第13話 嘘の住処


だが翌日、信志が寝屋に選んだのは、黄杏の屋敷ではなく、青蘭の屋敷だった。

今日も来ない。

黄杏は、屋敷の窓から、青蘭の屋敷を見てみた。

時間的に、夕食が終わり、屋敷を訪れる頃だった。

青蘭は、久々の王の訪問に、屋敷の玄関で待っていた。

王が玄関の前に立つと、青蘭は嬉しそうに、王に抱きつく。

抱きつかれた王も、満更ではなく、二人はしばらく離れようとはしない。


ー 王を慕う気持ちはなく…… ー


昨日の夜の青蘭の言葉が、黄杏の耳に甦る。

「嘘つき……」

自分は、人質としてやってきたと、王への気持ちが、全くないように言っていた青蘭。

だが今の青蘭は、王と心を通わせているではないか。


黄杏は窓を閉めると、寝台へと倒れ混こんだ。

「嘘つき、嘘つき、嘘つき!」

どんなに愛していても、王は自分だけのものにならない。

なるべく早く戻ると言った信志も、戻ってきてはくれない。

「みんな、嘘つき!」

悔しくて悔しくて、泣き叫んだ黄杏は、そのまま寝入ってしまった。


どれほど経っただろう。

女人達も下がり、静かな夜だけが、黄杏を取り囲んだ。

「水、ないかしら。」

起き上がった黄杏は、隣の部屋に、水がないか探したが、この日だけは女人が用意していなかったのか、机の上になかった。

「はぁ……」

諦めようとしても、泣きじゃくったせいか、やたら喉が乾く。

「確か外に、井戸があったはず。」

黄杏は、杯を持って外に出た。

白蓮と紅梅の屋敷は、もう灯が落ちていると言うのに、青蘭の屋敷だけは、煌々と明かりが着いていた。


そこへ護衛をしていた兵士が、ニヤニヤしながら歩いてきた。

「今日は久しぶりに、青蘭様の甘い声が聞けたよ。」

「あの方、色気たんまりだから、王もなかなか満足しないよな。」

そう言って、イヒヒヒと下品な笑いをする。

「あーあ。今日も遅くまで、励むなぁ。」

「青蘭様の時は、いつもそうだって。一晩中灯が落ちない時だってあるよ。紅梅様の時はすぐに消えるのになぁ。」

黄杏は青蘭と信志が、一糸纏わぬ状態で目合っているのを想像するだけで、頭がおかしくなりそうだった。

「井戸……早く井戸を探さなきゃ……」

気を確かに持つ為に、さ迷うように井戸を探した。

「あそこだ。」

やっと見つけた井戸の蓋を開け、水を汲むと、一気に飲み干した。

そして、生き返ったような気がした黄杏の耳に、卑猥な声が届く。


「あぁ……いい……もっと……もっと!」

黄杏は、耳を塞いだ。

どこからこの声は、聞こえてくるのか。

辺りを見回すとそこは、他でもない青蘭の屋敷の脇だった。

急いで立ち去ろうとする黄杏の耳に、また卑猥な声が聞こえる。

「もう……だめぇ……信志様ぁあ!」

「青蘭……我慢しなくてもいいよ……」

黄杏はそのまま引かれるように、青蘭の屋敷の窓を覗いた。

そこはちょうど、青蘭の寝台になっているようで、異国のエキゾチックな中に、官能的なお香の臭いがする。

その上で何も纏わぬ信志が座っており、その上に裸の青蘭が乗っている。

青蘭はたわわな胸が揺れる程、激しく体を動かしているが、何よりも許せなかったのは、そんな青蘭の滑らかな肌を貪るように、口付けている信志だった。


