第38話 ダブル薫子パワー

「いや待て薫子。必要なのは氏族丸ごとか? そこをきちんと考慮したうえで精密な数字をまず弾き出さないと、こちらとしても答えようがないぞ」


「む……」


 光子さんの至極もっともな指摘に、先輩は顔を少し赤らめてうつむいた。

 

「言われてみればその通りか……志室木がどのくらいの数量、黒鉛電極を運び出すつもりなのかも聞かねばならんな」

 

「……まったく、おま――私の姪にしては、らしくないではないか」


「何故なのだ。元のスペックは同等のはずなのに……!」 


(あー、こりゃ先輩には分が悪いなあ)


 僕は内心で苦笑いした。二人の先輩――二十九代と三十三代には決定的な差がある事に気が付いたからだ。

 ほぼ同じ能力と知識を持っている同等の存在なのに、と奇妙に感じそうなところだが、二十九代の光子さんにはラボの外でこれまで生きてきた経験、いわば実社会での三十年の経験値が蓄積されている。

 

「前提のすり合わせが必要だと認識したところで、検討を始めるぞ。えーと、志室木くんだったか……建造を予定している電気炉の仕様と、それに必要な電極のサイズ、重量、個数について、君のプランを」


「あ、はい」


 志室木が立ち上がって一同を見回した。


「現物を発見してからでないと決められない部分でもあるんですがね。旧時代に工業用電気炉で使われていた黒鉛電極のサイズはまちまちです。直径三十インチなどというものから小さいものでは直径十センチ以下まで。運搬に際してもっぱら人力に頼ることを考えると、最小クラスのもので何とか、という所でしょう」


「なるほど。炉の仕様は?」


「現在のところは初歩的な三極交流アーク炉。『エルー式』と呼ばれたものを考えています。構造がシンプルで、炉壁も耐火レンガ程度で作れますからね。ここの電源も、もっぱら風力で交流ですし」


 志室木の話は続いた。問題は調達する個数だった。先述の通り黒鉛電極は消耗品で、スクラップから鋼鉄一トンを得るために、都度三キログラム分の黒鉛が融解、蒸発していくことになるという。

 

 光子さんはまず、必要な鋼の量から検討を始めた。

 

「ふむ……この旧川口で文明放送の指導下に暮らす人々の数はおおよそ三百人。そのうち武装して野盗に備えるために動員できる青年、壮年の人口は多く見積もって百人というところだ。そのために武器を用意するとなると――うむ、ごくシンプルな槍を用意するとして、百ないし二百キロの鋼があればなんとかなるかな」


「それだけなら、炉はごく小型のもので済みます。一度に最大百キロ程度の生産が可能な物を試験的に作るとしましょう。薫子さんたちが提供してくれた情報では、東洋カーボンの研究所と倉庫が神奈川県の茅ケ崎にある。ここはサンプルとして、サイズが小さめの電極を何種類か製造して、隣接の倉庫にストックしていたとのことです」


 それが今も残っているかどうかは分からない。だが、行ってみる価値はある、と志室木は主張した。

 

「現物が残っていれば、直径十センチクラスの物が入手できると思います。重さはおよそ二十キロ前後でしょう……大人二人いれば一本を徒歩でここまで運ぶことがどうにか可能です。本数は……さしあたって四十本もあれば当面は」


竹馬スティルツがあれば、食料や水を考量しても一度に三本は運べるな」


 先輩が計算アプリを操作しながら試算を出す。

 

「さてと。そうすると、和真君の作戦を実施するには、まず交換用のラジオ新規製造のために、神田へ部品漁りに派遣する人員が……まあ二十人。茅ケ崎まで電極回収に派遣できるのもそのくらいか」


 少人数に思えるが、これはなかなかの数字だ。文明放送にしてみれば、動員可能な兵力のほぼ半数を割くことになる。

 二十人で運べる電極の数は十本。竹馬スティルツ三台を動員して追加九本だ。

 

「まあ数量に関しては、若干の増減があっても仕方ないでしょう。人は連れて行きました、モノはありませんでした、では話になりませんが」


「で、あと二十本持ち帰るとすると……ノゾミの一族から四十人借りられれば運搬は一回ですむ、か」


「借りる……」


 光子さんと志室木の間で進む話の流れに、ノゾミがやや不満そうに言葉を濁し、続いてそれをはっきりと言葉にした。

 

「あたしは、かーるこにみんなを受けーれて欲しい」


「ん?」


 光子さんがノゾミと先輩を交互に見た。

 

 ノゾミは薫子先輩と光子の関係を図りかね、同一視しているらしかった。先輩がノゾミの一族と友好を結び受け入れれば、彼らをここに迎えられる、と短絡しているのだ。

  

「考えていることは分かるぞ、ノゾミ」


 薫子先輩は彼女の頭をなでながら、優しく肩を抱いた。

 

