第2話 宴の時間
そして2週間かけて、多宝村に到着した信寧王。
最初の2日間は、村の絶景を堪能した。
その間も、付いてまわるのは、美麗をはじめとした条件に合う女達だ。
「王、お水でございます。」
「有り難う。」
飲み終わった杯を、信寧王は美麗に渡した。
「そなた、名前は?」
「美麗と申します。」
「そうか。覚えておこう。」
その一言で、周りの女達は、ため息を漏らす者、感嘆の声をあげる者、それぞれだった。
「あーあ。もしかしたら、美麗に決まるかもしれないわね。」
「名前を聞かれたくらいで?」
「あら、私の時は目も合わせてくれなかったわよ。」
宴は明日の夜から始まると言うのに、既に美麗に決まったような、雰囲気だ。
それを見たお供の忠仁は、条件を出しておいてよかったと思った。
この村に行こうと行った時に、あまり乗り気ではなかったのに、こんなにも早く、妃が決まりかけるとは、考えもしなかったからだ。
その事は、台所仕事をしている黄杏達にも、伝わった。
「聞いた?美麗が、お妃第1候補ですって。」
「やっぱり?村一番の美人だもんね。」
条件に合わない者の多くは、背が低い者、やせ細っている者、肉付きが良すぎて、小太りな者も多くいた。
最初から選ばれないと知っているから、誰が選ばれるのか、裏で賭けている者もいた。
「そうなると、勿体ないのは黄杏ね。」
小太りの女が、黄杏を呼んだ。
「美麗程ではないにしろ、黄杏だってなかなかの美人よ?格好なんか、美麗よりも上だしね。」
「そうそう。これで将拓さんがいなかったら、結果は違っていたかもね。」
台所にいる女が、こぞって黄杏を哀れんだ。
「まあまあ。兄がいなかったらと言う話をしたって、仕方ないですよ。こればかりは、何ともならないでしょう。」
そう言う黄杏は、そもそも王の妃になる事など、興味がなく、それこそ誰がなっても、一緒だと表情だった。
「さあ!待ちに待った宴の時間だ!娘達!せっかくの好機を、逃すなよ!」
村長が、条件に合う娘達を、一人一人励ます。
「お食事をお持ちします。」
出来上がったお膳を、黄杏が持ち上げた時だ。
「おっと、それは王のお膳か?」
村長が黄杏の元へ、やっていた。
「そうです。」
「よし。このお膳は、美麗が運びなさい。」
「はい。」
美麗は村長に言われ、黄杏からお膳を奪った。
「任せてちょうだい、黄杏。」
勝ち誇った顔で、王のお膳を持って行く美麗。
それでも、黄杏は知らぬ存ぜぬだ。
「黄杏、いらなくなった水を、捨てて来てちょうだい。」
「はい。」
小太りの女に言われ、黄杏は水の入った樽を持つ。
さっき持っていた王のお膳とは、雲泥の差だ。
「ここでいいか。」
戸を開け、草の上に水を捨てる黄杏。
その戸を閉めようとすると、向かいの大広間で行われている宴の様子が、目に入ってきた。
信寧王の周りを、たくさんの女達が取り囲み、とりわけ美麗は、すぐ隣で王に、酒を注いでいる。
自分には、全くの無関係だと分かっていても、一生に一度しかないお祭りに、参加してみたい気持ちも、なくはない。
王の家来達にも、一人一人、女達が付いているのだから、それぐらいさせてくれたって、いいではないかとも思った。
そんな事を考えながら、台所に戻ろうとすると、廊下に兄の将拓の姿が見えた。
「兄様。」
「ああ、黄杏か。」
地方都市の役人をしている兄の将拓は、王の宴に出るのに、正装をしていた。
「兄様、信寧王とお会いになったの?」
「先程、ご挨拶させて貰ったよ。さすがこの国の頂点に立つお方だ。私のような位のない役人に対しても、礼を尽くして下さる。」
将拓は、尊敬の眼差しで信寧王を見ていた。
「お妃候補、美麗なんですってね。」
「ああ……そうだな。美麗は美しい。お相手には、相応しいよ。」
