第13話 帝国よりはゆるく、大まかに

「国、ですか……?」


「そうだ。あのノゾミという娘に話を聞いていて思ったが、やはり男女が不平等で女子が資産のように扱われるのは許せん。人身売買を生業とする輩が横行するのもだ。外界の現状を察するに今は奴隷制が効率的なシステムとして機能するのかもしれないが、そうだとしてもだ」


 さすが先輩だ。容認しがたい社会構造を変えるためと言っても、普通は国を作るとこまで思い切れない。

 だがこの人はやる。凡人なら端から諦めるような難事業でも、愚直に真正面から挑んで突破する人なのだ。現に僕を復活させた――二百四十年かけて!

 

「考えてもみたまえ。私たちが愛し合ったその先でどんどん生まれる、小さな薫子と小さな和真と小さな薫子と和真と薫子と和真と薫子と和真がだな――」


「『魔笛』のパパゲーノとパパゲーナみたいな自己再生産!?」


「まあ名前は変えるにしても――さっきの様な薄汚い商人につかまって売り飛ばされるかもしれんのだぞ、現状を放置したままでは」 


 そりゃあイヤだわ。僕にだって父性愛の芽生えくらいはある。


「しかし、二人ではどうにもならないのでは……」


「人数は何とかせねばならんな。それに最初から大規模なものを作るのは無理だ。しかし、このラボの物資と設備がだめになる前に、持続、循環が可能な生産システムとそれを周囲から守る防備を構築する程度なら、十分にやれるだろう。我々には竹馬スティルツがあるのだから」


「ああ、竹馬スティルツは確かに強力ですね……」


 平均時速三十キロで移動し、百キログラム程度の重量を運搬できる簡易パワードスーツ。瓦礫に阻まれて車輛が活動できない現在の東京では、おそらくこれが人類最速の足となる。 

 オプションのマジックハンドはそれ単独で装着することもでき、精密な作業から力仕事まで、手指を傷めずに遂行できる。これが無かったら先輩一人で広大なラボ内の保守管理は不可能だったことだろう。

 

「ともあれ初期の段階では慎重に行動せねばならん。裸一貫からの建国となると漢の高祖劉邦や明の太祖朱元璋を思い出すが、彼らには旗揚げ時点ですでに一定数の支持者や協力者、あるいは活動の母体となった宗教組織があった。一方我々にあるのはわずかなテクノロジーと科学知識だけだ。古今の王朝の創業者たちとは別の手法を考える必要がある」


「ふーむ、まずは周辺の実地調査ですかね……?」


「何にしてもまずはそこからだな、やはり。ここから出て活動するにはリスクも多いが、リスクを取らねばリターンもあるまい」


「ですねえ、僕としては早めに協力関係を築ける勢力が見つかればいいなと思います」


「うむ。だがその見極めは慎重にするとしよう。さて……」


 先輩は立ち上がると、食堂奥の冷蔵庫から何かのボトルを抱えて戻ってきた。

 密封されたキャップを取り除くと、細かく泡立った液体が口からわずかにあふれ出す。

 

「シャンパン……ですか?」


「いや、アルコールは入ってない。子供がパーティーの真似事に使う、――かつてはそうだったものさ」


 二つのグラスにとくとくと音を立てて、その泡立つピンク色の液体が注がれた。その杯を掲げて先輩がのたまわく。

 

「乾杯しよう。今日が記念すべき始まりの日となる――タカイド・カズマ帝国の!」


 げえ!?


「待ってください! さすがに恥ずかしいし、それになんか字面みるとすっごく悪そうなんですけど!」


「そうか? ゆるぎない威風が漂ってていいと思うんだが」


「ゲニューイン共和国とかじゃダメなんですか」


「悪くはないがちょっとインパクトに欠けるな。それに共和制というのはもう少し社会が成熟してから登場すべきものだろう」


「何にしても帝国は盛りすぎです。もう少しこう、ゆるい感じで行った方が」


「むー」


 ともあれ僕たちは、そのままごとのような杯を打ち合わせ、同時に乾した。

 

 

 実際に外へ出るまでには、ラボ内での多忙な日々がもう少し続くことになった。

 まず第一にノゾミの健康状態を精査する必要があった。なにか未知の病原体や寄生虫でも保持していたらコトだ。共同生活をすることになるのだし、なんだかんだ言っても僕たちは引きこもりで、免疫機構がオリジナルほど完ぺきではないかも知れない。

 ノゾミの血液、皮膚、体毛などのサンプルを取り、さまざまな検査にかけた。ノゾミが暴れるのではないかと思ったが、きちんと目的を説明してやると彼女は意外なほどおとなしかった。 

 

「糞便中に寄生虫卵あるいは嚢胞を認めず。肝炎ほか注意すべきウイルス感染の兆候なし。人類の標準的ゲノム配列との顕著な差異を認めず――」


 検査データを読み上げながら、先輩はそれをコンピューターに記録していく。ノゾミも僕らのそばに控えて、目を白黒させながら先輩の読み上げに聞き入っていた。

 彼女はまだ医療用ガウンを羽織っただけの姿だが、このあと僕らと同様の作業服やトレーニングスーツの着かたを教える手はずだった。


「栄養状態はやや問題ありか。血中アルブミンの指標ギリギリだ。もっと肉を食べさせよう。

 白血球の個数がやや多めだが、CRP値には異常がない。免疫機能を亢進させることで環境に耐えるように適応しているのだろう。似たようなケースについてレポートを読んだことがある。

 まあ、概ね健康と言って差し支えない――良かったな、これならいつでも嫁にいけるぞ」


「かっ……からかーな! よめ、めめめ……」


「いや、割とまじめだぞ私は。私たちの子孫が栄えるためには、通婚可能である程度大きな遺伝子集団が必要だ。

 この世界でこれだけの健康状態を保っているのであれば――単に君だけが恵まれているのでなければ――君の一族などは有望な候補となり得る」


 言葉の意味は分からずとも何となく褒められているのだと察したのか、ノゾミがちょっと嬉しそうな顔をした。

 

「むろん、社会制度の変革は受け入れて貰うことになるがな。まあ、そんな話の前にだ、矢傷の周囲以外を一度きれいに洗ってやろう。皮膚常在菌のリストもチェック済みだし、もう問題ないだろう」


 自分も白衣のボタンに手をかけながら、薫子先輩はノゾミの手を引いてシャワー室へと向かった。

 

(……洗ってやろうって、そういうことか!)


 同性だからではあろうが、なんて羨ましい!

 かすかに聞こえてくる水音の向こうで繰り広げられる情景をあえて想像しないように、僕はだいぶ悲壮な努力をしなければならなかった。

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