第16話 決別の始まり

「私の気持ちだって? 村雨瑚子」

 ハナサキ族の羽根が逆立っていた。敵視するトビヒ族と人間が、くちばしに夜風を通さない距離で対峙しているので、えんじ色が濃く直線が揺れているのは自然なことであった。

だめだからねでけんせんね

 チョウが落としたナイフを瑚子は右足で踏んだ。ハナサキ族は鉛のような密度の爪で奪い損ねた。

「聞いたけんね、あんたらが人間ば殺すとは仲間を守るためだって。そいならここにおるチョウさんだって同じたい。目の前で叔父さんが殺されて、憎かに決まっとる――大好きな人やったら、なおさら」

「なっ、にを」

「うちもお父さんも、ママが危険な目にうとったらきっと、相手が逃げ回っても許さんと思う。あんたらが敵と見なしとる人間であっても、血の繋がっとらんでもママは家族やけん。ってかぶっちゃけ――」

 チョウを阻んでいた右肘が曲がる。ハナサキ族のくちばしが人間の首根っこのように掴まれると、ローファーに敷かれたままのナイフが割れた。

 瑚子の意識が右半身に傾いた。

だいがどがん姿ばしとっても、うちの大事か人たちを傷つけるんは皆化け物やけん。忘れんでよ」

 ハナサキ族の意識はチョウから逸れた。両足が着くと、万を超える羽根はすべて体内に呑まれた。

 くちばしを掴んでいた右手が空を切り、右のローファーが土に埋もれた。

「ひゃっ」

 日の入り前の記憶が正しければ、瑚子とチョウが立つ土道の両脇は田んぼ。稲刈り後の乾いた土であっても、立ち位置より柔らかい。

 泥でJRの座席を汚すのは避けたかった。駅員への謝罪で後日友里子に手間をかけさせ、目立たないよう努めている正晃の妨げになる。

 偏った情報であっても、胎児遺棄の公園と同じ校区から離した事情を理解できる。

 左足が土から浮き、瑚子は徒歩で長崎市に戻ることを覚悟した瞬間だった。

「ん?」

「二度目は無かぞ」

 白金が黄ばみかけた両腕で、四肢を支えられていた。背後で舌打ちされ、瑚子は叫んだ。

「チョウさん、待って!」

なん、復讐し損ねた人間を蔑みたかと? 今ならぶりっ子する相手のおらんけん、好きなようにすれば? 虚しかやろうけど」

「違う!」

 瑚子はハナサキ族の両手を振り払い、背を向けかけたチョウの左腕を掴む。

「今度の月曜からはもう、学校で一緒にお弁当ば食べたり体育でペアを組んだりできんと思う。チョウさんの憎しみば受け入れんばことだって、頭のぅなくても分かる。そいでもうち、どがんしてもチョウさんのコトば嫌いになれん! そいだけは忘れんで!」

 瑚子の右腕が胸元で跳ね、両肩が人の手形に包まれた。視線を合わせず、チョウは走り去った。グミ一粒瑚子のひざ下に当たる。

「人間の肩ば持ち過ぎると、いつか必ず痛い目ば見るぞ」

「え、あんたいつからそこにったと?」

 瑚子を受け止めているのは、両腕をむき出しにした利矢だった。瑚子の右手を掴むと、肌に日本人特有の薄い黄色が戻っていた。

「低温やけどか。ハナサキ族は本来の姿だと体温が植物よりも低いからな。ったく、俺の美しかくちばしばあんなあがん持ち方するけんさ。勝手に外ばうろうろした挙句、この俺に手間かけさせやがって」

「え、あの化け物、あんたが変身しとったと?」

「気高いハナサキ族だ、馬鹿トビヒ族」

 右手を引かれ、瑚子は二度も雪平家に連れていかれた。


 瑚子の重心を支えていた土道には、足形に沿って蔦が約十本生えていた。

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