまなかった。許せ。」

黒音は、信志の胸の中で、首を横に振った。

「いいのです。分かって頂ければ……」

すると信志は、そのまま黒音を寝台へと、ゆっくり寝かせた。


「その代わり、今日は優しく抱いてやる。」

「えっ……」

驚く間もなく、黒音の首筋に、熱い舌が這う。

「はぁ……」

そして肌の上を、温かい手が滑る。

「ぁぁ……」

黒音はいつの間にか、夢を見ているような、気分になった。


今までの男は、自分の体を玩具のようにしか、思っていなかった。

こんな陶器を触るように、熱く柔らかく肌に触れられた事は、なかったのだ。

「黒音?」

目の前で、優しい目が自分を見つめる。

「どうして、泣いているのだ?」

そして溢れた涙を、拭ってくれる優しい手。

「いいえ………何も。ただ……」

「ただ?」

「王が、とてもお優しいので……」

そう言うと、また涙が勝手に溢れた。

「今日は、優しくすると言ったではないか。」

「あっ……」

信志の欲情の吐息と共に、黒音の体には快楽の波が、何度も何度も押し寄せた。


事が終わった後も、黒音は夢の世界から、抜け出せないでいた。

「黒音。」

信志は腕枕にいる黒音を、抱き寄せた。

「そんなによかったか?私との、初めての夜は。」

「はい……」

黒音も信志の胸に、顔を寄せた。

「今まで、こんなに優しく抱かれた事は、ございません……」

そう言うと信志は、黒音の額に、口付けを落とした。

「初めての男よりも、よかったか?」

「何を申されるのです?」

「許せ。男と言うのは、妻になった女にとって、一番で在りたいモノなのだ。」


黒音と信志は笑い合ったが、思い出したくもない夜が、甦ってきた。

何も知らない少女の体を、汚い手でまさぐった後、勝手に大きくなった自分のモノを、無理矢理押し込んできた村長。

痛いから止めてと叫んだ口に、服を入れられ、何が起こっているのか分からないまま、ただ必死に痛みに耐えた。

助けてと言っても、誰にも届かなくて。

その晩は朝が来るまで、一人台所の隅で、泣いていた。


それを思い出した黒音は、信志の胸の中を飛び出した。

「黒音?」

心配して伸ばした信志の手も、するりとすり抜ける。

「どうした?」

窓から差し込む光に、崩れ落ちた黒音。

どうして、こんな甘美な夜を経験しても、あの悪夢のような夢は、どこまでも追いかけてくるのか。

黒音は、自分で自分が嫌になった。

そんな黒音の側に来た信志は、小刻みに震える肩に気づいた。

「恐い思いでもしたのか?」

すると黒音の震えは、もっと大きくなった。

「もしかしたら、無理矢理……奪われたのか?」

その一言に、黒音から嗚咽が漏れ始めた。

「黒音……」

泣き崩れる黒音を、信志はまた優しく抱き締めた。

「もう、そんな夜は訪れないよ。」

「信寧王様……」

「ずっと、これから先ずっと……甘い夜しかそなたには、与えない。約束する。」


黒音の胸に中で、何かが崩れ去った。

自分は一体、何に意地を張っていたのか。

貧しい暮らしを抜け出したかった。

誰かに膝待つく人生ではなく、周りの人間全てを、自分に膝待つかせたかった。

その為には、王の妃となり、次期王の母となるしかなかった。


だが今はどうだろう。

ただこの人に、抱き締められているだけで、こんなにも心が幸せで、満ち溢れている。

