第25話 「蓄えざる者ども」の襲来
初日、午前中の間は特に変わったこともなく。僕は同じ区画を担当する寺院の門徒たちに断りを入れたうえで、いったん先輩と合流した。
持ち込み品を置いてある縄囲いのところまで戻って、ノゾミに声をかける。彼女はそこらの瓦礫を器用に組み合わせて即席のかまどをこしらえ、煮炊きの準備を始めていた。
「おかえりー、かーるこ、かずま。あのね、あのね。仔豚、売れたよ!」
弾んだ声で報告してくる。
「ほう、売れたのか……代価には何を取った? まさかバケツではないだろうな」
先輩がさも心配そうに言ったが、もちろんこれは冗談だ。ノゾミの一族の文化には一応の理解を示しても、僕たちがバケツを重要視していないことはあらかじめ噛んで含めるように言い聞かせてある。
「んも! バケツじゃないよ。まめよまめ、だーず」
「だーず……大豆か!?」
薫子先輩がにわかに真剣な表情になった。大豆は、僕たちが将来的に入手したいと思っていた作物の一つなのだ。
「やあ、ご苦労さんです。留守中の店番は俺とこっちのノゾミ嬢がしっかりやっといたから、安心してくれ」
志室木が日よけ布の陰から体を起こしてくしゃっと破顔してみせた。
「しっかりって志室木さん、寝てたんじゃないですか……」
「そりゃあ、四六時中ここに客が並んでるわけじゃないからなあ。豚はね、旧練馬のあたりから来てるグループが買ってくれたよ。三頭のうち雄一頭と雌が二頭だったんで、繁殖させるのにいいって、すごく乗り気でね」
「なるほど、で、大豆はいかほど?」
先輩が訊くと、志室木は日よけ布の下に置かれた、枕ほどのサイズの麻袋三つを指さした。
「小さな菜園程度だったらちょっと多すぎるかもしれないが、とにかくモノは確認した。良く熟した豆がサヤの状態でぎっしり入ってる、見る限り何年も前の物とかじゃあない。これなら確実に種にできるよ。良い取引だったと思うね」
「そうか……こんなに……!」
先輩はひどく嬉しそうにその麻袋を両腕で抱きかかえた。
「よくやってくれた、礼を言う。ああ、うまく行けば味噌や豆腐が食えるようになるかもしれんな、和真」
「ええ、まあ。しかしこうなると、稲作が途絶えてるのがいかにも惜しいですね……」
僕たちは失われた食の可能性について嘆きつつも、大豆の入手を寿いだ。志室木が言い添えるところでは、味噌麹の入手先にもちょっと心当たりがあるらしい。
「燻製のほうはまあ、ぼちぼちってところかな。案外保存食として売るより、焼いてここで食わせた方が、ほかの商人にとっても客寄せになっていいかも知れんよ。移動中の食事は不自由になりがちだから、みんな手持ちの物には飽きてうんざりしてるはずだ」
「燃料をこっち持ちにするとまた少々面倒だが、まあ検討する価値はあるか」
この市の面白いのは、生産のための原材料も、製品も、屋台の食べ物のようなその場で消費されるものもごた混ぜに扱われているところだ。
現に、今も僕の鼻先には、魚の干物を焼いているらしい香ばしくも迷惑な煙がうっすらと漂ってきている。
「何にしても豚が早々に売れたのはよかった。肩の荷が一つ下りたな」
「毎日餌をやらなきゃいけないから、手間も荷物も余分にいりますもんね」
「いや全く、ほっとした」
「安心したら何だかこっちもお腹すいてきましたよ」
「ああ、手早く食事にしよう――」
真空アルミパックされた保存食のビスケットを開けようと、荷物の一つに手を伸ばした、その時だった。
平林寺大門前通り、そのおおよそ南北に長く伸びた道の南端のあたりに、威嚇的な喚声が上がった。そのあたりから道路は舗装が一段と崩れて、砂利道よりも歩きにくいほどになるのだが――不揃いな靴音と、中空の鉄パイプが路面にぶつかる甲高い共鳴音とが響いて来た。
「先輩……この音!」
「ああ、私にも聞こえた。行くぞ、南側だ。この割り当て場所がど真ん中でなく、南側に近い方でよかった」
借り物の長槍を構えて走り出しかけ、先輩はノゾミを振り返った。
「ノゾミ、君も竹馬に乗れ! 通信機の使い方は憶えているな? 南は陽動かもしれん、北側へ行って門徒たちといっしょに奇襲に備えろ」
「よ、よくわからないけど分かった! なにかあったらかーるこに知らせる、そんでこちはこちで頑張る!」
「うむ、頼んだぞ!」
まったく面白くないタイミングで来てくれたものだ。食事はお預けになるし、襲撃の時に持ち場を空けてたとなれば報酬は割り引かれるかもしれないし――とにかく、僕と先輩は南へ向かった。駆動音と巨体に驚いた参加者たちが慌てて道を開けていく。
――
門徒や一般の参加者がそんな警告の叫びをあげた。
同じやり方をしている同類同士でも互いに相手を信用しない。いつも足元をすくい合い、奪われる側に回るのを嫌ってその日寝る場所という以上の拠点を築かない、というから徹底したものだ。
いうなれば先輩がもっとも嫌うタイプ。善良な人間の地道な営みに寄生し搾取する、たちの悪い略奪者だった。
十数人の小さな集団が、まず視界に入った。ビニールレザーやそれに類する廃品のシートを加工してコートか陣羽織のように体にまとい、何かから引き抜いた鉄パイプや、コンクリート片がついたままの鉄筋といった、粗雑で野蛮な武器をもっぱら手にしている。
――なんっ……のこりぶんめー!? ばがなっ!
――おんな!? どっかーこんな、みぎれー、おんな!?
遠巻きにしてこちらをうかがったのはほんの数秒。倒せば見たこともないような美女が自分たちの手に入る、とばかりに粗雑な武器を振り上げてこっちへ殺到してきた。
「ははっ、文明を忘れ人間性を放棄した野蛮人どもめ。女が闘うのが珍しいか! お前たちが有利と恃む肉体的格差など、テクノロジーと身体技能でどうにでもなると思いしれ!」
先輩の竹馬が長槍をしごいて振り回す。先端部分に設けられたエッジが男たちの足を払い、斬れないまでも多くを転倒に陥れた。そこへ門徒たちが棍棒を振り上げて襲い掛かる。
〈和真……ああいや、高井戸君――〉
ああん、戻さなくていいのに。
〈君がこの間教えてくれたように、私も君が知らなかった解柔院薫子を教えてやろう……学院の中等部にいたときは、部活で薙刀をやっていてな、それも割りと実戦的な奴をだ〉
「道理でイノシシの時といい、長物使いたがると思いましたよ!」
〈まあ早く横に来て半分受け持ってくれ。時間をかけると私とて、竹馬ごと引き倒されてやつらに組み敷かれてしまうかもしれん〉
その光景を想像してしまい、頭にカッと血が上った。
「悪い冗談はやめてください。
〈うむ、もちろん私も嫌だ〉
憤然として先輩の横へ出る。そこへ、敵の親玉らしい一回り大きな存在感を放つ男が現れた。
ビニールではなく、本物の革ジャン――それを最低なコンディションに貶めたものをだらしなく左肩に引っ掛け、右手にはトラックの板バネかなにかを削りだした、巨大なナタ様の刃物を引きずるように携えていた。
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