第7話 バーバ・ヤーガの小屋

 警備センターに入ると、薫子先輩がこちらを振り向いて手招きした。彼女の正面にあるモニターには、監視カメラからの映像が映し出されている。


「来たか。早速だがあれを見てくれたまえ」


 画面には木々の枝に若葉が芽吹き、風化した瓦礫の間に草が萌え出る、春の風景が映し出されていた。

 その中を三、四体ばかりの小さな人影らしきものが動いていく。その不明瞭なシルエットからすると、背中にそれぞれ小荷物を背負って荷車を曳き、幟旗ノボリのようなものを立てているように見えた。


「ん……さっき、って言いましたよね。その心は?」


「ああ。単に情報不足だよ。監視カメラからの距離が遠すぎて、解像度が足りないのだ……人類にとって代わる何かが生まれるような環境要因も、十分な時間もなかったと思うんだが。それにしてはあの人影らしきものは異様に見える」


 どうなんだろう。単に僕らが理解できない服飾文化があるか、あるいは僕らが服だと認識できないものを着ているのかもしれない。それよりも――直感だが、僕らには彼らが何らかの商人であるように見えた。



「ふむ――商人か」


 所見を述べると先輩もうなずいてくれた。


「どうします?」


「問題はそこだ。彼らがここにいる意図が不明だが、それを知ろうと思えばほぼ接触が避けられん。だが私としては、出来る限りこちらの存在を知られたくない」


 先輩の言わんとするところはもっともだ。僕らが外敵から身を守るために頼れるのは、この施設自体とそれが隠蔽されていることだからだ。こっちは二人しかいないし、内訳はド素人のクローン高校生とやはりどちらかといえば頭脳担当なクローン女子高生(科学者)だ。そして内部には二〇六〇年代最高レベルの科学技術と物資。


 特殊部隊にでも入り込まれたら、あっという間に蹂躙されてしまうことだろう。そんなものが今の世に残っていればだが、油断は禁物。


「ここの出入り口――侵入経路はどうなってます?」


「この施設へ直接アクセスできる出入り口はないな。ずいぶん前に潰した。最寄りの旧JR西国分寺駅には、秘密の地下通路がつながっているが、監視塔のあるエリアからはだいぶ遠回りになる」


 解りにくいが、要するにありきたりの方法では施設に入り込めないということだ。


「だったら、無視でいいのでは……?」


 来訪者がこっちの存在に気づいていない場合に限ってだが。もしそうなら余計なことはしないに限る。


「そうか、うん、そうだな……」


 ちょっと気になった。薫子先輩にしては珍しいほど歯切れが悪い。


「何か、気がかりなことでも?」


「うん。我々は未来永劫このラボの中だけで生活するわけにはいかない、ということだ。施設は老朽化しつつあるし、備蓄した物資も今後は倍の速度で減る――なにせ、めでたく君が復活したわけだから」


 なるほど、結構前向きな理由だった。

 

 外に出る可能性があるのであれば、まずは外界の情報が欲しい。友好的な関係を結べる相手がいればなおよし。そのうえで交易でも可能なら、将来的な物資の問題も解決の見通しが立つ。


「アレが商人だとしたら、案外にいい機会なのかな……」


「そうともいえるが……以前の経験もある。どうもよくない予感がするな」


 そういえば先輩はさっき、「似たようなケースはこれまで専断してきた」と言っていたっけ。何があったんだろうか?