だが黄杏は、将拓の悲しそうな顔を、見逃す事はできなかった。
「兄様、美麗に惚れていたのでしょう?」
「なんだ。知っていたのか。」
寂しそうに、微笑む兄の将拓。
「想いは伝えたの?」
「ああ。だいぶ昔にね。」
隣の家で幼馴染みだった美麗。
その美しさは、子供の頃から際立っていた。
勉強に励んでいた将拓を、美麗も応援してくれていた。
役人になる為、地方都市の学校に、寄宿生として行く事になった前日の夜。
将拓は、美麗を呼び出していた。
「明日、この村を出て行ってしまうんでしょう?」
泣きそうな声で言う美麗に、将拓は約束を持ちかけた。
「必ず、立派な役人になって帰って来るから、その時には、私の妻になってほしい。」
でも美麗は、困っていた。
「ごめんなさい。将拓の事は好きだけど、私まだ、結婚とか考えられなくて。」
無理もなかった。
美麗は、まだ15歳の大人と子供の境を、さ迷っていたのだから。
将拓がいなくなって、10年。
美麗は、村一番の美人に育った。
将拓が、時々実家に帰って来ているのは知っていたが、申し出を断った手前、美麗から声を掛ける事はなかった。
そして美麗の両親は、村一番の美人に育った美麗を、金持ちの誰かと、結婚させようと考えていた。
そんな中で飛んで来たのが、王のお忍び旅行。
願ってもいない好機だった。
「お酒がありませんね。新しいのを、持って来ます。」
「頼むよ、美麗。」
顔を合わせる信寧王と美麗。
それは、美麗の計算の内だった。
初めのうちから、王の心を掴み取っておきたかった。
何よりも、王の妃になる事が、今まで育ててくれた両親への、何にも勝る親孝行だと思っていたのだ。
空になった徳利を持って、廊下に出た美麗。
そこには、黄杏と将拓が話をしていた。
「あっ、美麗。」
先に気づいたのは、黄杏の方だった。
「黄杏。お酒が無くなってしまったの。」
「分かったわ。急いで持ってくるわね。」
美麗から徳利を渡されると、黄杏は台所へと行ってしまった。
残されたのは、美麗と将拓の二人だけだ。
「元気そうだね、美麗。」
「将拓も。元気そうで、何よりだわ。」
恙無く挨拶を交わす将拓に、美麗も心が解けて行く気がした。
「聞いたよ。王のお妃候補なんだって?」
「ああ。両親が、そう望んでいるの。」
将拓は、首を傾げた。
「君は?君は、望んでいないの?」
見つめ合う美麗と将拓。
「私は……」
そこへお酒を注いだ徳利を持った、黄杏が戻ってきた。
「どうしたの?二人とも。」
いつもと違う雰囲気に、黄杏が心配をする。
「兄様。美麗は、王の妃候補よ?」
10年経っても、将拓の心の中に、美麗が住んでいる事を、知ってしまう黄杏。
「ああ。分かっているよ。」
そう言って将拓は、また大広間に、戻って行ってしまった。
「美麗……」
美麗の方にも、気持ちがある事を、黄杏は気づいた。
「美麗、あなた……このまま王の妃になって、本当にいいの?」
美麗は、徳利をぎゅっと握った。
「じゃあ黄杏は、両親の期待を裏切れと言うの?」
「えっ?」
美麗は、どことなく追い詰められた目をしていた。
「もう遅いのよ、何もかも。そのせいで、今までの縁談は、全て断ってしまった。その度に、両親のがっかりした顔を、見てきたわ。これで最後なの。親孝行できるのは。」
「そんな……」
黄杏が手を伸ばした瞬間、その手はスルッと、空を舞った。
「美麗。兄様は、今も美麗を想っているわよ?」
だがその声も届いているのか、届いていないのか、美麗は知らない振りをして、大広間へと行ってしまった。
なぜこんなにも、二人はすれ違ってしまったのか。
幼い頃の二人を思い出しながら、黄杏は庭へと出た。
そこには、綺麗な月がぽっかりと、浮かび上がっていた。
しばらくして信寧王は、酔いを冷ましに、立ち上がった。
