冷たい太陽、伸びる月
加藤ゆうき
第1章 第1話 2019年7月ー始まりの唄
――十五歳の少女が産み落としたのは、四つ足の獣だった。
胎児の全身には鉛色の産毛が、頭部には二本の角が女性の栗爪一枚分の長さで生えていた。角は人参色で先端が針一本見つからないほど滑らかに半円を描いていた。
胎児が発見されたのは二〇一九年七月の朝、長崎県長崎市に点在するコンビニ内のトイレに設置された汚物入れの中。トイレ掃除を中断した女性店員が警察へ通報した。一時間後、コンビニから百メートル離れた公園にて、上下白いスウェット姿の少女が遺棄容疑で逮捕された。胎児の容姿は国内の注目を集め、報道からわずか十分で早熟の存在を塗りつぶした。
県内報道から日没を待たず、ながさきの森公園は成人の集い場となる。二席のブランコ、ローラー・スライダー、ハトを模したロッキング遊具。触れるのは記憶に留まる園児が五、六人。
コンビニと公園の間に一つ分かれ道があり、ロゴが入ったレジ袋を提げる住民はそちらを通るようになった。公園に向かうのは、五円を節約するため布のバッグに食品を詰めた五十路女性が三人、襟までの地毛すべてをピンポン玉大のカールにしている。閉経しているはずの腹部は五つ子の出産を間近に控えているのかと、マイクやカメラを持つ男性の誰もが目で疑った。
「重かやろう、大変ねぇ」
「まぁまぁ、こがん田舎まで来て、疲れたやろう」
ペットボトルの緑茶を三本、一人の女性が布のバッグから取り出し渡す。マイク、カメラ、音声機器それぞれを片手に持った男性は予想外の好意に戸惑う。蝉の鳴き声が未だ続く中、飲料は喜ばしいプレゼントではある。しかし肝心のモノはキャンペーン・シールと化していた。ペットボトルを握りしめているのは、百貨店のお中元フェアで売れ残ったソーセージだった。
三人の男性は揃って腹筋が六つに分かれ三頭のらくだのこぶになっているが、ペットボトルの上で重なる手と正面の腹部を見比べ己を貧弱に思う。
「そがん見つめんちゃよかたい。恥ずかしかけん」
男性の一人はピーナッツ型の両瞳を薄皮の曲線に変えて、ペットボトルを引き抜く。
女性が引き立ち情報を提供してくれる市民を持ち上げるアナウンサーの世界では、わざわざ癇癪を引き出すことは、身分と住処を失ってでもすることではない。一回の化粧で眉墨一本を消費しているであろう、ペール・オレンジを合わせたマーブル柄の眉を視界に入れまいと俯く。
「お暑い中、すみません。お気遣いまでさせてしまって」
ガムテープに等しい粘液に触れず、一歩下がったアシスタントにペットボトルを押し付ける。笑うと醤油色のえくぼが目立つ彼は、唇を引き下げえくぼの円が崩れる。
ホテルに戻ったらシメるからな? 無言の針を放ち、反対側に立つ女性にはホワイトニングをしたばかりの歯列をちらつかせる。
「ところで、例の胎児ですが」
そうやった、生の
「田舎なんてとんでもない。魚は口の中で溶けるし、和牛もスイーツのように全身の神経を解きほぐしてくれる。何より食は人を輝かせてくれます。その代表たるご三方がご自身を卑下するのはよろしくないですよ」
女性は酸味と腐敗臭の混じった手を叩き合う。食の融解の果てに複合の意味でたるんでいると須子見が見下していることなど、三人とも生涯気付くことはないだろう。
「で、何かご存知でしょうか?」
「何か、と言われても、大して知っとるわけじゃなかとよ。私らが遺棄のコトば知ったとはあれが回収された後やったし、第一あの十五歳の家庭となんか付き合いがなかったとさ。ねぇ?」
「そうっさね~」
中央に立つ女性が、須子見から見て右の女性に同意を求めその声を受け取る。
「そうですか」
アシスタントの二人はカメラと機材を肩から降ろす。須子見が自身の腰に左手を置いたからだ。
「あ、ばってか」
これまで頷くだけであった左の女性が須子見を引き留める。単なる井戸端会議の予鈴として聞き取ったので、須子見はマイクをアシスタントに押し付ける。
「あの女の子、ハーフか何かやろうか? お父さんと二人暮らしやったばってん。ガニ股で白雪姫の小人みたいな足で、どう見ても生粋の日本人の父親とにねぇ」
大学卒業から十年積み上げたキャリアを信じ、須子見はアシスタントの手からマイクを掻き取った。
「あの子の目、薄茶色に緑っぽい線が左右に一本ずつ入っていたような。色のついたコンタクトだとしても、人間の瞳にあがんはっきりした線が入るもんやろうか?」
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