黄杏は、近くにあった石を、青蘭の屋敷に投げようとした。

だが当たれば、何事かと大騒ぎになる。

「くっ……うぅ……」

胸が苦しくて、黄杏は拾った石を、地面に強く叩きつけた。

「はぁはぁはぁ……」

あんなに、毎晩情を交わしていたと言うのに。

あの甘美な言葉は、全て嘘だったのだ。


失意の中で、自分の屋敷に戻ろうとした黄杏の目に、今度は、武術の稽古をしている紅梅の姿が写った。

ついこの前、他の妃に行くようにと仕向けろと言われ、それに従ったせいで、今こんなに苦しんでいる。

今だけは、会いたいくない。

黄杏は、紅梅に見つからないように、忍び足で戻ろうとした。


「こんな時間に、何してるの?」

だが黄杏は、あっさり紅梅に、見つかってしまった。

「……水を飲みに。」

「へえ。それでもしかして、井戸に行ったの?」

紅梅は、刀の素振りをしながら、次から次へと質問してくる。

「ええ……」

「お馬鹿さんね。そのついでに、見たくもないものまで見てしまって。」

黄杏は、紅梅のその言葉が、気になって仕方なかった。


「知っているの?」

「知ってるわよ。お妃になって、何年になると思ってるの?」

そんな事は、説明されてないから、分からないとしか言えないが、少なくても自分だけ、このモヤモヤしている気持ちを、持っている訳ではないのだ。

「紅梅さん。」

「何?」

「紅梅さんは、どうして王の妃になったの?」

自分はどんどん、黄杏に質問をするくせに、黄杏の質問には、答えようとしない紅梅。

「……女隊の隊長を、やってらしたんでしょ?辞めるのは、嫌ではなかった?」

「全然。女隊の隊長をしていたのは、王に近づく為だから。」

「えっ!?」

驚いた黄杏は、口を両手で塞ぐが、紅梅ならやりかねないと思った。


「私の父が、王の近臣だと言う事は、知っているんでしょ?」

「……はい。」

「そのお陰でね。小さい頃から、王の事を知っていたわ。話しかけられる事も多くて。私の事は、親戚の女の子ぐらいにしか思ってなかったようだけど、私は好きだった。私の初恋の人よ。」

あのガサツそうな紅梅の口から、初恋の人という甘酸っぱい言葉が出てくるなんて。

黄杏は、急に紅梅の事が可愛らしく見えて、ニンマリした。

「ある日。王と武術の試合をしたの。勝ったら、お妃にして欲しいと頼んだわ。必死で攻めて、最後の最後で王に勝った。その結果、これよ。」

紅梅は、高そうなシルクの寝間着を、黄杏に見せた。


「私が欲しかったのは、こんな物じゃなかったのに。本当に欲しい物って、手に入らないのね。」

強がっていた紅梅が、ほんの少しだけ、弱い部分を見せた瞬間だった。

黄杏は、勝手に親近感を覚え、紅梅の近くにあった、大きな石に、腰を降ろした。

「紅梅さんは、王のお子が、欲しいのね。」

「王のお子も欲しいけれど、一番欲しいのは、王の愛情だけどね。」

紅梅もため息をつきながら、黄杏の隣に座った。

「青蘭さんは、王にお気持ちは向いていないと、仰っていたけれど、王と情を交わしている姿を見る限りでは、そんなふうに思えなかった。」

慕ってもいない相手に、あんなに激しく求めるだろうか。


「あの人はね。好きものなのよ。」

「す、好きもの?」

「要するに濡れ事が、好きなのよ。」

あの、儚げな青蘭が?

