第30話 11型よ、今だけは鳴くな

 ――高井戸君、少しぬるいのだが。


 ついたての向こうから、先輩の声。辺りはようやく日が傾いて、周囲の木立がオレンジ色の光ににじんで美しい。


「あっはい、今すぐ持っていきます!!」


 僕は竹馬スティルツのマジックハンドを動かし、その辺のやや弾性のある鉄廃材を曲げて作った即席かつ特大の火ばさみトングで、先ほどからかまどで焼いておいた丸石を掴んだ。


「危ないですから、『追い炊き口』からは離れててくださいねー」


 露天風呂の周囲を囲んだ目隠しのついたては、その一部が湯船の一角から内側へ食い込むように立てられていた。つまり、湯船のコーナーの一つが囲いの外へ出ている。

 そこに、熱く焼けた石を放り込んで、ぬるくなったお湯を再加熱するのだ。


 なにせ周囲にはついたて以外に何の壁もなく、外の夕空とひと続きになっている。熱の供給がなければわずかな湯など、あっという間に冷める。

 そして五月とはいえ日が傾いたこの時間はまだ少々涼しすぎた。なにせここは極相に近い木立に囲まれた、森の中なのだ。


 ――かーるこー、こっち向いて。


 ――ん、なん……うわっぷ!!


 先輩の悲鳴と重なって、バシャッと水の跳ねる音。


 ――あはは、かーるこびっしょびしょ!


 ――なっ、何をするかーっ!! まったく、どこでそんな悪戯を……こやつめ!!


 ――きゃーっ!!


 湯船の中を水をかき分けて走る、だぼだぼという独特の足音。ノゾミの小さな悲鳴と、それに続くけたたましい笑い声、というか嬌声――


 ――はっはっは、こやつめ、こやつめ!!


 ――やあっ、だめ、とれる、おっぱいとれるー!


「な、何という……」


 ついたての向こうで何が行われているか、想像がつく――というか、ついたてに使っているすのこの上には、高さ的に先輩とノゾミの頭が見えている。

 そしてすのこの隙間からは、二人の玉の肌がごく一部、帯状に見え隠れしていた。


 ここは校舎の陰になっていてうす暗いが、湯船にしている水槽は、校舎東側の南端に位置していて――周囲からの反射光や、回り込んでくる光がまろやかな間接光となってそれを照らしている。


 それは人間の肌が一番美しく輝く、いわば恋するためにあるような時間帯だった――個人的に言わせてもらえれば、なんて酷いシチュエーション!



「いやあ、大変だなあ和真君も」


 志室木が次の丸石をかまどに放り込みながら、何とも言えない表情でこっちを見た。


「し、志室木さん、こっち向いちゃダメって言ったでしょ!!」


「はいはい。なあに、こっからじゃさすがに中の二人にはピントが合わないよ、安心しなよ」


「ぼ、僕だって見えてませんからね!」


 志室木本人より、ついたての向こうへ聞かせるべく叫ぶ。


 すのこやハードルの高さはせいぜい一メートル前後。長身の先輩が完全に立ち上がれば、上半身は丸見えになる。直立時の視線の高さが二メートルあたりに来る竹馬スティルツの上からでも、見ようと思えば見放題。


 ゆえに僕は膝を可能な限り曲げて腰を落とした、割と不自由な姿勢で竹馬スティルツを操っている。


「夫婦なら、一緒に入っちゃえばいいじゃないの」


「ダメですよ! そしたら志室木さんはノゾミと入ることに――」


「……ならんでしょ」


 あろうことかため息をつかれてしまった。


「俺とノゾミ君は別々に入ればいいんじゃないか……なあ和真君。君たちって、本当に夫婦なのかい?」


 う。


 答えに窮しているところに、先輩が胸から下にバスタオルを巻いただけの姿で、ついたての切れ目から歩み出てきた。


「上がったぞ。いやあいいお湯だった!」


「うわっ先輩、なんて格好を!」


「バスローブなどないから仕方なかろう。高井戸君も冷めないうちに入りたまえ……ああ、志室木氏も入るといい、一人ずつ入っていたらお湯がぬるくなってしまうからな」


「やあ、そりゃあありがたいなあ。よし、和真君、一緒に入ろうか。まあ話の続きは湯につかりながらでもゆっくり」


「えー……」


 なし崩しに志室木と一緒に風呂に入ることになってしまった。脱衣スペースとして設定した校舎の玄関口をくぐろうとすると、さっきの先輩と同様、体にタオルを巻いただけのノゾミがちょうど出てくるところで、危うくぶつかりそうになった。


「んぎゃっ!」


 身をよじって衝突を避けたノゾミの体から、バスタオルがはらりと落ちかける。監視カメラの映像でも一目でわかったほどに、彼女の胸は発育がいい――同じサイズのタオルで先輩の胸は包めても、ノゾミのはちょっと布地の長さが危ういのだ。


 とっさに顔をそむける。だが、その威容は瞬間的に僕の目に焼き付いてしまった。



「おーい、和真君、そんな隅っこで縮こまってないで、こっちでゆったりしなよ。ほら」

「い、いえ、僕はここで……」


 あ、くそ、声がちょっと裏返ってる。情けない。

 先輩とノゾミの華やかなはしゃぎ声を聞かされ、先輩のバスタオル姿と、ノゾミの白い連山の頂まで見てしまったせいで、僕の体にはちょっとまだかんばしくない影響が残っていた。


 さらに、ここから見ると志室木は男の僕でもほれぼれするような精悍な体をしていて、どうにも劣等感を募らせられる。引き締まって要所で盛り上がる、実戦性の高そうな筋肉に加えてあちこちに走る紫がかった色の細い瘢痕きずあとが、いかにもワイルドな大人の男を感じさせた。


 初対面の印象ではこれほどとは思わなかったが、脱ぐとすごい、を地で行く感じだ。


「男同士だろ、ちょっとあっちがいきり立ってるくらい気にしなさんな。元気な証拠さ」

 ええい、そもそも話題にしないで欲しいのに! 

 新たな墓穴を掘る可能性もあったが、僕は彼に質問を浴びせて話題をそらすことにした。

「志室木さん、さっきは何であんな質問を?」


「ん?」


 急な話題の蒸し返しに一瞬眉をしかめたあと、彼は苦笑しながら答えた。


「そりゃあまあ、なあ。なんか君たちぎこちないしさ。まあ、力関係的に薫子さんの方が上っぽいのは別にそんなおかしくないけど。特に文明や文化が残ってるとこから出てきたんなら」


「ええ、まあ……僕らの故郷では割と」


 割と普通に。というか、実際のところあの時代に僕が本当に先輩と結婚していたとしたら――入り婿という形になることは避けられないし、その場合僕は今以上に彼女の下風に立つ形になっていただろう。


「たださあ、君、薫子さんのことだいたい『先輩』って呼んでるよな……何というか、定期的に新しい加入者があるような組織とか、共同体とかの出だってこと? つまり何か、それこそ――」


 志室木はそういいながら、残照と木々の陰でオレンジと青のまだらに染まった校舎を見上げた。


「学校みたいな、さあ」


 そんなもの、俺の出てきたところにも――志室木がそう言いかけて口をつぐんだ。

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