第41話 バケツをめぐる対立(の予感)

「つ、ツバサおにッ……!!」


 若者を凝視してノゾミが息をのみ、竹馬スティルツごと一歩後ずさった

 

「鬼?」


「いや、『お兄ちゃん』という意味なのではないかな」


「あ、なるほど」


 つまり、ノゾミの兄か。

 

 ――ノゾミ……おまー、売ららたったーず。そんひたたっち、なん?

 

 そんな言葉を発しながら若者がこちらをうかがう。なるほど、目鼻立ちや髪の質と色を見ると、確かにノゾミの血縁者だと思えた。

 それにしても、痩身ながら引き締まって鍛えられた体をしている。

 服から露出している部分は保護したころのノゾミより少ないが、手首や首筋を見ただけでも、より合わせた鋼線のような筋肉と腱が皮膚の下にあるのが分かった。

 

「しょーにんたち、みんな死んだ。この人たちが私を拾ったのー。それで、それでね……」


 兄――ツバサに向って、ノゾミが説明している。ツバサはノゾミの口舌を半ば聞き流しながら、警戒心をあらわにして、品定めするような目で僕たちを見廻した。

 

「カシャカシャ……のこりぶんめー? ノゾミ、おまーたちのどれーなったか……?」


 先輩と顔を見合わせる。先輩は無言でうなずき、僕を残して竹馬スティルツごと一歩後ろに下がった。そうだ、決めてたんだった。

 この先は彼らの社会に合わせて、僕が男として交渉の前面に出るのだ。


「ノゾミは奴隷とかそういう扱いはしてない。僕たちの大切な仲間で、可愛い妹で、頼りになる友達だよ」


「そーだそーだ! あとしょーらい、よめ、なる!!」


 ノゾミがダッシュする勢いで割り込んで爆弾を投げ込んでいく。ええい、負けるもんか。


「……そーか。よくわからんけど、わかーた。コーエンに、なにしにきた?」


「商売と、あと人手を借りたいことがある。族長と話をさせて欲しい」


 商売という言葉に反応したのか、周囲の他の若者たちがざわめき始めた。


 ――見っろ、バケツだ。


 ――あんなな、たくさっ……娘、何人こーかん……?

  

 人垣がじわりと、僕たちを包囲するような感じに狭まった。何だろう、少し不穏な感じがする。


族長おっさに話するまえ、バケツ、俺預かる……いっか?」


 ツバサがそう言いながら、ぐいっと僕たちの方へ歩み出る。周囲の若者たちが手にする槍がわずかに倒されて、集団全体に威嚇の気配が感じられた。

 

〈む、何やらまずそうな気配だぞ、高井戸君……気をつけろ〉


〈ええ。これ、どういうことなんですかね……?〉


〈よくは分からん。だが――ツバサ君だったか? 彼のさっきの様子からするに、私たちも奴隷商人の類と思われているのかも知れん……彼らは、その種の人間をあまり快く思っていないようだな?〉


 ああー。

 なんとなく解る気がする――コーエン氏族の若者男子にとって奴隷商人とは、配偶者となるかもしれなかった女の子を、バケツと引き換えに他所へ連れて行ってしまう存在なのだ。

 なにせ有力な家長の娘だったノゾミでさえ、その例外ではなかった。

 

 さてどうしよう。少なくとも、今は唯々諾々と彼らにバケツを渡すわけにはいかない。これは氏族から働き手の若者を借りる、交渉材料なのだから。

 だけど、そうして借り受ける若者とは、まさに目の前のツバサたちに他ならないし、彼らの反感を勝ったままでは結局協力を得られない。現実には、状況は今にも槍の穂先が僕たちに向けられそうな、緊迫の一幕を迎えていて――

 

 カシャ、と後ろで金属音がした。わずかに首をひねってそちらをうかがうと、先輩は竹馬スティルツの腰ブロックに例の「コームのナタ」を固定した、金具クランプの留め金を遠隔操作で解除したところらしかった。

 

(いやいやいや。ダメでしょ先輩、そこで引き金トリガーに指を掛けちゃ!)


 僕が猛然と胸中で突っ込んだ、その時。

 

 ――よしなよ、ツバサ。彼らは僕の同業者というわけではなさそうだし、そんな風に詰め寄ったら、まとまる話もまとまらないよ?

 

 ひどく場違いな、少年然とした声と明らかなえんしゃん・たん古典語の響きがその場に割って入った。ざわ、とほどけた人垣をかき分けて、薄い色の髪をした、半裸の薄い肩に洗いざらし過ぎのデニムジャケットを羽織った若い男が現れた。

 

 彼のくるくるとよく動く油断のなさそうなまなざしが一瞬、先輩の竹馬の方へひた、と据えられたのが、なぜか奇妙に鮮明な印象を僕の中に残した。

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