「王、どちらへ。」
「酔いを冷ましてくる。」
「私も付き添います。」
忠仁も、一緒に立ち上がった。
「いや、一人で大丈夫だ。」
信寧王はそう答え、一人庭先へと足を踏み入れた。
そこには、立派な木が沢山、植えられていた。
上を見上げると、木々の間から、月が綺麗に見える。
「綺麗な月だな。」
空に見とれて、王は足を踏み間違ってしまった。
「危ない!」
女の声と一緒に、どこにあったか分からない池に、そのまま身を投げてしまった。
「わっ!」
もがく信寧王の手を、誰かが掴んだ。
「落ち着いて下さい。その池、あまり深くないので、足を伸ばせば立てます。」
女の言う通り、王は足を伸ばした。
すると、さっきまであんなにもがいていたと言うのに、今は嘘みたいに池の中に立っている。
「こちらです。」
手を掴んだ女は、池の外まで、王の手を引いた。
「驚きました。真っ直ぐに池の中に、入ってしまわれるんだもの。」
女は、自分が着ている上着を脱いで、濡れた顔や髪を拭いてくれた。
「早く着ている物を、乾かした方がいいですよ。さあさあ、脱いで。」
女は、自分を王だと言う事に、気づいていないのか、気を使うでもなく、次から次へと着ている物を剥いでいく。
「これで全部ですか?」
「ああ、えっと……」
辺りを見ると、帽子がない。
「うわっ!池の中に浮いている。」
慌ててまた池の中に、足を一歩入れた時だ。
自分の前を、女が水を掻き分け、進んで行く。
「はい。」
そして手に取った帽子を、自分の前に差し出すではないか。
「有り難う。」
「どういたしまして。」
普段はお礼を言うと、恐れ多いと言われるのに。
「あなた、王の家臣のお一人でしょう?」
女の着物が濡れているせいか、素肌が透けて見えそうだった。
「私の兄様もね、役人をしているから、同じような服装をしているの。でもあなた、黒ではないのね。身分が高い人?」
「あ、ああ……」
「そうなの?王様に仕えるのは、大変でしょう?でも確か兄様が、王はさすがだ!って言ってたから、そうでもないのかしら。」
そう言って、女はふふふっと笑って、背中を見せた。
その隙に、自分の上着を、女に羽織らせた。
「えっ?」
「濡れているから迷ったのだが、これ以上そなたの素肌を拝むのは、どうも卑怯な気がしてね。」
そう言うと女は、胸元を両手で隠した。
「名前は?」
「黄杏と申します。」
「そなたは、宴に参加しないの?」
「条件に合わなくて。」
「何の条件?」
王は、娘達に条件が出されているとは、全く知らなかったのだ。
「兄のいない娘。私には兄がいるから、お妃候補には、なれないんです。」
王は絶句した。
自分はあの時、村の娘達全員と、顔を合わせたいと言ったはずなのに。
「あなたは?あなたは、何て名前?」
「ああ……私は……」
私は王のお妃候補になれないの。
そう言う娘に、自分は王だと名乗ってよいものなのか。
信寧王は、悩んだ。
「どうしたの?自分の名前も、忘れたの?もしかして、さっき池に落ちたせい?」
「いやいや。」
悩んだ末、王は自分の名前を告げた。
「信志。」
「信志。素敵な名前ね。」
黄杏と本名を名乗った王は、月明かりの中、微笑んだ。
「服、早く乾かした方がいいわよ。」
「ああ、そうだな。」
「これ、返すわ。」
黄杏は、上着を信志に渡した。
「君が風邪をひくだろう。」
「私は、ここに着替えがあるから。じゃあね、信志。」
手を振って、黄杏は建物の中に、消えて行った。
その様子を見た信志は、今まで出会った事のない女に、笑いが止まらない。
濡れた服と帽子を持って、大広間に戻った後も、皆の心配を他所に、笑みが絶える事はなかった。
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