培養カプセルを抜けだしたら、出迎えてくれたのは僕を溺愛する先輩だった
冴吹稔
序章:Love will find a way
第1話 覚醒
闇のなかに、金色の泡がぽこりと浮かんだような――或いは火花が散るような。そんな突然の印象があった。次の瞬間、それを起点にすべてが爆発的に広がった。
感覚。思考。それらを反復的に観測するわずかに遅延したプロセスが動き出す――意識。
ああそうだ、これが「意識」だ。確かにこういうものだった。たった今それが再び目覚めたのだ。
――
気が付くとそこは、何かの液体に満たされた温かなカプセルの中だった。息苦しさはなかったが、呼吸そのものはできなかった。
肺の中にまで液体が充満しているようなのだ。体は特に拘束されていないようだが、ここはとにかく狭い。
自分のものではないような違和感があったが、とにかく腕を動かせるように思われた。
僕は右腕を前へ突き出した。カプセルの透明な外殻を内側から押すような形になる。周囲の液体とほぼ同じ温度の、堅固な物体の手ごたえがあった。
(ここは……いったいどこなんだ?)
僕は駅前のタクシー乗り場にほど近い場所にいたはずだ。だが今いる場所には全く心当たりがない。
僕の名前は
思いだせる限り一番新しい記憶は――死。
そうだ。僕は死んだはずだ。付き合い始めたばかりのガールフレンドを何者かのドローン爆撃から守ろうとして、対人地雷めいた爆発物から放たれた無数の鋼球に体を粉砕されたのだ。
ついさっきのことだった気がする。そのはずだ。だが僕はどうやら生きている――どうして?
それに何だろう、この場所は。記憶している体の状態と現状の差からすると、病院か何か――
いやいや。どんな病院でも、あの状態の僕を救命しえたとは思えない。ましてや、こんなおかしなカプセルなんてまだ
そこまで考えて、ぞくりと肌が粟立った。では、ここはなんだ?
液体とカプセルの外壁を通して視るに、周囲の様子はまるっきりSFそのもののようだ。プラスチックか何かで覆われた白いドーム状の空間に、ところどころ弱い照明が灯り、デジタルストップウォッチのようなものが点滅している。
動かせる範囲で首を回し、両手で体をまさぐった。僕はほぼ全裸で、頭には何か電極の無数についたヘルメット状のものがかぶせられ、手首と股間には大小さまざまのチューブが取り付けられていた。尋常ではない。
(まさかとは思うけど、宇宙人にでもさらわれたのか?)
二十一世紀も半ばを過ぎたが、未だ人類は空飛ぶ円盤や宇宙人の実在を完全には否定しきれていない。奴らはホモ・サピエンスに科学的好奇心を抱き、人間を誘拐したり恐ろしげなやり方でDNAサンプルを採取したり、身体に何かを埋め込んでその後記憶を消したりすると言われている。
(冗談じゃない!)
何とかして脱出しなくては。こんなところで瓶詰めになって漫然と生かされているのは願い下げだ。僕には、身を挺してでも爆発物から守りたいほどに愛する人がいるのだ。
残りの高校生活をあの人とともに全うしたい。可能ならば大学もご一緒したい。そのためなら勉強だっていくらでも頑張れる。夏休みには旅行とかしたいし、叶うことならあの人とセックスしたい。
液体で充満した喉で、僕は思わず叫んだ。
(薫子先ぱ……)
むろん、声帯のあたりで空しく液体が動いただけだ。
その時だった。
〈目覚めたのか? そうだな? 少し待て、今排水する〉
どこからかスピーカーを通して声が響いた。聞き覚えのある、ややハスキーな深いアルト。
途端に、カプセル内の液体に動きが生じた。どこかへと排出されていく。喉に奇妙なむず痒い感覚が走り、僕はゴボゴボと肺の内容物を吐きだしていた。
そしてカプセルのふたが開いた。
生まれたての子鹿のようにあえぎ荒い息をつきながら、僕はあちこちに挿入されたチューブや何かのケーブルを体からむしり取った。
〈待て、そんなに焦るんじゃない。大丈夫だ、今そっちへ行くから無理に動かずに……〉
随意にならない体を懸命に動かして、カプセルから転がり出た。床からそこそこ高い位置にあったらしく、僕はあぶなくその落差を身をもって体験するところだった。
「くそ……」
寒天で出来ているように思えるほど萎えた腕で、必死にカプセルにしがみつき体重を支える。顔を上げると前方の壁が開いて、誰かがそこに現れたところだった。
「高井戸君……目覚めたのだな……」
先ほどと同じ声がした。
腰のあたりまでのばした豊かな黒髪に縁どられた、色白で肉付きの薄い顔が目に入る。くっきりとした眉毛と長いまつげも。
女子の平均をはるかに超える長身。ゆったりと自信ありげな肩幅。引き締まった腰からスラリと延びた二本の脚。
僕の愛する人が――解柔院薫子先輩、その人がそこにいた。
「薫子先輩……」
「ようやく成功したか……! この時を待っていた。これまで消えた三十二人の私も、これで無駄ではなくなった」
え。
三十二人? いったい何の話だ。
「そして私がアンカーとして、君を迎える事になったのだな。何という晴れがましい日だ」
彼女の見開かれたまぶたから、大粒の涙がぼろぼろとあふれ出した。
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