第9話 人類は衰退しつつありました

 照明を落とされた連絡通路は暗く静かで、どこまでも続いているかのように思えた。竹馬スティルツの反復する駆動音だけが辺りにこだまする。

 この状態ではとても肉声で会話はできない。僕たちはインカムを直接通信可能なトランシーバーモードに切り替えて、連絡を取りあっていた。

 

「さっきのあれ、何を撃ちこんでたんです? ……その、女の子に」


〈あれは麻酔銃だ。かなり強いから、早めに解毒してやらないと障害が残るかもしれない〉


「……百年以上前の薬剤とか、大丈夫ですかね」


 薬の鮮度については問題ない、と薫子先輩は答えた。

 

〈密閉保存された精製水に、射出直前に顆粒状の麻酔薬を加えてそのつど用意するのだ。細かいことは省くが、理論上劣化は最低限に抑えられている〉


 どっちかというと僕が気になったのは、古い薬剤の人体への影響の方なのだが――まあもう撃ちこんでしまったものは仕方ない。あの女の子の体力と幸運を当てにするしかあるまい。


 

 やがて僕と先輩は、通路のどん詰まりに行き当たった。重そうな防火シャッター的な扉の前に、アニメや特撮でよくある感じのテンキーつき入力パネルがある。


 竹馬ごとかがみこんだ薫子先輩が何桁かの暗証番号を入力すると、シャッターは天井へ向かって折れ曲がるという意外性の高い動きで解放された。その向こうには――絵に描いたような文明崩壊後の廃墟。

 

 崩れたコンクリート片の山から錆びた鉄の桁材が何本も突き出し、何かが燃えた後のようにすすけたケーブルが、小鉢に取り分けそこねたうどんよろしくだらしなく垂れさがっている。

 ラボのある丘陵地の地表から大きく切り通し状に開削された人工の谷底には、寸断されたレールの廃材と、ところどころ切り刻まれた跡がある電車の残骸が横たわっていた。

 

「駅はゴミ拾いスカベンジャーが大分荒らしたようだが、通路の入り口は発見できなかったと見えるな」


「うーん。このシャッター、すぐ閉めちゃった方がいいんでしょうね」


「うむ、そうだな。奇妙なことに我々が今置かれているような状況は、二十世紀から二十一世紀にかけての文芸や映像の作品の中で繰り返し描かれているのだが……だいたいその主人公たちは、こういう現場へ出入りする際の詰めの甘さが祟って、一回くらいはひどい目に遇う」


「そりゃあイヤですね」


「知る限りの例でも、隠れ家を発見されて資産を奪われたり、パートナーを拉致されて寝取られたりと、まあろくなことにならないのだ。我々も気を付けよう」


「まったくもって考えたくもないですね!!」


 思わず声に力が入ってしまう。ともあれシャッターは再び閉じ、そうと知らなければわからないよう偽装しなおした。

 駅の構内から崩れた階段を駆け上がり、破れたフェンスを飛び越えて、北東へ進路を向ける。


 もともとラボのある場所は、二十一世紀中ごろまで国内のそこそこ大きな電機メーカーが研究所として広大な土地を占有していたところだ。それを初代オリジナルの先輩が買い取ったのだという。


 走るにつれて地表の枯れ枝が跳ね上がり、コンクリート片が砕けた。顔の露出した部分に風を感じる。

 竹馬スティルツで走った場合の速度はおおよそ時速三十キロメートル。一キロの距離を走破するには直線ならおよそ二分で事足りた。


「この辺りだったと思うが……ああ、いたぞ」


 車回しロータリーのようになった痕跡のある、ひび割れ崩れたアスファルトの上で、11型マーク・エルフが動いて機体正面をこちらへ向ける。そいつは甲高い合成音声で「HOMO!」と出力した。人間ホモを発見した、という意味らしい。


 つづいて黒いリング状の複合センサーをちかちかと点灯させた。どうやらそれで顔を照合して、先輩を先輩として認証したらしい。「MASTER!」と出力して滑るようにそばへ寄ってくる。


「よーしよしよし、機械ながらかわいいやつだなお前は」


 先輩がそいつの機体上面を撫でてやる。11型マーク・エルフはその途端、音声出力回路に変調でもきたしたのか――うって変わって低く間延びした声で「HOMOOOO……」と鳴いた。


 女の子は少し離れたところに倒れていた。商人の矢は左のふくらはぎに刺さったままで、出血がじわじわと続いている。麻酔薬もしっかり効いているらしく、幾分青ざめた顔で眠っていた。


「ショックを起こしていないといいんだが……とりあえずナロキソンを静注しておくか。高井戸君は、あの商人たちの装備品や設営中のキャンプの資材をすべて回収してくれ。ここで何かあったという痕跡を一切消しておきたい」


「分かりました、任せてください!」


「ああ、そうだ! こいつが発射した機銃弾の弾頭も、できれば可能な限り」


 なるほど、先輩はまだ外界に対して、徹底的にこちらの存在を隠すつもりなのだ。



 さて一通り作業を終え、回収品と女の子を背負って僕たちはまたラボへ戻った。


 商人たちの死体も昏倒した女の子も、着ているものはどっこいどっこいで、要するにひどかった。

 変質してヒビが入ったようになったビニールレザーとか、何かの動物の生皮、黄色っぽく変色したデニムらしききれっぱしに、ほつれかけたビニール紐そのものといった、およそ雑多なぼろをつなぎ合わせてできている。


 武器も質が悪く、現在の人類の状況を暗にうかがわせるものだった。金属製のパーツであれば錆びていないところというのはまず存在せず、柄などは固定がいい加減で、手の中にあっても不必要に動いてしまう。


「こっちの短剣は、どうやら鉄パイプの中に自転車のチェーンか何かを通して、熱しながら叩きのばしたものらしい。案外この辺が、彼らの使う最良の武器なのかもしれない」


「そこそこの冶金技術はあるってことですかね」


「どうだろうな……彼らが自分で作ったものとは限らないし。他の荷物の方も一通り検分してみたが、食料は不衛生な状態のものが多く、これが売り物だ! と明らかにわかるような品もない。商取引の相手としてはあまり歓迎できないな。

 あそこにキャンプを張ろうとしていたようだが、いったいどうするつもりだったのか」


 薫子先輩の所見を聞いて、少しだけ暗い気持ちになった。現在の地上の人々が押しなべてそんな具合であれば、交流や交易を行ってもこちらにメリットがないのだ。


「……唯一目を引かれるのはこれぐらいか」


 薫子先輩が、作業台の上に放り出された何かの残骸を指し示した。


「壊れてしまっているが、パーツ構成から考えるにこれは電波受信器の類のなにかだな。しいて言えば、そう、ラジオか何か」

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