第12話 Eight Miles High

「してみると奴隷商人たちというのは、それなりに大きな組織ということか。少し厄介だな」


 薫子先輩はそう言ってコーヒーを一口すすると、視線を斜め上の虚空へさまよわせた。


「ノゾミ。君はその受信内容を聴いたかね? どんなことを伝えていたか、覚えているかな?」


「えーと」


 ノゾミはちょっと首をかしげると、何かを指折り数えるしぐさとともに再び話し出した。


 ――関東圏内のいくつかの大きな集団が開く「イチ」の日取りと場所、危険生物の出没情報、伝染うつる病気の発生と流行について……


「ふうむ。なかなか有益な情報を配信しているようだ。情報の鮮度がどれだけの物かはわからんが……」


 先輩がそんな所感を述べるあいだにも、ノゾミはなおも「ジュシンキ」の情報について話し続けていた。


 ――それと、あいつら毎朝、変な鳥の声の様な音をありがたそうに聞いていた。


「鳥の声? ラジオから?」


 ノゾミ自身も訝し気な顔でそれにうなずく。


「不可解だ……なにか重要な意味があるのかは分からんが、こちらもその通信というか、放送には触れてみる必要がありそうだ。高井戸君、あとでちょっと手伝ってくれたまえ。保管庫に災害対策用のラジオ受信機が何個か、ストックしてあったように思う」


「了解です、よろこんで!!」


 先輩の手伝いでお役に立てるなら何だって。


 薫子先輩は危険生物についてもノゾミにさらに詳しく聞いた。ネズミや野犬、カラスといった在来の害獣以外にも、僕たちの知らない大型の生物が何種類か、荒廃した関東平野を闊歩しているらしい。


 一つ、「オオカミモドキ」


 毛色や体型はまちまちだが、いずれも凶暴で通常の野犬よりはるかに大きな体躯を持つ、イヌ科の動物。三頭から七頭くらいの小規模な群れ単位で行動し、餓えていれば人間を襲うこともある。


 一つ、「エドエックス」


 怪物めいた大きさの、毛の長いイノシシめいた生き物。雑食性で防備の不十分な耕地がしばしば食害を受ける。美味な肉が大量に手に入るため、武器や人数など条件の整った集団であれば、逆に狩の獲物として好適とされることもある。


 こちらについては比較的その正体が分かっていて、かつて食用のブランド豚として品種改良、飼育されていたものが、施設の崩壊とともに逃げ出して野生化してしまったものらしい。

 よく知られていたことだが、豚は飼育下の環境を離れると形態が先祖がえりを起こして、イノシシそっくりになってしまうのだ。


 耕地の話が出たついでに、先輩はノゾミに現在の農業についても訊いていた。


 稲作は廃れてしまったらしい。少なくとも、水田について尋ねてもノゾミがきょとんとした顔をしていたことから、水稲は壊滅したと推測された。


「ご飯が……」


「ご飯、ないんですか……」


 僕たちは顔を見合わせてうめいた。


「脱穀してない種もみも保存しておくべきだったか……」



 現在の主流の作物は、荒れ地に播きっぱなしでもそこそこの収穫が見込める「ネコネコ麦」と呼ばれる穀物だそうだ。


 ――このくらいの長さで、猫のしっぽみたいなふさふさの大きな穂ができる。穂を丹念に叩いて吹き飛ばすと後に残る、小さな固い粒を集めて煮て食べるんだ。


 ノゾミが身振りを交えて解説したところから推測するに――


「おそらくそれは、野生化した粟と近縁のエノコログサが交雑して、いずれかの時点でより『n』の大きな倍数体になったものではないかな」


 さすが先輩、生物部部長の経歴は伊達じゃない。いや、そもそもが今の先輩は世界トップレベルの医者であり生物学者なのだけど。高校生だったころに身に着けた広く浅い知識、雑学は、多分こういう状況ではなまじな専門知識よりも役にたつ可能性がある。



 聴取インタビューが一時間超えたあたりで、僕たちはさすがに休憩を入れ、ノゾミには適当に開いている部屋を見繕って、そこに簡易寝台を出して休ませることにした。


 二人きりになると、薫子先輩は長いため息をついた。


「まずはこんなところか。やるべきことが一気に増えたが、方向性がはっきりしてきた面もある。喜ばしいと言っておこうか」


「先輩。それ全然そう思ってないでしょ」


「うん……まあすぐにバレるか、仕方ないな」


「何を悩んでるんです?」


 先輩はゆっくりと立ち上がると、僕の方へ歩いてきて、背中側から椅子越しに僕の肩を両腕で抱いた。

 

「戦争とその後の緩やかな世界崩壊の中で……私がそれを『好都合だ』ととらえていたことは否定しない。現在のような世界になってしまえば、クローン人間を作る事への倫理的な忌避感など取りざたする余裕もなくなるだろうと、な。だが――こうも滅茶苦茶になってしまった世界に、二〇六〇年代そのままの君を、再生させて連れ出したことが本当に適切だったのか」


「そりゃないですよ、先輩、いまさらそんな」


 僕は身をよじって体を後ろに向け、先輩の目を正面から見返した。至近距離で。


「僕は今、とても幸せですよ?」


 あの日、テロで死んでいなかったら――僕は薫子先輩の『婿』として、解柔院家に迎えられていたかもしれない。そして戦争から衰退に向かう世界と日本の中で、出自の違いからくるプレッシャーに苛まれたり、能力以上の成果をだそうと焦って命を縮めたかもしれない。

 ごく普通に資産家の令嬢としての常識的な人生を送り、経営に参画したり社交の舞台に出て行ったりする彼女を、悲しませるようなことをいくつもしでかしたかもしれない。


 だが、僕はいまあの頃の体と気持ちそのままに、薫子先輩のそばにいられる。そのために先輩が払った犠牲、味わったであろう苦しみにはこれから少しづつでも埋め合わせをしたいが――それができるのも先輩が僕を呼び戻してくれたからこそだ。


「だから、二人で――望みうる限りの最高の人生をここで手に入れられるように、頑張りましょう」


 見つめ合っていると、先輩の目からじわっと涙があふれてきて、彼女はあわててそれを指でこすってごまかした。


「この、強がりの馬鹿め……叫び出したいような不安と心細さを感じているだろうに。なぜって、私もそうなんだからな」


 先輩は顔を伏せて僕の胸にしばらくおでこをつけたままだったが、不意に手を放してすっくと立ちあがり、こっちを振り向いた。


「望みうる最高の人生、か。私たちはいずれ……結ばれて、運が良ければ子供を儲けるだろう。その時は生まれてくるその子らにも、望みうる最高、最良を受け渡してやりたいものだ」


 ストレートすぎる発言。胸がぎゅうと締め付けられる感覚と、下腹が熱くなるのを感じた。先輩と僕の子供だと!?


 感動に打ちのめされる僕に、先輩はとんでもないことを言い出した。



「いっそ……国でも作るか」

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