第12話―見据える鼻

「そこに……ったとね」


 もえぎ色の色彩はCocoの瞳孔を二つとも完全に覆い、色素ごと眼球に吸い込まれいた。

「Coco様、何て言っているの? 欧州の言葉で話して」

「Pansy、刺激するな」

 OliveはPansyの両肩を掴み、Cocoから再度引き離した。

「でもCoco様がっ!」

「よく聞け。このお方はもう、俺たちのことは分からない」

「そんなこと……む」

 Oliveは右腕をPansyの左肩まで伸ばし、空いた手で口を塞いだ。

 Pansyが振り乱すお下げの後れ毛が、Cocoの音響設備と化する。

「迎え……に、嬉しいうれしかぁ。マ、マ……まー、ちゃん」

 Cocoの流す涙がいかりとなり静かに瞼を沈めた。吐血も止まり、Cocoを囲む神跳草は弾力を失いこうべが垂れた。

「——下がっていろ」

 OliveはPansyを自身の背後に回し、Cocoの首筋に右手を当てた。吐血の付着に構わず右こぶしを地面に降ろした。

「申し訳……ございません」

 Oliveの涙とCocoの吐血が交わると、杜が揺れ始めた。

 天地の間を咆哮が往復し、トビヒ族の怒号が木々の根を圧迫していた。木々の頂に満たず神跳草にも触れていない空間は渦状や波型に歪んでいた。

「何……この吐きそうな空気」

 Pansyは両手で口を覆い、両膝が落ちた。

「訃報だ。グリーン・ムーンストーンが身罷られるたびに、杜の入り口と内部均衡の圧が緩くなる……が、これほどとは聞いていないぞ」

「じゃあ先代のときは?」

「同時にCoco様がグリーン・ムーンストーンとして覚醒されたからだろうな。俺が思うに、グリーン・ムーンストーンとなったばかりのCoco様は歪みを矯正するだけでなく、有り余ったお力で神跳草を生み出されたのだろう」

「歪みなんていうレベルではないでしょう! こんなに……怒りや憎しみの臭いが空気の溝に嵌り込んでいるのに」

 Pansyが鼻を摘まみ口で呼吸をし始めると、Oliveは市井で起きていることに気付いた。

「Pansyは。三番目ので嗅いでいたんだな……お前だけが覚醒した力で」

 Oliveは遺血を拭わず、Pansyと向き合うように立ち上がった。

「Coco様が仰った通り、この杜は終わりだ。市井の奴らはもう、周りが見えていない。Pansy、俺が両親と同じ土に還る前に罰してくれ。今だけだ、大罪人の俺を殺せるのは。その後、お前は自由だ」

 刃物を委ねようとOliveが萎れた神跳草の中を探ると、本来の姿三体がPansyに近づいた。

 三体で三冊のスケッチ・ブックを咥えていて、Pansyが受け取ると空気の歪みに沿って散り走り去った。

「Olive、それはあんたのものだよ」

 立ち上がったPansyの色彩は、欧州人でも一般的なラムネ色の陰に変色した。

「あんたはとんでもない罪を犯したからね。それなりに償ってもらわないと」

 Oliveが見上げると、Pansyは異臭に苦しまなくなっていた。

「大罪人に意見は要らない。今からあんたは死ぬまで私の騎士ナイトであり番犬よ……私は何としてでも生き抜くわ。他大陸の杜でも、人間が住むどの大陸に向かっても……語り手を一人、見つけ育て上げるまで」

「語り手、だと?」

「このスケッチ・ブックに描いてあるわ。心とともに生きるすべてを。Coco様の最期は流石に描けないけど。ああ、それとOlive」

 市井からの熱風が木々の幹を貫こうとしていた。

「大罪人に質問の権利は今後一切無いからね。さっさとここを抜け出すよ」

「——はい」

 PansyとOliveが歪みの塊根に姿を消すと、夕立が欧州の杜を覆った。


 地上を駆け巡る二人の旅が始まった。

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