第43話 誕生

そして月日は流れ、黄杏は産み月を迎えた。

「大丈夫ですよ、黄杏様。案ずるより産むが安しと申しますから。」

王宮付きの産婆が、黄杏に穏やかに、声を掛けた。

「はい。」


二度目の妊娠とは言え、一度目は残念な結果になった黄杏。

お腹の中の御子が、生きて産まれてくる事が、何よりも望みだった。


「元気に生まれてくるのであれば、姫君でもよい。」

毎晩添い寝する信志は、いつもそう、黄杏に言い聞かせた。

「周りは、特に白蓮が言う事は、気にするな。産まれてくる御子は、皆、宝に等しい。」

信志は、黄杏の体を撫でる。

「はい。その言葉、有難く頂戴いたします。」

自分が恋慕う相手の、御子。

それだけで黄杏は、幸せな気持ちになるのだった。

「ああ、いつ産まれてくるのであろう。」

信志は、今か今かと楽しみで仕方ない。

「もう少しでございますよ。」

黄杏も、お腹の御子が、産まれてくるが楽しみで仕方ない。


いや、それは……

王宮中が、待ち望んでいるに、違いなかった。


ある日黄杏が、外を散歩していると、急にお腹が痛くなった。

「うぅぅぅ……」

「黄杏様?」

女人が、黄杏に駆け寄る。

「産まれそう……」

「まあ、大変!」

女人は直ちに、黄杏を白蓮の屋敷の中にある、医療所に運んだ。


「まあ、陣痛が始まっているだろうね。」

それなのに、産婆はのほほんとしている。

「あの……お産の準備をしなくても、よろしいのですか?」

女人が慌てて、産婆に尋ねる。

「なあに。そう、慌てなくてもよい。産まれるのは、明日かもしれんし、明後日になるかもしれん。」

「明日?明後日で、ございますか?」

黄杏は、この苦しみがまだまだ続くのかと思うと、気が遠くなりそうだった。

「黄杏様。痛みの波が、もっと短くなったら、教えて下さいよ。」

「はぁ、はあ……」

そんな事を言われても、痛みに耐えるだけで、精一杯だ。

「ほほほ。苦しかろう。皆、そういうものじゃ。」

耐え難い痛みの中で、黄杏の額から、脂汗が滴り落ちる。

「大丈夫じゃ、大丈夫じゃ。どんなにもがき苦しもうとも、産まれてこなかった子は、今までおらん。」

黄杏は、荒い息の中、前に宿した御子を、思い出した。

「……私の、初めての御子は、産まれませんでした。」

「お腹の中で死んだとしても、お腹の外には、出てきたであろう?そういうものじゃ。」

何を言っても、呑気にお茶をすすっている産婆。


そんな産婆に、黄杏は話しかけてみた。

「産婆さんは、お子さんはいらっしゃるのですか?」

「ああ、5人産んだ。」

「皆、無事産まれたのですか?」

「一人は、黄杏様と一緒。腹の中で死んでしまった。他の4人のうち、二人は赤子の時に、死んだ。結局、大人になったのは、二人だけよ。」

そう言って、産婆は笑っている。

「……辛い思いを、なさったのですね。」

「ああ、そうじゃな。だが、産む時は、痛みに耐えるだけで、いっぱいじゃったよ。」

黄杏は、なぜか微笑む事ができた。

自分も一緒。

産みの苦しみに、今は耐えるだけしかできない。


「波が治まったら、握り飯でもいいから、食べておきなさいよ。腹が減って、力が出ないのでは、産まれるものも、産まれん。」

「はい……」

黄杏は、痛みの波が治まると、女人に差し出されたおにぎりに、手を伸ばすが、直ぐにまた、痛みが襲ってくる。

「無理せんでええよ。食べれる時に食べて、眠れる時に寝ておきんさい。」

そう言って産婆は、また呑気にお茶をすすっていた。

「……紅梅も同じように、苦しんでいたのですか?」

「ああ!あの子はな。そんなに痛そうにはしておらんかった。元来、痛みに強いお人なのかもしれん。」

黄杏は、紅梅が羨ましくなった。

思えば、自分の人生、苦しさや痛みなど、ほとんどなく過ごしてきた。

「……人生って、上手くできているんですね。」

「何を言うんじゃ。苦しまずに産んだら、その後の長い間、可愛がって育てようとは、思わんじゃろうに。」

「そう……ですね。」

黄杏は、度々襲ってくる耐えがたい痛みに、何とか耐えていた。

「うー……」

「ああ、そうやって声を出して、耐えておれ。産むには、もう少し時間がかかるんでな。」

産婆はそう言うと、窓のから外を眺めている。

「陽も落ちてきてか。産むのは、明日になりそうだ。」

「明日……」

黄杏は、この苦しみが明日まで続くかと思うと、気が遠くなりそうだった。

「黄杏様……」

そんな黄杏に、女人が手を伸ばした時だ。

