第16話 野獣VSメカニズム(1)

 先輩が竹馬スティルツのマジックハンド・アームで指した場所には、苔むしたコンクリート塀があった。それが一部崩れて内部への入り口となっていた。

 建てられてから時間がたちすぎたせいで、塀の壁は自然の岩石と形状以外で区別がつかない見た目だ。

 

 その破れ目に、妙な痕跡があったのだ。ひとくちでいえば。 

 粘土質の土を水に溶いたようなものが、塀にべったりと付着している。高さはちょうど、竹馬スティルツなしで立ったときの僕の腹くらいだろうか。

 

「これって……」


「あーこれ。たぶん、エドエックスが体こすりつけた跡。一族の男衆が狩りのじまん話する、よく出てくる」


 ノゾミが泥汚れのすぐそばに顔を近づけて、眉をひそめた。

 

 

「ほら、毛が残ってる」


 ノゾミが指先で何かをつまみとる。靴ブラシのいいやつに植えてありそうな、ピンと堅く伸びた褐色の剛毛だった。

 

「やはりそうか。つまりだな、ここにいると野生の巨大イノシシと遭遇する危険があるのだ」


 先輩の声が引きつって震えている。

 糞のそばに深く印された足跡が僕の目を射た。やや湿った粘土質の地面に食い込んだ、大人の手のひらほどの蹄の形。

 

(――デカい!)


 


「早くここを離れよう。ひょっとするとこの学校跡は――」


 僕たちは近くにいるであろう問題の動物を刺激しないように、じりじりと後退を始めた。塀の奥に向かって油断なく注意を維持しながら、少しづつ歩調を速める。

 

 ……ブコッ

 

「……先輩。なんか聞こえませんでした?」


「非常に認めたくないが、聞こえた」


 ガサガサッ――

 

 塀の奥のほうで、藪をかき分けるような音。

 

「一応聞いておきますけど、11型マーク・エルフを呼んで対処させる手は?」


 一応連れてきてはいるのだ。狭く入り組んだ地形での活動には不向きなメカなので、少し離れたところに待機させてあるのだが――


「あまり当てになるまい。アレの機銃は五.五六ミリ弾を使用するが、固まった泥でコーティングされたイノシシの表皮を貫通させられるほどの威力はないはずだ。帰ってもうちょっと対策を整えてくるべきだ」


「そうですね、帰りましょう!」


 半身で後退する体勢から切り替え、僕たちは普通に走り出した。その瞬間、何か大きな塊が藪から飛び出して――


「――単分子ワイヤーでバラすのはどうですかね?」


「射出パターンを切り替えればたぶん巨大イノシシでも寸断できはする……! だが! ワイヤーの展開と収束を考えるに、内臓と言わず肉と言わず一緒くたに切り刻んでしまうはずだ……それでは肉が食えなくなる!」


「食うこと前提なんですか!?」


「あと、あのワイヤーは射出した後の処分が面倒だ。下手に扱うと二次被害の原因に――」


「走ってぇええ!!」


 こちらを振り向いたノゾミが叫んだ。

 

 地響き。瓦礫が崩れる気配。荒々しい息遣い――

 

 もはや後ろを振り返る気にもなれなかったが、巨大な獣が背後近くに迫ってる気配がありありとわかる。僕たちは全力疾走状態に移行していた――時速四十キロ。

 

「速ええええええ!」


 イノシシとはこんな速度で走れるものだったのか。


「いかん! 高井戸ッ、上に跳べッ!!」


 君づけを省いて先輩が叫ぶ。従うべき直感――僕は足を踏み切り、上方へ飛んだ。

 眼下数メートルを灰褐色の小山がぶち抜いて通り過ぎる。

 そいつは足を踏ん張って頭部をしゃくりあげ、目標が消えていることに気づいて怒ったのか、激しい咆哮を上げた。

 

(何だあのサイズ。イノシシというよりもう、まるで牛じゃないか)


 迂闊なところに着地してしまうと殺されそうだ。僕は竹馬スティルツの姿勢制御システムに、落下軌道の修正を命じた。

 

 竹馬スティルツのフレームが一時的に僕の四肢を解放し、動作伝達を中断してフリーになる。そのフリーになった四肢フレームを自動制御であらぬ方向へ振り回し、同時にバックパックにごく少量積み込まれた推進剤が噴射された。


 それと連動してスタビライザーユニット内の三軸リアクションホイールが急速回転し、機体に新たなトルクを与える。 

 僕の竹馬スティルツは本来とるはずだった放物線軌道を大きく逸脱し、十数メートル離れた位置に着地するとそのまま最大速度で駆け続けた。


 イノシシエドエックスは大分後方に位置し、三方に分かれた僕たち三人のどれを追うか決めあぐねてグルグルと数回その場で円を描いていた。

 

〈高井戸君、無事か〉


 インカムに薫子先輩の声。

 

「先輩! そちらも無事なんです?」


〈ああ、どうやらヤツを撒けたらしい。十分後に国分寺駅跡の南側にある空き地で合流しよう〉


「了解です――でも、ノゾミには分かりますかね?」


〈問題ない。彼女の端末にもマーカーを送信してある〉


「ところで今ふと思ったんですけど……GPSなんですか、これ?」


 よくよく考えてみると、今こんな時代に携帯端末上で自分の位置座標をマップに出せるというのは、奇妙な話ではあるのだ。


あの頃二百四十年前の衛星がまだ稼働してるとはちょっと思えないんですが」


〈ああ。それについてはだな……二十世紀の冷戦時代に使われた古いシステムを応用して、日本国内限定の座標測位システムを組んであるのだ。百六十年前、引きこもる直前の最後の段階で用意したやつだ。今でも細々と稼働している〉


こういう状況崩壊世界になることを読んで?」


〈その可能性が高いと踏んだので、備えだけはしておこうと思ってな……〉


 周到というか、そんな手間がかけられるんなら他にもできたことはあったんじゃないかと思ったが、それはあえて指摘すまい。

 

 駅前で待っていると、すぐに西の方角から先輩が竹馬スティルツで駆けてきた。

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