第37話 ノゾミ、売り込む

「お早うございます。関東文明放送が五月三十日の朝八時ををお知らせします。皆様のお手元のラジオ受信器ですが、一部の機種に不適切な部品が使われていたため、半年以内に使用不能になる可能性があることがわかりました」


 放送設備のマイクに向かって、桜子嬢がお馴染みのつややかなアルトで話している。

 マイクのが切り替わり、僕の前のランプが点灯した――軽く息を吸って、良し、スタート。

 

「おっはーござす、かんとーぶんめーほっそが、ごがつさんじゅーにちあさはっちをおしらーっせます……みなっさーてもとんらじお、いっちぶきしゅ、くっそぶひんつこーれたたため、はんとしーないおしゃかっならーす……」


「……重要なお知らせなので、当ラジオの標準口語を聴き取れない方のために、翻訳版をあわせてお送りしています」


 その日の特別ニュースの読み上げは、こんな風に始まった。

 

 実に奇妙な、というか不可解なことだが、この時代で無学な人たちが話す崩れた日本語は、僕の郷里のお年寄りが話していた方言によく似た部分があった。僕が当初からノゾミの言葉を容易に理解できたのはそのせいだ。

 

 もちろん全く同一ではない。似ているのは多分偶然の産物だ。

 だが、少なくとも僕には音韻や語尾の変化、省略のルールが飲み込みやすく、また類推も容易だった。

 それでこうやって時間差通訳のような役目を買って出たわけだ。

 

「うんうん、俺が旅の間接してきた連中の言葉、本当にそんな感じだったねえ。なんにでも才能ってのはあるもんだな」


「どっちかというと経験の問題だと思うんですけどね」


 本来ならこの言語はノゾミがネイティブ話者なのだが、彼女の場合はえんしゃん・たん――桜子嬢言うところの標準口語にまだそれほど堪能でない。


 聞いた通りのニュアンスを彼女の本来の母語に訳するのはやや困難が伴うのではないか? 

 そう考えて、ノゾミには僕のアナウンスを聴き取って、彼女に理解できるかチェックする役割を担ってもらっていた。

 

「タカイド、かんぺき」


「ありがとう」


 しばらくこの告知を毎日ラジオから流す。告知の中では九月いっぱいまでを期限に、川口まで来て「不良品」のラジオを返還してくれた人に対して、すべて不具合のない新品と交換する旨を宣言している。

 

 で、肝心なのはここからなのだ。

 

 持ってきてくれた人に新たに渡すラジオは、チューナーの周波数表示を百khzばかりずらして作っておく。文明放送からの送信電波も同じだけ周波数をずらしてしまうのだ。 

 ただし、明らかな野盗や変装した野盗の手下が来た場合には、その周波数調整が行われていないものを渡す。

 

 ではどうすれば野盗を見分けられるかといえば――

 

「他にも野盗の派閥があるならちょっと面倒だけど……知る限り、『蓄えざる者どもウェイスターズ』に関しては一発で見分けられるはずよ」


 桜子嬢がそう請け合った。仲間内ですら互いに信用をせず、機動性を重視してその日寝る以上の拠点を築くことがない彼らには、貯蔵の習慣がない――だから、バケツやそのほかの貯蔵容器を持ち歩くことがないのだ。せいぜい一日分の水を入れる水筒と、食料をいれた紙袋くらい。

 

 一方交易商人たちの多くは、彼らの職分を示す標識としての意味も込めて、必ずバケツを一個は持ち歩いていることがほとんどだ。あの奴隷商たちもそうだった。

 

「きわめて愉快なプランだな、危うく何が何でも固執したくなるくらいに。だが、本当にそんなにうまくいくのだろうか……」


 光子――ああ、もう「さん」付けしてしまえ――光子さんはさすがに疑わし気な態度を崩さない。だが、僕と先輩は確信していた。この作戦はうまく行くはずだ。問題があるとすればそれは、ラジオ所持者の選別とは別のところにある。

 

「交換用の新ラジオの用意が、一番のネックですかね……桜子さん、これまでに売ったラジオの総数は?」


「記録を精査しないと厳密な数字は出ないけど、ざっと百台前後……神田に資材調達に行かないとね。ちょっと困るのは、文明放送にもそのために割ける人手が、あまり多くはないってこと」


「そりゃあ大問題だな。忘れないでくださいよ桜子さん。野盗の襲撃が活発になるのは秋口以降、それまでには鉄スクラップからの鉄材、そして武器の新規生産を軌道にのせたい――それが貴女がたのプランでしたよね」


「そうね」


「黒鉛電極は消耗品だ。常時操業しないとしても、必要な時に鉄が作れる体制を維持するには、相当量の電極を確保しなきゃならない……こりゃ、どこかに集団ぐるみでの協力でも頼まないと間に合わないな――ラジオも、電気炉も」


 またぞろバンド「ウィンドミル」に場つなぎを任せ、僕たちは文明放送のロビーで顔を突き合わせて唸った。


「タカイド、タカイド」


 ノゾミが突然僕の袖を引っ張った。

 

「ん、何、今大事な話を――」


「それはあたしにもわかってる。あるよ、人手。たくさん」


「何かアテがあるということか? いいぞ、話してみてくれ。検討に値するかもしれん」


 一座の注目を浴びて、ノゾミは誇らしげに胸を張り、拳で胸骨の上の方を叩いた。

 

「うちの一族にもちかけてみるといー! 売りものの女の子。ひとりだちできない若いかりゅーど。人手、いっぱいある!」


「なるほど!!」


 三十三代目の方の先輩が両手を打ち合わせて叫んだ。


「都心部近くに拠点を持ち、大集団だがラジオを知らず、貯蔵容器を威信財として狩猟採集と農耕で暮らしている集団……おあつらえ向きだ! だが、ノゾミの一族ということは関係を絶対に良好なままで保つ必要がある。交渉は誠意をもって、こちらから差し出せるものをよく吟味しなくてはならん」


 先輩が光子さんに向き直る。


「あるかな、……? そんな氏族クランをひとつ、まるまる傘下にできるだけのキャパシティと物資の余裕が、文明放送ここに」

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