「有り難うございます。」

黒音の口からは、自然にその言葉が、流れ出た。

「黒音は、幸せでございます。」

「ああ。」

その夜黒音は、生まれて初めて、安らぎの中で眠りについた。


黒音の三夜通いが進んでいるうちに、黄杏の体はすっかり回復していた。

「そうか……黄杏の元に、通えるのか。」

信志の心は、浮き立った。

「今夜は、黄杏の屋敷へ行こう。」

久々に、黄杏と夜を過ごせる。

それはまだ村で逢瀬を重ねていた時の、あの気持ちに似ていた。


だが黄杏からの返事は、“否”だった。

「えっ?」

「黄杏様におかれましては、まだ体調が戻らぬとの返事でございまして……」

必死に弁明する侍従をすり抜け、信志は夜の中、黄杏の屋敷に駆けつけた。

「信寧王様……」

久しぶりに会った黄杏は、一瞬嬉しそうな表情を見せるも、直ぐに背中を見せてしまった。

「黄杏、なぜだ。なぜ、私を拒む。」

「拒んではおりません。体調が優れないのです。」

信志は黄杏の前に、回り込んだ。

「嘘だ。もう月のモノも過ぎて、夜の相手もできるはずだ!」

困った顔をして、一歩下がる黄杏を、信志は捕まえる。


「私を……嫌いになったか?」

「信志様……」

信志の顔が、次第に悲しみに歪む。

「……もしかしたら、村へ帰りたくなったか?」

黄杏はそれ以上、何も言えなくて、黙るしかなかった。

「黄杏……何か、言ってくれ。」

信志は顔を近づけると、黄杏の額に自分の額を付けた。


嫌いになるなんて、絶対にならない。

村に帰るなんて、そんな事も考えた事がない。

ただ、本音を言えば空しいだけ。

あれだけ、自分だけを愛していると言っていたのに、こんなに簡単に自分への歩みが遠のく事が。

勿論、黒音を推薦したのは自分であるし、何よりも自分だけの王ではない事は、理解している。

子もできないかもしれない中で、他の女に行くなとも言えない。

だからこそ、苦しいのだ。


ここで泣き叫ぶ事ができたなら。

他の女の下へ行くなと言えたのなら。

黄杏は、こんなにも苦しくなる事は、なかっただろうに。


「王を……お慕いする気持ちに、変わりはありません。」

「黄杏……」

信志は黄杏に手を伸ばしたが、その分だけ黄杏は、後ろへ下がった。

「だからこそ、王のお子ができないのが、辛くてたまらないのです。」

信志はたまらずに、黄杏を抱き寄せた。

「子ができなくても、そなたは私の妃に、違いはないだろう。」

信志の抱き締める力が強くなる度に、黄杏の切なさも増していく。

「嫌なのです……」

信志は、黄杏と顔を合わせた。

「王は、私に子ができなくても、今まで通り通って下さるでしょう。ですがその分、他の子が産める妃の足が、遠くのと言われるが嫌なのです。」

「黄杏!」

信志は、必死に黄杏を繋ぎ止めようとした。


「……このまま、捨て置き下さい。」

言葉を失った信志は、黄杏の腕から手を離した。

「お世継ぎのご誕生を、心からお祈り申し上げております。」

弱々しく言葉を発した黄杏をそのままに、信志は黄杏の屋敷を後にした。

シーンと静まり返った屋敷。

一人で呆然と、寝台に座る黄杏。


これでいいのだ。

他の妃に子が産まれれば、また通ってくれるようになるだろう。

だけど、信志様の心が変わって、お子を産んだ妃の元へ通うようになったら?

