第7話―陽と陰の行方

 杜の木枝が日差しを分割していたころ、Sakuraは洗濯用川にて黙々と衣類の汚れを落としていた。

 女性陣の横目が一層冷たくなり、Oliveの母親であるAzaleaでさえSakuraを見て見ぬふりするようになっていた。

 過去にアジア大陸の最東端でトビヒ族狩りが起きて以来、元から固かった同胞の結束力は一層強固になり、後にガーディアンという立場ができた。

 杜では優秀と評されていたPachiraとDahliaの娘だからこそ、SakuraはPansyの父親が誰であっても同胞に受け入れられると思っていた。

 ところが現実は生易しいものではなく、わざと強調しSakuraの耳に響くのはたった二つだった。

『娘は混血』

『トビヒ族の恥さらし』

 混血は無論Pansyを、恥さらしは人間と交わったSakuraを指す。

 過去に神跳草を生み出しトビヒ族狩りの被害を最小限に留めた今代グリーン・ムーンストーンにさえ、心底から敬っている同胞が希少だ。

 人間の世界で生まれ育ち、人間贔屓の姿勢が変わらないというたった一つの理由で。

 入口の歪みに耐えられなかったことも含め、Sakuraが本来の姿よりも肩身の狭い思いをするのは必然であり誤算でもある。

 Sakuraが幼いころも亡き両親のように今代グリーン・ムーンストーンを敬愛する同胞は少なかったが現在よりは若干多く、その態度に大差は見受けられなかった。

 Sakuraが人間の世界で恋をして結ばれ、母親としての責務を全うしている間に杜の情勢が劣化していることを帰郷して初めて知った。

 Sakuraと両親の第二の住処は人間の市郊外とはいえ、杜から適度に離れていた。居を構えるまでは難民を装い、両親は農家として生涯を終えた。その間一度も杜へ帰郷しなかった。

 両親からSakuraへの伝承は今代グリーン・ムーンストーンが神跳草に囲まれた世界の安寧を築いた五十年ほど前で止まっていた。母親のDahliaが妊娠する前後もガーディアンとして忙しく、同胞の市井に交わる機会が滅多になかったからだ。

 半端に目覚めた力で両親の要員として農業を手伝っていた独身時代、もしくはAoiと築いた家庭のガーデンで三人の糧を作っていたころに戻れるならば、運良くテロに巻き込まれない日々であればなおさらSakuraの願望に近くなる。

 望郷の念が強くなるほど、SakuraはPansyの寝顔を見るのが辛くなった。

 Aoiと並んで料理に失敗してばかりのPansyはもうすぐ十三歳になる。杜を知る前と比べると十センチほど背が伸び、杜にて初潮を迎えた。

 相変わらず生活空間の維持よりも絵画を好み、伝承の個別学習という名目でスケッチ・ブックのページを埋める日々を送っている。

 関心の対象は幼いままだが、心身は確実に成長している。

 最近ではSakuraに気遣うことが多く、親子の会話を自ら辞する。自然素材の洗剤を使った掃除が上達する機会は杜にいる限り恵まれないが、箒で塵を捌く姿は様になっている。

 二人分の食器や自分の持ち物は使った直後の片づけはPansyの習慣に定着してきた。

 元々両親の知識に偏らず自ら別方面で学習する性質であったが、小学生としてのPansyはあくまで「子どもの調べもの」に過ぎなかった。

 杜に移った当初は今代グリーン・ムーンストーンや同い年のOliveから一方的に同胞の歴史を聴かされるだけだった。人間の世界は過去の惨事を理由に、トビヒ族であることすら教えられる環境ではなかったので、Pansyの学ぶ姿勢は無理もなかった。

 Sakuraの目に映るOliveは不服ながらCocoの命に従う自尊者だったが、日を重ねるにつれPansyを手のかかる妹のように接し徐々に気を許すようになった。

 幼いながらも女であるPansyは最初からOliveをあしらっていたが、閉鎖的な環境下では必然的に数少ない友人として共有する時間が増えている。

 Cocoの転身姿にすら絶句していたのに、今では人間とトビヒ族の両世界の理に惑わされずに自力で考え抜いたものを絵にしている。

 家から消えたスケッチ・ブックはCocoが預かっていることはCoco との交流が少ないSakuraでさえ、コーヒー・ゼリーを作るよりも容易に推測できた。

 Pansyは人間とトビヒ族、両方の血を受け継ぐ。成長過程によっては近い将来、Pansyの終の世界を自分で選べる。

 Sakuraと同じ、不可抗力の理由で。

 母親としての妄想と願望はPansyの成長とともに崩れた。バースデー・ケーキの苺、アクセントのホイップ・クリーム、チョコのメッセージ・プレートが取り除かれ、最後に残ったのは理想の白紙を現実と実現可能性のある未来に塗り替えられた、ホイップをヘラで塗っただけのスポンジ・ケーキだった。

