第21話 境内林の市場にて(2)

 あの男は何者なのだろうか? 


 聞く限りの話ではあるが、薫子先輩が完全なラボ引きこもり体勢に入った二一四〇年代にはまだ、竹馬スティルツはそれほど希少な物でもなかったようだ。

 生産ラインはその多くが失われ、生産台数は縮小の一途をたどっていたが、既に出荷されたものは修理を重ねて長らく現役で使われていた、そういう機械であったという。


 薫子先輩はごり押しでその最終ロットに近いものを大量に確保していたわけだが――それにしてもこの男が生まれたころには、動いているものはほとんどなかったのではあるまいか?


竹馬スティルツを知っているのなら、あなたとは話がよく通じそうだ。で、彼らは何を騒いでいるのだね?」


 薫子先輩の声を聴いて、男は顔にわずかな戸惑いの表情を浮かべた。だがすぐに気を取り直した様子でこちらに窮状を訴え始めた。


「あ、ああ。ここの市を管理するのは『寺院シュライン』って呼ばれてる派閥というか、組織なんだが……彼らはその末端でね。自分たちも店を出しつつ、市の警備のようなことも請け負ってる。市に集まる商品には数に限りがあるし、需要は常に供給を上回る――だから、開催前に商談をまとめようとするのはご法度だ、というのさ。竹馬スティルツに目をひかれて、ついあんた方のことを尋ねたら、まあこの通りなんだ。このままじゃつまみ出されてしまう」


「ふむ、なるほど」


 商取引の抜け駆け、とみなされたわけだ。

 どうやら市の管理者たちから、僕たちは何か非常に貴重で有用な商品を保有していると期待されているらしい――例えば、医薬品とか。

 

「貴重品が本当に必要としている者へ売られるようにすべし、というのがホトケ様の御心とやららしい。だが、俺があんた方に期待してるのは、商品じゃない。情報なんだよ」


「情報か」


 薫子先輩はうなずくと、『寺院シュライン』の下部構成員たちに向き直った。


「話は分かった。『寺院シュライン』の方々、約束しよう! 私たちはその男と、今日一日の間は商談に入らない。そして私たちの商品は、ただ富めるものではなく、最も必要とする人々が買えるように誠意をもって計らおう。どうだ、それでよいかな?」


 ――えんしゃん・たん……こーちもか。


 寺院シュラインの人々の間からそんな声が上がった。男を取り巻く人垣がほどけて大きく広がり、その中から何人かが駆けだして、境内の方へと走っていく。おそらく、上へ報告に行くのだろう。


「わった。そのおとこ、かーほする。のっちほ、こーちかもいろろきく」


 リーダー格らしき男がそう告げて、寺院シュラインの人々はその場からいったん立ち去った。



「やっぱり、面倒なことになってきましたね?」


「なに、大丈夫だ。この程度ならまだ平和なものだよ」


 そういうと先輩は、男の方に数歩踏み出した。


「私たちに対してどんな情報を求めているのかわからんが、こちらもいろいろと知りたいことがある。ゆっくり話をしよう……私は――、こっちは和真だ」


(……ぐお。先輩、何に配慮しての姓名詐称か知りませんが、そいつは僕の心臓に全く配慮してないですよ!)


「あたしはノゾミ!」


 ノゾミが元気いっぱいに自己紹介を追加した。男は数回目を激しくしばたいたが、ふうと息をついて僕らに一礼した。


「苗字まで名のる人は久しぶりに見たなぁ……どうもご丁寧に、俺は志室木庵しむろぎ・いおりというもんです。鍛冶屋と電気技師を合わせたような仕事であちこちを渡り歩いてる」


「ほお」


 先輩の目がすうっと細まった。


「もう少し詳しく聞きたいな。我々はいまこの地に拠点を整えている最中だが――」


「ああ、そうだろうな。竹馬があるということは結構な遠方から来たってことだろうから……うん、拠点だって?」


 志室木は先輩の言葉に食い気味に受け答えしようとして、はたと何かに気づいた顔をした。


「なあ、そこには電気はあるのか? もっと言うと、発電設備とかだが」


 先輩がきゅっと眉をひそめた。


「まあ、あるといえばある。まだそれほど大規模なものではないがね」


 おや――事実と違うようだが、先輩には何か考えがあるらしい。僕はノゾミにそっと耳打ちをした。


(先輩にまかせて、しばらく静かにしててくれな)