黄杏は、自分が子を身籠った時の、信志の姿を思い出した。

抱けないと分かっても、お腹の子の為に、毎晩通って隣に添い寝してくれた信志。

優しい信志だけに、子ができた妃に、心変わりするのも分かっている。


「……っ」

黄杏の目からは、涙がボロボロ流れた。

「ううっ……」

どうして、王である信志を、好きになってしまったのだろう。

他の人であれば、妃は一人しかおらず、子ができぬと分かれば、離縁して村に帰る事もできたかもしれないのに。

「うわああああああ!」

こんなに辛いのも、ただ一人、信志を愛してしまったから。

どこにも行き場のない想いが、黄杏を包み込むのであった。


黄杏に“捨て置き下さい”と言われた信志は、公務にも身が入らない日が続いた。

それを見た忠仁が、信志の横に立つ。

「まるで、もぬけの殻みたいですな。」

「ああ……」

そう返事をする時も、心ここにあらずと言った感じだ。

「何かあったのですか?」

「ああ……」

気のない返事に、本当にあったのかなかったのか、見当がつかない。

「お話下さいませ。私と王の仲では、ございませんか。」

忠仁は、信志が幼い頃よりの、武芸の師匠であり、第1の忠臣であり、今や義理の父親だ。


「忠仁……」

「はい。」

「黄杏に、捨て置いてくれと言われた。」

忠仁は、目を丸くして信志を見た。

一国の王が、数人いる妃の一人に、拒まれたと言っても、大した事でないだろうに。

まるで、世界の終わりみたいな、顔をしているではないか。


「黄杏様はなぜ、そのような事を申されたのですか?」

「子ができぬ自分の元へ通う事で、私に子ができる好機を失ってほしくないそうだ。」

「それで?王は、分かったと帰って来たのですか?」

「ああ……」

忠仁はわざとらしく、大きなため息をついた。


「……そう言えば黄杏様は、多宝村のご出身でございましたな。」

「そうだ。」

「懐かしいですね。多宝村に一行で向かってから、もうすぐ1年でございます。」

忠仁は椅子を持って来て、信志の隣に座った。

「覚えていらっしゃいますか?黄杏様は最初、お妃候補ではなく、台所で宴会用のお食事を作っておられた。」

「ああ、そうだ。」

信志は、それがどうした?と言う顔だ。

「その方を、王は見初められた。」

信志からの返事はない。

「お妃になれぬ方には、お会いになられますな。私がそう申しても、あなた様は黄杏様を諦めなさらなかった。」

静かに手を握りしめる信志。

「そこには、条件などなかったはず。今と同じ状況なのでは?」

すると信志は、黙って立ち上がった。

「王?」

「黄杏の元へ行ってくる。」

信志はそれだけ告げると、部屋を出て行ってしまった。


まだ昼間だというのに、屋敷に顔を出した信志に、黄杏は戸惑った。

「信寧王様……」

昨日、子を成す為ここには来ないでくれと、告げたばかりだと言うのに。

黄杏は、下を向いたまま、玄関に立ち尽くした。

「黄杏!」

そんな黄杏を、信志は玄関で抱きしめた。

それを見た女中達は皆、屋敷の奥へといなくなってしまった。

「王……。ここにはもうお訪ねにならぬようにと、昨日……」

「そのような事、構わぬ。」

黄杏は、顔を歪ませた。

「私がそなたの元へ訪ねるのは、子を成す為ではない。」

「いえ、あの……」

戸惑う黄杏は、信志から離れた。

「覚えているか?私達の出会いを。」


黄杏にとって、愛する信志との出会いは、忘れたくても忘れられない、一番大切な思い出だ。

月明かりの夜。

村では見かけない洗練された男が、月に見とれるあまり、そのまま池に入ってしまった。

見かけと中身のあまりの差に、信じられず止める事もできなかったが、ハッと我に返った黄杏は、急いで池からその男を救い出した。

それに加え、地位を表す帽子を池に忘れる始末。

王とは知らない黄杏は、信志に呆れるばかりだった。

だがそれもつかの間、その瞳の美しさに、黄杏は夢中になってしまった。


忘れられる訳がない。

知らずに黄杏の目から、涙が零れる。


「待ってくれ、黄杏。」

引き留める信志に、簡単に捕まってしまう。

本当は、この手を繋いでいて欲しいのだ。

「あの時、そなたはお妃候補ではなかった。でも、私はそなたを諦められなかった。今もその時と同じ気持ちだ。」

「王……」

信志の目に、涙で顔がグチャグチャになっている黄杏が映る。

「いつものように、信志と呼んでくれ。私は出会った時と同じように、そなたが恋しくしてたまらないのだ。」

二人は見つめ合うと、顔を少しずつ寄せ、唇を重ねた。

久しぶりに近づいた信志は、黄杏を抱き上げると、そのまま寝台へと横たわらせた。

「信志様、まだ湯も浴びていないというのに。」

「いいのだ。私とそなたの仲ではないか。」

信志と黄杏は、まだ陽が落ちていない中、着ている物を剥いで、情事にふけった。


黄杏の肌の匂いが、信志の鼻腔をくすぐる。

甘くて、自分の側にいると感じられる匂いだ。

首元に舌を這わせると、黄杏から甘い声が漏れる。

「ああ、黄杏……久しぶりに、そなたの体を触れる……」

その柔らかい肌に触れる度に、黄杏の体が気持ちよさそうに、うねっていく。

その様子を見るのも、信志の楽しみの一つだ。

やがて一つに繋がった二人の体は、汗でお互いの体の境界線が分からない程に、とろけ合ったのだった。

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