「ああ、いい。眠れるんだって、寝ておきんさい。じゃなければ明日産む時の体力が、無くなってしまうでな。」

あくまで、産婆は冷静だ。


その時だ。

公務を終えた信志が、黄杏の元を訪れた。

「黄杏、陣痛がきたと聞いた。」

「信志様。」

黄杏が手を差し出すと、信志はその手を握る。

「ほほう。」

その様子を産婆が見て、にこにこ微笑みだした。

「仲がよろしいこと。でも、王ができることは、ありませぬ。」

せっかくのいい場面を、信志は邪魔されたようで、機嫌が悪い。

「何もできぬとは……励ますくらいはできるだろう。」

「確かにそうでありますね。」

そう言うと産婆は、少し後ろへ下がった。


しばらくして、黄杏はまた唸りだした。

「うぅぅ……ううう!」

「黄杏、しっかりしろ!」

すると産婆は、黄杏の腰を摩り始めた。

「こうすると、少しは痛みが和らぐのですよ、王。」

「ああ、そうか。」

信志は、産婆に言われた通り、黄杏の腰を撫でた。

「まだ産まれぬのか?」

「はっはー!そう、焦らさんな。産まれるのは、明日でございますじゃ。」

「明日!」

信志も黄杏と同じように、力が抜ける感じがした。

「そう簡単に、人は産まれんじゃて。おう、そうじゃ。王の母君もそうじゃった。」

信志は、産婆の方を見た。

「私の、母君?」

「ああ。王の母君・雪賢様は、王族の産まれでのう。白蓮様と同じように、この王宮でお生まれなさった。」

「……母が産まれた時の事を、知っているのですか?」

「知ってるも何も、我が産婆になって、初めて取り上げた御子様じゃ。」

シワシワの顔の産婆が、急に若い、初々しい産婆に見えた。

「先輩の産婆と共に、初めて人が産まれるのを見た。珠のように美しい姫君でのう。だが王族の中でも身分が低く、体が弱かった故、臣下へ嫁に出されるはずじゃった。」

産婆は、どこか一点を見つめている。

恐らく美しく成長した、母・雪賢を思い出しているのだろう。


「だが王の父君は、そのお美しい雪賢様を、見逃しはしなかった。周囲の反対を押し切って、お妃様に迎えた。次にお会いしたのは、雪賢様の出産の時じゃった。あの御子様が、今度は御子を産むのかと、胸が熱くなった。」

産婆は黄杏に、その雪賢を写しているようだった。

「あの方も、王をお産みなさるのに、2日ばかりかかった。もしかしたら、黄杏様も次代の王を、お産みなさるのかもしれぬな。」

信志は、黄杏の手を強く握った。

「まあ、こればかりは、産まれてみなければ、分からぬがのう。」

そして産婆が見守る中、夜中を通して黄杏は、ウトウトと眠ったかと思うと、痛みに唸り、治まったかと思うと、またウトウト眠りだした。

その度に信志は体を起こし、黄杏の腰を摩った。


夜明け頃になり、痛みが襲ってくる感覚が、早くなってくる。

「さあて。そろそろお産みなさるか?」

産婆は王を、黄杏から引き離した。

「ここから王は、外で待っていて貰えるかのう。」

「ここまで来てか?」

信志は、産婆に詰め寄った。

「最後まで、見届ける事はできぬのか?」

「できませぬ。子を産むのは、女の命を懸けた大仕事じゃ。男は、何もできぬが常よ。」

そう言われると、信志は何も言えず、診療所から出ていった。

「さあ、黄杏様。今度痛みがきたら、気張りんさいよ。女人達!布と産湯を用意しておきんさい!」

夜明け近く、診療所はバタバタと、騒ぎ始めた。

夜明け頃、黄杏は唸りに唸った。

痛みに合わせて、お腹に力を入れる。

「もう少し!もう少し!」

産婆も一緒に、唸ってくれる。


黄杏が窓の外を見ると、いつもの夜明けより、明るく感じる。

「光……」

「え?」

産婆が、ちらっと黄杏を見た。

「……光が見えます。」

黄杏がそう呟くと、産婆の手の中に、御子がするりと降りてきた。

「おぎゃああああああ!」

元気になく赤子が産まれた。

「御生まれなさった……」

産婆は、産着に包んだ赤子を、天高く掲げた。

「皇子が御生まれなさった!次代の王の誕生じゃあ!」


産婆のその言葉に、隣の部屋にいた信志は、思わず両手で顔を覆った。

「産まれたか……遂に産まれたか……」

顔を覆った両手の間から、大粒の涙が零れ落ちる。

「おめでとうございます!」

女人達も、屋敷の外で待機していた家臣達も、揃って皇子の誕生に、飛び跳ねる程喜んだ。

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