第20話 境内林の市場にて(1)

 五月下旬のよく晴れた昼下がり。

 僕たちはかつての小金井街道を北上し、旧東久留米市を通り抜けて、交易市の行われる平林寺へ向かっていた。

 

 竹馬スティルツの背部にキャリアーを装着し、今回の遠征のために吟味した交易品を積み込んでの移動だ。駆動用のバッテリーは予備も含めて百六十時間分、最大一週間程度の稼働が可能になっている。

 

 整備は完璧、とまでの自信はなかったが、特に問題なく動いていた。軽やかな駆動音とともに、野火止用水沿いの桜並木が後ろへ飛び過ぎていく。

 

 ――ブキキー!

 

 先輩の竹馬スティルツの背中で、ふいにそんな鳴き声が上がった。今回の遠征で一番の厄介な荷物――哺乳類ママルケージに収められた三匹の仔豚だ。

 

「うっわー、お肉元気ー」

 

 ノゾミがケージを覗き込んで頬を緩めた。


「うむ、箱詰めで揺さぶられたら弱るかと思ったが、なかなかどうして丈夫なものだ」


 この仔豚たちは先日倒したエドエックスのだった。あの小学校跡は巨大イノシシの存在と周囲にめぐらされたコンクリート壁のおかげで、ある種の聖域サンクチュアリのようになっていたのだ。仔豚たちはそこにいた。

 

 学校としての用途をなさなくなってからもしばらく人が住んでいたらしい。耕されて畑地となった校庭には芋や何種類かの果樹がいまだに残り、校舎内に取り残された情報機器の残骸からは、古い形式で電子データ化された書籍が見つかった。

 

 書籍のほとんどは学童向けの簡単な内容のものだったが、それでも図鑑類やちょっとした理科系の参考書などは、こんな世の中では大いに役に立つものだ。

 そんな諸々の事情を踏まえて、僕たちは学校跡あそこを将来にわたって利用する拠点の一つとして、確保と維持の方針を決定したのだった。


 だから今回の旅には11型を連れて来ていない。あれには今、学校の周辺で侵入者を警戒させてある。まあ、あの辺一帯は「魔女かーるこの庭」として奴隷商人たちからさえ警戒されているわけだし、めったなことはないと思うのだが。

 

 で、仔豚に話を戻すと。当初は豚を飼って肉を恒久的に手に入れようとも考えた。だが、検討した結果それは時期尚早だということになった。 

 まだ僕たちは食料の自力生産にまでこぎつけていないのだ。備蓄の食料からは残滓がほとんど出ないし、豚が増えれば学校敷地内に自生する芋類や木の根などでは足りなくなる。 

 その一方、ノゾミを加えて三人所帯になった現在でもなお、僕たちの食糧備蓄にはまだもうしばらくは余裕がある。ならば仔豚は現在の通貨か、なにか交換に有利な物資にでも交換してしまおう、という事になった。

 

 仔豚三頭がどのくらいの値で売れるかで、今後のプランに修正をかけていけばいい。今回はその様子見だ。


 

 境内林は遠目にも何となくそれとわかる、鬱蒼と茂った木立が広がる場所だった。近づくにつれて、道路の痕跡沿いに人が集まり始めているのが目に入る。

 

 彼らは人数も装備の質もまちまちないくつかの集団に分かれていて、各人が荷物を背負うか、少し大きな集団になるとリヤカーの様な荷車か、工事現場で使う猫車の様なもので荷物を運んでいた。

 馬や牛を利用する文化というか技術は、どうやら復興しなかったらしい。

 

 そして、彼らは僕たちがそばを通ると、一様にこちらを見上げて驚嘆のまなざしを投げかけた。

 

 ――なん、すっごーぎじゅっ! のこりぶんめ!?

 

 ――いーのしょひん、ありそ。たぶ、たるか?

 

 そんな感じの会話が途切れ途切れに聞こえた。たぶん、「なんだかすごい技術の産物だ。文明が残っているのか?」とか、「いい商品をもってそうだ。手持ちのタブ(不明だが、多分何らかの代用通貨だろうか?)は足りるかな?」といったことを話している気がする。


「ねえ、先輩」


〈なんだね、高井戸君〉


「僕たち当然のように竹馬スティルツに乗ってきましたけど、これを人目にさらしてよかったんでしょうか?」


〈ああ、そのことか。まあ、確かにこれを人目にさらすことにはリスクが伴うかもしれないな〉


「でしょ? これを欲しがって無体なことをする奴がいないとも――」


〈私も考えないではなかったが、使わずに遠出をする方が、問題が多いと判断した。考えてもみたまえ、私たちは今のところわずか三人の集団だ。トラブルに巻き込まれたときに竹馬スティルツのアドバンテージが無かったら、対処も逃走も難しいぞ〉


「……それはまあ、そうですね」


 先輩の言うことは筋が通っている。そもそもこれ竹馬がなければ、まともに交易品を運ぶことだってできはしない。

 

 だが、自分の手中にない力や富を目にした時に人間が心に抱く、嫉妬や羨望といった感情について、先輩はいささか無頓着なのではないか――そんな不安がふと心をよぎった。

 竹馬スティルツはトラブルに対処する機動力を僕らに与える強力な器材だ。だがこれは同時に、トラブルを引き寄せる災いの種でもありうる。そこをよくよく注意しておかなければならないと思うのだ。


 

「さてと。今日の日付はまだ五月十九日だったな。市の開始は明日からか」


「別に前日に来なくても、半日と掛からずにここまでは移動できるのに……どうする気なんです?」


「初めてのことだから、情報収集もかねて早めに現地入りしておくかと思ったのだ。ああ、豚はケージから出して、紐でもつないで置く方が良さそうだな。適当に餌もやらないと」


 道路沿いから少し離れた草地で、僕たちは竹馬に乗ったまま休憩を取った。


 そうするうちに分かったのだが、境内林そのものはどちらかといえば市の象徴のような感じらしく、人がいるのはもっぱらこの、東側の道路沿いだった。境内林は崩れかけたフェンスの向こう側で、暗く沈んだ木陰を作りだしている。

 フェンスのこちら側にはコンクリート片を積み上げてかまどを築き、用水の水を汲んで煮炊きを始めているグループがいた。明日に備えて食事といったところだろうか。


 そんな、雑然としていてどこか祭りの前を思わせる賑わいの中で、ちょっとした動きが起こった。


 まばらな人ごみの中を歩き回っていた一人の男が、何事かをそばにいた集団のメンバーに尋ねたかと思うと、不意に口論らしきものが始まったのだ。


 ――かーさいまえは、しょだんはきんしだ! るっるまもっ!!


 ――わからん奴だな、話を聞けよ。俺はあの連中に訊きたいことがあるだけなんだって!!


「おや? あの男だけ様子が違うな。言葉が『えんしゃん・たん』のようだぞ」


「そうですね。何者でしょう?」


 訝しみながら様子をうかがっていると、口論は次第に激しさを増し、男は二グループほどの露天商――になる予定らしき男たちにぐるりと取り巻かれた。


 ――ああ、もう、全く……おおーい! そこの竹馬スティルツ持ちの人たちよ、俺はあんた方とちょいと話がしたいだけなんだ。何とか場を収めてくれんかね!?


竹馬スティルツを知っている――?)


 僕は思わず、先輩と顔を見合わせた。

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