 彼女は小さくうなずいた。



「そうか……電気が……」


 志室木は考え込んで口をつぐんでしまった。先輩は彼に水を向けるように自分の質問を投げた。

「鍛冶屋、といったな? というと、例えば私たちが頼めば、それなりの代価で鉄を武器に打ち直したり、あるいはそのための炉を作ったりということが可能なのか?」


「あ、ああ。炉は作れるし、炉があれば鉄の加工もある程度思い通りになる――そういう技術を持ってるよ。おかげでどこに行ってもメシにはありつける……便利すぎて軟禁されそうになることもたまにあるが」


「それは、ぜひお願いしたいな。私たちの拠点は金属スクラップの入手にはさほど苦労しないが、加工の手段に乏しくてね」


「ああ……竹馬スティルツをそれだけ維持できるとこから――聞いたこともないけど――この辺に出てきたんなら、そりゃいろいろと不便だろうさ。うん、多分お役に立てると思うよ」


「それはありがたい。それで、代価は何がいいのかな。私たちはまだこの辺りの事情に明るくない……周囲でかわされてる話を聞く限り、なんだかタブとか言うものが通貨として流通してるような話だが、どんなものなのかもわからん」


 志室木の目が鋭く光ったように感じられた。


「ほお。そりゃああんた方、ここで俺と会ったのは運がよかったよ」


「……と、いうと?」


 思わず僕は、先輩と志室木の会話に口をはさんでしまっていた。


「ええと、薫子さんの旦那さんだったか――しっかしあんた方、ずいぶん若いな……タブはごく少額の貨幣として使われてるもんなんだが、入手に関して地域ごとにだいぶ格差があるんだ。だから、買い物をするところでの相場を知らないと大損することになる。信用貨幣の最後の末裔って感じの代物だが、出来る限り交易は物々交換をお勧めするね」


 信用貨幣、という言葉に、僕はえらく懐かしいものに再会したような気がした。僕が生まれた時代にはスマホ端末を読み取り機リーダーにかざして大抵の買い物を決済できたが、今やそんなものはもう、幻のようにどこかへ消えてしまっているに違いなかったのだ。


「信用貨幣なのに、そんなに不安定なんですか……一体、どんなものなんです?」


「これさ」


 志室木は腰のベルトにつけた袋から、しゃらしゃらと音を立てる何かひどく軽くて小さいものをひとつかみ、取り出した。僕の小指にぎりぎり嵌められないくらいの、アルミ製のリング――いや、リング状のちゃちな金具だ。


(これは……アルミ缶のプルタブじゃないか!)


 ぽかんと口を開けたバカ面をさらしてしまっていたのだろう。志室木はくっくっと笑いながらそれを僕の手の上に何個か乗せて、指でチョンチョンとつついた。


「ははあ、驚くよなあ。バカみたいに安っぽいだろ。だけど、落として失くさないように気を付けてくれよ。

 相場の問題はあるが今どきの技術では偽造もできないし、軽くてかさばらんから長旅にはそれなりに便利なんだ……こいつはさ、三百年ばかり前には成人前の子供を働かせてせっせと集められてたもんでな。

 だから、子供の労働力に換算して、それを基準に価値を認められてる。大体、平均して二十個くらいで子供の一時間の労働に相当する――この辺で言うと火の通った暖かいメシが一食くらいのところだ」


「なるほど……私も聞いたことはあるぞ……それを集めて売った金で、体の不自由な人のためのいろいろな器具を買ったりしていた、というような話を」


 薫子先輩も呆然としていたが、どうにか立ち直って志室木に肝心なことを訊きだそうと言葉を継いだ。


「それで、炉を作ってもらうとしたら、あなたへの代価はこれで払えばいいのかな?」


「いやいや、こんなものが欲しいくらいだったら、別にあんた方のような遠方からの来訪者を探す必要はないのさ。俺が欲しいのは情報だ、と言ったはずだ」


 なるほど、と納得顔になった先輩に、志室木は探るようなまなざしとともに言った。

「俺は大型の人工黒鉛電極をどこかで手に入れたいんだ。今はまずその手掛かりが欲しい。黒鉛電極と電力があれば、もう鉄を加工するのに石炭やら木炭やらの面倒な燃料は、必要なくなる」

 電気炉と呼ばれるものを作ることができるのだ、と志室木は声にひときわ力を込めた。

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