 自力で父親の死を乗り越え、自身を生粋の人間だと思い込んだまま理の流れを見極めている。

 自分の信念を軸に同胞の知識を受け入れ、自分のアイデンティティをしっかり守っている。

 Pansyは不可抗力な理由だけで自らを決めない。

 強さと聡明さは血を裏切らなかった。

 未亡人となったSakuraが現在最も恐れているのは、Pansyが混血であっても自立したトビヒ族として人間の世界Sakuraと決別することだ。

 そうなればSakuraは杜のトビヒ族全体だけでなく、人間の血も流れている娘すら憎みかねない。

 守るべき存在が次々にSakuraから離れ、日々成長するPansyすら許せなくなる。

 自身の腹を痛めて産んだ愛娘が幸せを選ぶ要素を一つでも奪わないために、Sakuraにできることといえば——。


 この日の晩、久々に見た寝顔はお漏らしを卒業したばかりのころに逆戻りしていた。

「我が妻Azalea、あの女の様子はどうだ?」

「あなたの計らい通り、気を病み始めているわ。今ごろ杜に来たことを後悔しているはずよ、Marron」

「女衆の操縦はお前に任せて正解だった。お前が口にすることは何もかも鵜呑みにするからな。ま、実際Sakuraは二十年以上杜を離れていたから、娘を連れてきた時点で人間と深く関わったと、我らトビヒ族にわざわざ教えたことになるが」

「今やすべての大陸の同胞は通じているもの。どうりで彼女とご両親の情報の一切が杜に入らないわけね」

 月光が伸びるよう設計されたトビヒ族独特の家に電気は通っていない。五、六歳児の頭部大の穴が二つ、各部屋の屋根部分に開けるだけで生活に事足りる。

 大嵐でさえ朝露が滴る程度まで杜の木々が吸収するので、杜に住む限りトビヒ族は天候の心配は必要ない。

 それ以前にMarronの家では朝露一滴に気を取られるほど暇な者は一人もいない。

「それにしてもMarronがここまで厳しいとは思わなかったわ。あなたにしてみれば当然のことと思っているのでしょうけど」

「同じ杜で生まれて一緒に遊んだのは、ほんの子供だったころだからな。懐かしいといえばそうだが、トビヒ族の自尊心とはまた別物だ。人間の娘を産んだSakuraも恥さらしだが、二人を受け入れたCocoもCocoだ。あのご老女の故郷を壊したのが人間だってことをすっかり忘れていやがる。今じゃすっかり小娘のお守り役を喜んで買うぐらいだ。このままだとこの大陸の杜が心配だ。同胞を導けるのは情に脆い女ではなく、太古より力を持つ男だ。本来の理に最も近いのが……」

「私たちのOliveということね」

 Marronは頷いた。Azaleaは夫の表情を覗かない。夫婦間での不変の事実一つでその都度顔色を窺うほど愚かな妻ではない。

「だが十二歳のあいつは兄弟がなく、完全に大人の体格になるまで身近な見本とする男が少な過ぎる。ガタイだけが良い奴は余るほどいるが、どいつもこいつもOliveの知能には不釣り合いだ」

「あら、それならばどうして煽るのかしら?」

「あんなのは余興に過ぎん。あいつの後ろ盾は俺一人で十分だ。Azaleaにはもちろん、おとこには手の届かないところで支えてもらうぞ」

「それはもちろん、母親だもの——あら、Olive」

 月光の茂みから現れたのは、Pansyとの初対面でさえ見せなかった面構えだ。声さえ聞かなければ、性別を見分けられないほど生命を感じない。

「賢い子、順調か?」

 Marronは傅くOliveに歩み寄り、つむじにキスをした。Oliveは後れ毛ごと愛情を受け入れてもなお身じろぎをしなかった。

「父さん、じきにことが順調に進むでしょう。あの母子の処分はそれからでも遅くないかと」

「そうか、よくやったぞ、Olive。奴はそれほど弱ったということか。誰よりも慎重に責務を全うするお前を、父は誇りに思うぞ」

 Oliveは左肩に置かれた手を両手で包み、甲に伏した。

「我が父——いいえ、今代グリーン・ムーンストーン様」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る