あまりにも衝撃的で、言葉も出ない。

「一説では、男女の交わりができなくなるから、お子をわざと作らないって言う噂もあるくらい。」

「えっ!?」

そんな世界があるなんて、田舎で育った黄杏には、理解できない世界だ。


「あの二人、心は交わらないけど、体の相性はいいみたい。青蘭さんが絶頂に達してるの、何度か聞いた事、あるもの。」

「ぜ、絶頂!?」

「シー!声が大きい!」

黄杏と紅梅は、慌てて周りを見た。

「ったく。子供じゃないんだから、そんな事で驚かないでよ。」

「ごめんなさい……」


男と女の情事を知って、まだ2ヶ月弱しか経っていない黄杏には、もうついていけない。

「私には、無理だな。あんな獣みたいに交わるなんて。」

思い詰めたように、はぁっと息を吐く紅梅。

黄杏から見たら、紅梅の方が余程、好きそうに見えるが。

「……紅梅さんは、どんなふうに、王に抱かれるの?」

こちらを振り向いた紅梅は、渋い顔をしていた。

「いえいえ。深い意味はないです!」

慌てて否定した黄杏を、紅梅は白い目で見る。

「……どんなって、普通よ。」

「そう……ですよね。」

なんだか気まずくなって、少しだけ背中を向けた。


「でもあれかな。一晩中って言うのは、ないかな。あまり好きじゃないのよ、そういう濡れ事って。王にもそれが伝わっているから、早めに終わらせてくれるし。」

紅梅の発言は、いつも黄杏を困らせる。

そんな事、知らなくてもよかったのに。

「でも王は、性欲がお強い方だから。」

「そ、そうなんですか?」

とりあえず、話を合わせる。

「知らないかもしれないけど、黄杏さんが妃になってから、1ヶ月ぐらい毎晩、夜、お励みになっていたかもしれないけど、時々日中、青蘭さんとも励んでいらしたからね、王は。」

「そんな~!!」


これには力を無くし、全身の力が抜けそうになる黄杏。

ただでさえ、一目惚れした相手だからと、青蘭に嫉妬しているのに。

自分に隠れて、青蘭の元へ行ってたなんて。

しかも、日中に!!


「うう~。もう嫌だ~。」

「何、泣き言言ってんのよ!まだ妃になって、1ヶ月しか経ってないでしょ!」

「1ヶ月しか経ってないからこそ、他の女の元へ行くなんて、嫌だ~」

「他の女じゃない。お妃。」

何を言っても、強気で返してくる。

泣きべそをかいている黄杏とは、えらい違いだ。

「どうして、こんなところに、来ちゃったんだろう。」

「まだ、言うの?」

「紅梅さんは、そう思わないんですか?」

「私だって、そう思うわよ!でも、仕方ないじゃない。好きなんだから。」

そう言った紅梅の目にも、薄らと涙が光る。


「紅梅さん。私達、同じ人を好きになって、こうして同じ人のお妃になって。一人の妃に行けば、もう一人が泣くって言う悲しい立場にあるけれど……」

黄杏の目にも、涙が溜まる。

「でも泣くくらい、人を好きになれただけ、私達は幸せものですよ。」

「黄杏さん……」

二人は顔を合わせると、一緒に涙を流し合った。


その間に、信志と青蘭は、熱い情事の後に、二人で休んでいた。

「青蘭。今日はいつにも増して、激しく求めてきたな。」

背中を見せている青蘭の腕や腰を、信志は独り占めするように、撫で回す。

「さては、新しい妃に嫉妬したか?」

「まさか。」

フッと、鼻で笑う青蘭。

「私がどれ程王のお相手をしようと、あの可愛い方には、敵わいませんわ。」

その様子を見た信志は、青蘭の冷ややかな表情を、愛しそうにも、悲しそうにも見ていた。

抱かれている時も、あんなに恍惚な目で、自分を見るのに。

切ない声で、名前を呼んでくれるのに。

激しく、自分を求めてくれるのに。

事が終わると、それは全て、幻となって消えてしまう。

だから、何度も抱きたくなる。

もう一度、青蘭と愛し合っていると言う、幻にも似た夢を見る為に。


「どうしたら、君の心を、手に入れる事ができるのだろう……」

ふと聞こえてきた言葉に、青蘭は思わず振り向く。

「王?」

「君は、他の女に夢中になっていると聞いても、塵ほどにも妬いてくれない。」

青蘭が見た信志は、今にも泣きそうな顔をしている。

「それは……」

今更嫉妬しろなんて、虫が良すぎる。

「……答えぬなら、体に聞いてみようか。」

「えっ……」

信志は、青蘭の体を自分の方へ向けると、青蘭の足の付け根に、指を添わせた。

「あっ……そこは……」

触れられただけで、全身に刺激が走る。

「お……許しくだ……さい……さきほど達したばかりで……」

「いや、許さぬ。嫉妬しない罰だ。もう一度、私に激しく抱かれろ。」

「あぁ……」

再び襲ってくる快感に、青蘭は信志に初めて抱かれた時の事を思い出した。

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