「外界に見切りをつけて引きこもってから、五十年くらいたったころだったな。五代目がカプセルを出てしばらく後だ――『多摩臨時政府』を名のる百人ばかりの武装集団があのあたりに来て、施設の開放と物資の供与を要求してきたんだ」


「なんです、そりゃ……」


「ここの存在をどうしてかぎつけたか分からんが、とにかく宝の山か何かのように思っていたらしい。無政府状態に陥って困窮、悲惨な状況に置かれている民衆のために、富裕層がシェルターに貯えた食料や医薬品を提供すべきだと、型落ちのライフル銃を並べてのたまったものだ」


 どう対応したのか、一応尋ねてみた。多分その要求を呑んでいたら、今頃僕がここにいるはずもなさそうだが。


「訊くまでもなかろう……ここは公共の福祉のために作られた医療施設でも何でもない。君を復活させるという私の妄執のためにだけ存在する、いわば魔女の隠れ家だ」


 それを自分で言いますか。


「対応の結果が、今モニターで見ている原っぱだよ。カメラの視界を動かして、塔の周辺の適当なところをズームしてよく見てみたまえ」


 言われるままに、タッチパネルでカメラを操作する。彼女が見せたかったであろうものが、はたして目に入った。


「なんか、草の間に白骨っぽいものが散乱してるような……」


「そういうことだ。まさかの時にと自衛のために用意しておいた、蜘蛛型戦闘ドローンが彼らを殲滅した。

 私が正しかった、とは言わん。あるいは彼らは、真に民衆のためを思って立ち上がった善意の組織で、私は日本が国家としてもう一度再生するための貴重な機会をひとつ、そうと知らず潰してしまったのかもしれん……

 だが、だからどうしたという話だ。人にものを乞うなら筋を通すべきだ。自分たちの理屈ばかりを主張して怒鳴りたてられてもな。おまけに奴らは、私が誰かを正確には理解していなかったようだし」


「……ま、まあ、そいつらが日本を救った可能性は低いと思いますよ、僕も」


「うむ」


「……でも、今回は迷っている?」


「そうだ。どうも困ったことに、私は今、自分の信念以外の基準を意識して揺らいでしまっている。つまり、君だ」


 つまり、僕がどう思うかが気になる、と。


 薫子先輩は会話の間もモニターをにらんでいたが、画面内に変化が起こると身を乗り出すようにしてそれを見つめた。


「ふむ……彼らはあそこで野営するつもりらしいな。荷物をほどいて、テントらしきものを広げ始めたぞ」


「そういえばもう夕方四時近いですね」


 正体不明の暫定商人たちは、作業をしながら、時折地面に膝まづいて何ごとか祈りをささげる風だった。口の動きをどうにかカメラがとらえ、先輩はその動画をもとに映像分析を始めた。


「日本語に類似の言語と推測したうえで、音声を再現してみるか……」



 わらら こいねごー


 かーるこのえかりとのろいを


 さけっせたーむ……



「えーと。『我らこい願う、かおるこの怒りと呪いを、避けさせたまえ』とかそんな感じですかね」


「なるほど! いかにもそれっぽいな。瞬時にあれを解読するとは君もまた天才だったか」


 先輩の目を一瞬見返したが、全然笑ってない。惚れた欲目というやつか。


「や、単にそれほど言語が変化してないだけかと。あと多分、先輩がやらかした殺戮は、伝説になってますねこれ。彼らは、ここに野営すると祟りがあるとでも思ってるのかも」


 そう考えてみれば、地表に点在する崩れかけの監視塔は魔女の塔に見えなくもない。


「そうか。それはちょっと堪えるな……まあ、とりあえずこちらの存在は隠したまま、もうすこし彼らの動向を観察してみるとしよう。なにごとも拙速はよろしくない」


「賛せ……いや、待ってください。その選択肢はたった今なくなったみたいです!」


 僕は画面上で起きたさらなる変化に目をみはった。


 暫定商人たちのグループ内で、さっきから作業をせず離れて座り込んでいた小柄な一人が、不意に立ち上がって走り出したのだ。この時初めて気が付いたのだが、そいつは上半身がほぼ裸で、胸が大きく隆起していた――若い女性らしかった。


 そして。商人たちは腰に着けた不格好な鞘から短剣を抜き放ち、あるものは不格好な弓を構えて、彼女を追いかけ始めた。

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