第40話 コーエンのブタ

「さて、どう接触する?」


 志室木が僕たちの方を振り返って、公園跡の方を指さした。

 先輩が「うーむ」と首をひねる。


「以前に志室木氏が言った通り、人の住んでいそうなところがあるからと不用意に近づくのは避けたいな。罠でもあったら厄介だ」


「罠、ですか」


「うむ。踏み込むと地面に偽装されたワイヤーやロープが作動して、竹馬ごと網に捉えられて木から吊り下げられるような奴だ」


「ああ、二十世紀初頭の冒険小説とかであったみたいな……」


 ――な、ないよ。そういうの。

 

 ノゾミが小声でツッコミを入れるが、どうも先輩には聞こえてないようだった。


「あとはそうだな、底に逆棘が植えてある落とし穴とか、斜めに切って尖らせた竹で作った塊が振り子運動で飛んでくる奴とか」


「『ナムの地獄がお前を追い詰める!』みたいなやつですかね?」


「うむ。そのフレーズの出典はよくわからないが、おおよそイメージを共有できていると思う」


「ないから! そういうの、ないから! コーエンは商人かんげいしてる!」


 ノゾミがやや涙目になって必死で否定した。


「ないのか……うん、まあそうだろうな」


「ええ!?」


 あっさり罠への警戒を放り投げる先輩だった。じゃあ何ですか今の会話は。

 

「コーエンはね、コーエンは周りが街の跡ばっかりだから、畑とか家増やすのが難しいの! だからしょーばい大事なの!」


 なるほど。それで女の子を他所へ売ったり、成人男子の独立に要件が多かったりするわけだ――

 

「すまんな、ノゾミ。冗談だ、冗談……ちょっとゆるがせにできん問題を思い出して、頭をほぐして思考の硬直を脱したかったのだよ。取りあえず前進しよう――で、志室木氏を先頭にするのはそのままだが、ここからは高井戸君が二番手に出たまえ」


「え、なんでまた?」


 今までは僕が最後尾について、後方を警戒しながら進んでいた。先輩とノゾミを中央で守る形だ。

 

「コーエン、か……ノゾミの口ぶりからするとこの場所と氏族と両方をさす言葉なのだろうが――彼らは男性上位の社会規範を持っているわけだろう? 不本意だが、私がリーダーとして前に出ると、話がまとまらない可能性がある」


「あー……」


「郷に入れば郷に従え、ということだな。いずれ是正してくれようと思うが、今はダメだ」


 先輩は竹馬スティルツのマジックハンドから腕を解放リリースし、右拳を左掌で包むようにこすり合わせた。ひどく腹立たしそうだ。

 

「分かりました。ということは、交渉も僕が?」


「そうだ。ここはひとつ、やってみるといい。なに、いざとなったら通信機インカムでこっそり助け舟を出してやる」


「それは――」


 なんというか、自尊心を刺激された。平林寺の時もそうだったが、先輩の庇護下で状況の推移を見守るだけ、というのはそろそろ打破したい。前にも想ったことだが、僕は先輩の隣に並び立てるだけの存在になりたいのだ。

 

「……何とか自力でやってやりますよ。いざという時にはあてにしますけど」


「ああ。そこで力み過ぎないのが君のいいところだ」


 すごくいい顔で微笑まれた。ああ、ずるいや先輩。これが見られるならいくらでも頑張ろう、と思えてしまう。

  

 公園を囲む木立に近づいていく。こんもりとした緑の山が次第に幹と枝の集まりになり、それらの間から建造物の痕跡や、動き回る人々のシルエットが分離して見え始めた。 

 

 左手に横たわる見えるガレキの塊は、たぶん「東京医療センター」の残骸だろう。残念ながらもうあそこにも、機材や薬品は残っていまい。

 

 この国が緩やかに崩壊していく日々の中で、そうしたモノはもうずっと早期に、当時ここに集まった人々のために使われたはずだ。

 戦争の余波に加えて、何度も繰り返された地震や台風。流通は次第に細り途絶え、行政組織は空中分解していった――そんな時代の流れを、薫子先輩は途中まで見ている。

 

 医療センターから視線を西へ転じると、妙なものが目に入った。なんだか解体途中の豚のような、全体的にだいたい桃色をした大きな塊だ。 それがべったりと地面に寝そべっていた。

 

「ノゾミ、あれは?」


 すぐ後ろを歩くノゾミに訊いてみる。彼女は得意そうにうなずいた。

 

「あれ、シシ神様の祭壇。狩りに行く前、男衆たちあそこで祈る――獲物がとれたら、あそこで肉焼いてお供えする」


「へえ……」


 なんだかラスコー洞窟なんかの壁画を思い出す。それはどうやらコンクリートで作られた、半ば抽象的なブタの像であるらしかった。さらに近づいてみると、僕は思わず噴き出した。

 

「何だ、これ……滑り台じゃないか!!」


 横から見れば、まあまあブタに見えなくもないシルエット。だが、角度を変えて尻の方から見れば、それは小さな子供が昇っては滑りおりる、公園の遊具に他ならなかった。

 辺りには脂じみた灰や消し炭が散らばり、ところどころには骨も転がっていて、ノゾミの言葉を裏付けていた。そして、滑り台の降り口付近には、槍を手にした数人の若者がたむろしている。

 

 その中の一人が不意に驚きの声を上げた。

 

「ノゾミ! おまーなっぜここ!?」

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