「うん……かーるこ。ここはきっと、あたしのいたところより、いい。売られちゃう女の子やバケツをもらえない男の子、なくて済む……済む?」


「そうだな。私が目指すのは、そんな場所をみんなで作ることだ……だが、それにはまだ時間がかかるのだ。だからこそ、ノゾミの一族とは仲良くしたいし、つながりが切れないようにしたい」


「今から作る……?」


 ノゾミは不思議そうな顔をした。光子さんはそんな二人をみて、

 

「……本当にお前は私にそっくりだな、薫子」


「当たり前だろう」


 二人の間にかわされた視線とほほえみの本当の意味を理解できるのは、当人たち以外にはあと、僕だけだ。

 

「いいだろう。お前の描く将来の構想のために、私も持っているものを貸してやる。ノゾミ君の氏族の人々には、単に物資や貯蔵容器を渡す以上の利益が得られるように計らう事にしよう……さて、ノゾミ君。君の氏族が住んでるところを教えてくれないか、あと君たちの集団の規模も」


「うん、いいよ。あのね……人がいっぱいいるよ。それで、大きな広場が七つくらいかな、あるの。そこにみんな住んでる、周りは森で……」


「なんだそりゃあ。それだけじゃ全然わからないじゃないか」


 志室木が肩をすくめて天井を仰いだ。無理もない。ノゾミたちは比較的に豊かに暮らしてはいたが、残存文明のこりぶんめーとはあまり縁がない一族だったようだ。

 崩壊前の地名もほとんど知らなかったし、彼女が端末でマップをみるのには画面上の現在地マーカーが頼りだった。

 

 ノゾミには自分の所在地を客観的、鳥瞰的にイメージするだけの素地がないのだ。だが――

 

「いや。案外重要な情報が含まれてると思う……なあノゾミ、あの奴隷商人たちに連れられて、私たちが君を拾った場所まで来る時……君たちはどっち向きに歩いて来た?」


 先輩がノゾミの顔を覗き込む。ノゾミはしばらく眉根を寄せて考えていたが。

 

「えっとね……とちゅーちょっとぐねぐねしたけど、お日様が沈むほーを向いて歩いて来た、かな?」


「なるほどな。国分寺よりも東、そして森の中に点在する七つの広場、か……」


 先輩の指が、情報端末の画面上をせわしなく動き始めた。ごく限定された人工知能AIの機能を利用して、崩壊前の地形の中から条件に合うものを検索しているらしかった。やがて、それはひとつの答えにたどり着いた。

 

「だいたい分かったぞ。ここだ、旧駒澤大学に隣接する施設で、都立駒沢オリンピック公園というのがある。森に囲まれた広大な緑地の中に、七つの競技場と大きな体育館があったようだ」


 皆が先輩の周囲に集まって、肩越しに画面をのぞき込んだ。

 

 第二次世界大戦の前に予定されていた、幻の「東京オリンピック」。駒沢オリンピック公園はその開催地として予定されていたが戦争で宙に浮き、その後プロ野球の球場として生まれ変わった。 

 一九六〇年代に行われた、いわゆる「昭和東京オリンピック」の際に第二会場として再整備され、戦前以来の念願が果たされた――そんな、何か非常に胸に迫る歴史を持つ場所だ。

 

「なるほど、ここか」


「うん、たぶんここだと思う!」


 光子さんがうなずき、ノゾミも興奮ぎみにそれに同意した。

 

 その後、僕たちは数時間の討議を重ねて、文明放送による二方面への遠征を決定した――なんだかいつの間にか僕たちもここの上層メンバーに繰り込まれてしまった感があるのだが、違和感がなさ過ぎて異を唱える隙もない。

 

 やがて川口一円から余ったバケツのありったけが集められ、紐に通したプルタブが積み上げられた。それに光子さんが解柔院薫子二十九世代分の知識を駆使して製造した、天然素材の医薬品が少々。

 

「すまないな、薫子。まずは君たちに、竹馬スティルツで駒沢まで行ってもらう。向こうの族長――ノゾミ君の父親と話をつけたら一度戻ってきてくれ」


「分かった、――携帯電話もない世の中というのは実に不便だな。この通信機インカムのレンジはせいぜい一キロもないし、戻るしかないか」


「まあ、おいおい長距離通信の手段は何か工面するさ。ラジオ電波を飛ばせるのだ、何とかなろう。それでだな、一つ私からお前たちに貸し出すものがある――桜子!」


「はいはい、お母様、準備できていますよ」


 桜子さんが数人の文明放送スタッフとともに、何かを台車に乗せて運んできた。

 

「あっ……これは!」

 

 それは、錆びてこそいないがフレームのあちこちに擦り傷が入り、マーキングの類がほとんど剥がれ落ちた、年期の入った竹馬スティルツだった。

 

「私がこの土地に来るまで乗っていた竹馬だ。整備はきちんとしてある。志室木くんの歩く速度に合わせるのは不便だろうからな、彼に使ってもらうといい」

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