第39話 東京縦断

「志室木さん、転倒しないように気を付けて! そいつマジックハンドついてないから、自力で起きられないですよ!」


〈これだけ動くのにずっと死蔵されてたのは、それが理由だろうな……〉


 志室木へ向かって叫ぶ僕に、先輩が通信機インカムで合いの手を入れた。

 


 四台の竹馬スティルツが瓦礫の上を駆けていく。高々とそびえる樹木と崩れかけた廃ビルが、奇妙なリズムを刻みながら視界から飛び去って、不規則な線に切りとられた青空がほんのつかの間頭上に現れる――東京都心部を通る旅は、おおよそそんな繰り返しだった。


「……こいつの実物を初めて見たのは文明放送と接触した時だったけど。まさか一年たたないうちに自分が乗ることになるとは思ってなかったなあ」


 操縦はまだ少しぎこちないが、旅慣れているのを理由に志室木は先頭を走った。先輩もそれを認めている。

 彼は通信機インカムも端末も装備していないから、少なくとも最後尾には置けないのだ。

 

転倒したこけたら、ちゃんと起こしてくれよな?」


 そういいながら、彼は油断なく進路上の藪や廃ビルの暗がりに目を走らせた。

 何か敵意のあるもの、危険なものがそこにいれば、装備している弩弓クロスボウの矢をそこに打ち込む構えだ。

  

 

「スピード落とせば転倒の危険も減るんでしょうけどね」


「いや、今回の旅にはあまり時間を掛けたくないんだ」


「それって、やっぱり桜子さんが気になって?」


 僕の質問に、志室木は一瞬あっけにとられたように無言になると――次の瞬間、大笑いし始めた。

 

「ぷっは! こいつは参った、露天風呂の仕返しかな……? 違う違う、大人の事情にあんまり気を回すもんじゃないよ。そうじゃないんだ、雨が心配なのさ」


「雨……? あ、そういえばもう六月――」


「そういうこと、だよ。今はまだ晴れてるからいいけど、急に豪雨にでもみまわれたら、最悪の場合荒川を渡れなくなるでしょ」


「そりゃあ、ヤバいですね」


 胸にズキンと堪えるものがあった。池袋から新宿、渋谷辺りまで続く広大な市街地の廃墟を目の当たりにしていながら、なおも僕はどこかで、文明崩壊後のこの世界を甘く見ていたらしい。

 

(そうだよ……気象衛星も機能してなけりゃ、気象予報士もお天気お姉さんもいないんだ)


 川口へ移動した日にも、文明放送の番組で梅雨入りの情報を聞いた。中旬から、といってはいたが、考えてみればあれは「遅くとも中旬には梅雨入り」という、経験則に根差した大まかなものだった。

 今の世界で梅雨入りの正確な予測は立てられない。晴れている間に急ぐしかないのだ。

 

「雨か……川が急に増水したら、粘土掘りの連中も危ないな」


 先輩が少し暗い声でぽつりとそう漏らす。

 

「行方不明者でも出れば、がきっと悲しむだろう……気象予報、か。私たちが取り戻すべき技術は、まだまだいくらでもあるということだ」


「いいこと言うねえ、こんな世界でさあ」


「……アレです、先輩は生まれながらの『王者』なんですよ」


 王道、徳をもって天下を治める――「覇者」と対義になる君主像。今は隠棲生活から放浪に出たくらいの段階なのだろうが。


「なるほど、王者ね」


「です。他人の心配をするだけじゃなく、その心配を恒久的に減らす方法を考える。そのためにつぎ込む努力を惜しまない――」


「ああ、光子さんもそうだな。二人とも、なんだか雪を戴いた高峰みたいだよ。桜子さんはもうちょっと近づきやすい感じがしたんだけど」


 志室木は今回の訪問で、初めて光子さんと対面したらしい。先の会議の間は、こっちにも感じ取れるくらい緊張していた。

 

 仕事の取引相手とプライベートでもいい感じになって、なにやら明るい夢を見始めたところに、相手の母親が強烈な存在感とともに姿を現したら、まあそりゃあビビるだろうな、と思う。

 

「よし、このままの速度で急ぐぞ!」


 先輩が隊列の真ん中で号令をかけた。僕たちの走る速度は現在、竹馬の平均をやや下回る時速二十キロ。

 

 不整地を警戒しながら移動するにはまあ上出来のペースだろう。ちょうど自動車でその位の速度の時に保つ車間距離くらいの間隔を空けて、軽快な駆動音とともに前進を続けた。

 

 

 ――バキン!

 

 弩弓クロスボウの作動音が響いた。志室木が斜め前方の廃墟に矢を撃ちこんだのだ。キーッ、と鳴き声を上げて、なにか大きめの動物が暗がりの奥へ走っていく気配があった。

 

「なんだ?」


「殺気を感じたんで牽制のつもりでね。ただのネズミとかじゃなさそうだ」


 群れからはぐれた野犬か、野生化した巨大げっ歯類カピバラではないか、と志室木は推測した。


「捜索するまでもあるまい、行軍再開だ。こんな廃ビルの谷に長くとどまる気はしない」


 周囲の高架線路や道路、ビルの配置になんとなく見覚えがあるのに気が付く。端末で位置情報を確認すると、僕たちはちょうど渋谷の駅近くにいるのだった。

 

「渋谷かあ。探検したら何か見つかったりしますかね?」


「や、お勧めしないよ。この辺は昔行われた工事のせいで、やたらと内部構造が複雑なんだ。外を見通せない区画も多いし、地上にいるつもりでうろついてたら、いつの間にか地下深く入り込んでたりする」


 二度とごめんだね、と吐き捨てる志室木に、ちょっと底知れないものを感じた。それってつまり、踏み込んだことがある、ということじゃないのか。

 

 廃ビルの間を飛び交うハヤブサの姿に息をのみ、何かの死体に集まったらしいカラスに眉をしかめながら、さらに南下する。

 

 やがて前方に見えてきた森と、その梢ごしに体育館らしきものの屋根をみとめて、ノゾミが立ち止まって声を上げた。

 

「あれ! あそこがあたしのいたとこ!」


 駒沢オリンピック公園跡。

 そこには確かに大勢の人がいるらしいざわめきが漂い、煮炊きの煙らしいものが幾筋か上がっていた。

 

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