第3話 騒擾の昼食
「そのだし巻き卵はどうかな? 割と自信があるのだが」
「おいしいです!」
「よかった……そっちの、鶏モモの西京味噌風焼き物はどうだろうか?」
「最高です!!」
それは良かった、とまた破顔する薫子先輩。頭上数メートルの高みから、女子の悲鳴とものが壊れる音がした。
先輩と交際を始めて、大きく変わったことが一つある。昼食だ。前にも言ったように僕は地方から出てきていて寮住まい。昼は購買部でパンを買って済ますのが常だった。
ところが告白の翌日から、昼休みになると彼女が僕の教室まで、ぬかるみの中を歩く鶴のような悠然とした足取りでやってきたものだ。まさか向こうから訪ねてくるとは予測がつかず、僕は非常に動揺した。
物見高いクラスメートたちが凝視し耳をそばだてる中で、彼女は高らかに告げた。
「君の分も弁当を作ってきた。中庭で一緒に食べよう」
「ええっ!?」
よくよく見れば、彼女の左手にはなにやら大きめの風呂敷包が提げられていて――
無論、最初は「とんでもないことです」と固持した。だが、彼女にはそれは通用しなかった。
薫子先輩という人は、ひとたび何かをこうすると決めたら、絶対にそれを覆さない。理路を整然と組み立て、それを前面に立てて人に迫る。反対者を調伏し、妨害者を排除してその意思を通すのだ。なにがなんでもだ。
述べるところには一切の曇りがなく、天下の大道に沿っている。彼女が心底から発した願いはほとんどの場合、そのまま誰も逆らえぬ正義に立脚している。
よしんば世の常の人には面倒臭かったり、負担が重くて為しえなかったりする事であろうとも――彼女はそれを正面から突破して笑ってみせる。
いや、大げさで申し訳ない。たかが弁当の話であるはずだ。だが、彼女は遠慮する僕にこう言ったのだ。
「高井戸君。我々が互いの好意を確認し、今後付き合うと合意したからには、私には君の学業と健康に対して責任がある。わかるな?」
「は、はい」
「健康の礎はまず食事だ。君は男子寮で起居しているというから朝夕は出るだろう。だが昼食までは寮母さんも手が回るまい。しかし私の交際相手である以上、昼食を安価な総菜パンで済ますような愚を許すわけにはいかん。よって――今後は私が弁当を作るぞ」
こんな堂々と真正面から宣言されたら、拒否なんてできるわけがない。
「ありがとうございます……!」
かくして昼休みの中庭は、僕と彼女の壮麗な弁当セレモニーの場となったのだ。
いましも四方の校舎からは、全校生徒の半分くらいが窓に鈴なりになって僕たちを見ている。
彼女のやや骨太だが白く美しい指が、つややかな漆塗りの箸を巧みに操ってタッパーの蓋に――さすがに本漆塗りの重箱を持参したりしない程度には、彼女もTPOというやつをわきまえている――手製のおかずを取り分けるたびに、二年生以上の男子たちから羨望と畏怖の――主に畏怖のどよめきが漏れる。
そして僕がそのおかずを口に運ぶたびに、二年生以下の女子たちからは聞き取りにくい意味不明な悲鳴が上がっていた。
……なんだよ、だし巻き卵を食ったくらいでそんな、この世の終わりみたいに。
ありていに言って公開処刑――ああ、だが甘んじて受けよう、こんな甘美な刑ならば。
薫子先輩の作る弁当は、味といい見栄えといい、栄養バランスといい、全てが完璧だったのだ。
そんな晴れがましくも恐ろしく、そして幸せな日々が続いた。薫子先輩は僕との交際からなにか、自信とか生きがいとでもいったようなものを得ているらしく、当初のやや人を寄せ付けないような雰囲気が和らいで、日に日により美しくなっていくようだった。
となれば僕も年齢相応なバカばかりもやっていられるわけがなく、勉強に各種活動に、それなりに身を入れて励んだ。定期試験の成績は入学直後からすると幾分上がり、クラスでの立ち位置も「一目おかれる」とでもいったものになった。
つまるところ「あの解柔院家の令嬢に、正面から交際を申し込んでOKを取り付けたツワモノ」という評価だ。僕としては自分の気持ちだけに正直に行動した結果。だが周囲からはとんでもない偉業に見えるらしかった。
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